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渡河

「ファレーナああああ!!」


 アダンの叫び声が霧の薄まった川に響き渡る。

 仲間の名を呼んだその叫びは受け取る者のいないまま、静かな水面へと消えた。

 

「また、俺は……!」

「アダン君……」


 立ち尽くすアダンの肩にエフィが手を置いた。


「あんな状態になっては助かる見込みは無かっただろう。そんな状況でファレーナ君は我々の道を切り開くことを選択した。最期まで人間として、鶯として彼女は生きたんだ。だから、彼女の死を嘆くより……讃えよう」

 

 アダンは目を閉じ歯を食いしばった。

 そんなことは分かっていた。あんな風に寄生された状態から助かる術など考えつかない。だからファレーナは蟲たちを道連れに死を選んだ。エフィの言う通り人として、仲間として死ぬために。それは尊いことなのかもしれない。だが、目の前で死に向かう仲間をまた救えなかったという事実が、アダンの心を重くした。


「アダン……」

「……」


 目の前で仲間が死ぬ度に、自分はこんなにも弱い存在だったのかと思い知らされる。自分は感情がないと仲間たちにからかわれてきた、自分でもそうかもしれないと思っていた。だが、実際に仲間の死を目の当たりにした結果どうだ。心が揺さぶられる、頭から思考が抜け落ちる、自分の体の一部が無くなったように感じる。

 感情の乏しい自分でさえそうなのだ。仲間の心中は想像することもできない。立ち尽くし押し黙る自分を心配して、声をかけてくれたマイの優しさが心に沁みる。肩に置かれたエフィの手が震えている事に胸が締め付けられる。長く静かに聞こえるリュシオルの吐息に体が固まる。僅かに聞こえるアカリの泣き声とオーの悲しげな唸り声に息が震える。


「アダン様」


 自身の名を呼ぶ声に目を開け、視線を横に向けるとコーラカルが立っていた。ガラス玉のように穢れのない瞳で水面を見つめている横顔は、いつものように人形のように無機質な美しさだった。

 だが、その表情には僅かに感情が見て取れた。それは怒りなのか悲しみなのか、あるいは他の感情なのか、それは分からなかった。コーラカルはゆっくりとアダンを見ると「行きましょう」と小さく声を発した。


「また蟲が現れる前に……」

「……そうだな」


 アダンがそうつぶやくと、鶯たち乗船の準備を整えた。船体と船体を縄で括り付け、荷の積んでいない船に乗り込むと、木船はぎしぎしと音を立てたが、沈む心配はなさそうだった。アダンは蟲の体液でオールを作り、船をこぎ出した。アカリはオーから離れたがらなかったので、泳いでいるオーが持っている荷車の上だ。


「あ……」


 川の半分ほど来たところで、マイが小さく呟いた。木片と蟲の死骸が見え始めたのだ。船が進むと徐々にその数が増えていく。

 ここでファレーナは死んだのだ。アダンは水面の浮遊物を見ないようにと顔を伏せた。その時、外套の裾にあった笑顔の刺繍――ファレーナにやってもらったもの――が目に入った。その刺繍の笑顔の口に当たる部分がほつれている。もうこれを彼女に直してもらうことはできない。

 アダンが唇を噛み、オールを漕ぐ腕に力を込めると、おもむろにエフィが「今更だがねコーラカル君」と口を開いた。


「当初の目的地……蜻蛉を倒した場所に『蟲に関わる重要な何か』があると言っていたが、結局あれはなんだったんだい」

「私も、ちょうどお話ししようと思っておりました」

「なんだって?」

「記憶が戻ったの?」

「はい、まだ不完全ですが」


 全員がコーラカルに注目した。


「まず『重要な何か』についてですが、これは蜻蛉トンボそのものです。今現在、蜻蛉のように人が変質した蟲……『神』に産み出されたものでも絶望の質が高い者たち。彼らはあと――三体います」


 あの蜻蛉のような化け物があと三体も居るというのか。鶯たちはただ黙ってコーラカルの言葉を待っていた。

 

「その三体を倒し、『神』に近づき、倒すことでこの世界の蟲は全て消滅します」

「言い切るねえ、でもその根拠は……いや、もうどうでもいいか」


 リュシオルは自嘲気味に鼻で笑った。


「蜻蛉みたいな化け物があと三体って、倒せるわけがないだろ」

「でも、倒すしかないよ」

「あのなマイ、どう考えたって無理な話だ」

「でもこのままじゃ隊長も、グリレもファレーナさんも報われないよ」

「現実的に考えろよマイ、僕らまで死んだらどうするんだ」

「それは、そう、だけど……でも……」


 聞きながらアダンは辛かった。

 マイもリュシオルも仲間を想っているのだ。マイは死んでいった仲間の無念を晴らそうと言っている。リュシオルはもうこれ以上仲間が犠牲になってほしくないと言っている。どちらも正しい。どちらにも賛成だ。だがそのどちらかしか選べない。なぜこんな選択をしなければならないのだ。蟲さえいなければ、神とやらが居なければ、こんな悪夢のような二者択一を迫られることもなかったはずだ。


「俺は許せない」


 アダンの口からぽつりと出た言葉に、鶯たちは彼を見た。


「コーラカルの言う『神』が本当にいるのなら、俺はそいつを許せない」

「アダン、今はそう言う話をしてるわけじゃ……」

「許せないんだ、俺は……許せない――」


 アダンの怒りと悲しみが混ざり合ったような声色に、リュシオルは言葉を詰まらせた。再び訪れた沈黙を、エフィが破った。


「変な話を振ってしまったね、すまなかった。兎にも角にも我々の家に戻らないとね。しばらくゆっくりと休んで、それから今後について考えるとしようか」


 現時点でこれ以上の議論は無駄だと思ったのか、マイもリュシオルもエフィの言葉に従うように黙った。鶯たちは薄くなった霧のあちらこちらに視線をばらけさせ、アダンがオールを漕ぐ規則的な音と、僅かな水音だけを聞いていた。


 そんな鶯たちは気が付かなかった。

 コーラカルが消えたことに。


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