ファレーナ
大きな水しぶきの音でアダンは目を覚ました。
耳に届いた音が何かを頭が理解すると同時に、アダンは飛び起き水辺に向かった。そこには船の一隻を川に押し出すファレーナが居た。
「おい待て! みんな起きろ!!」
アダンは彼女に駆け寄ったが、その体に触れる前に何かに突き飛ばされた。人ではない何かに。それはファレーナの体から飛び出してた蟲だった。ハリガネのような灰色の触手のような蟲が彼女の肩や腹、片目から飛び出している。ファレーナは「水、水」とうわ言のように言いながら、触手に操られるように船を川に押し出し、乗り込もうとする。
そのおぞましい姿に気おされそうになったアダンだが、すぐに体勢を立て直した。籠手に残された体液が少なかったため、背負っていたシガールの刀を手に取り触手を切りつけた。
触手の一本が落ちると同時にファレーナのけたたましい叫び声が響き渡る。アダンは怖気に負けぬよう歯を食いしばり、刀を振り上げたが、触手が鞭のようにしなってアダンを打ち据え、彼を再び突き飛ばした。鞭のような一撃を受けた腹部の痛みにアダンがのたうつうちに、ファレーナは荷が積まれた船に乗り込んだ。異変に気付き飛び起きた鶯たちがアダンの元に駆けつける頃には、彼女は霧の中へと消えていった。
「アダン! ファレーナさんは!?」
「今船で……くそ! 追いかけるぞ!」
「何馬鹿なこと言ってるんだ、死ぬぞ!」
「分かってる、そんな事分かってる!」
「エフィお姉ちゃん止められないの!?」
「霧が濃くて狙えないんだ!」
川のちょうど中心部にファレーナはいた。鶯たちの声が遠くに聞こえる中、がくがくと人間離れした動きで、目印になるようにたいまつを点けてその手に握った。そしてその火で蟲たちを呼び寄せるようにゆっくりと振った。
彼女の狙い通り、水の上を音もなく水黽が船に近づいてくた。水中からも暗褐色の水爬虫のような蟲が水面に姿を現した。水黽は口吻を、水爬虫は鋭い鎌のような腕を彼女に突き出した。ファレーナは襲い掛かる蟲たちの口吻やかぎ爪を抵抗もせずに全身に受け――歯を見せて笑った。
「人間なめちゃあ…だぁめ……♪」
ファレーナは頭上に向けてたいまつ投げ上げると、足元に置いてあった自分の得物、大型の針と糸を振るい、一瞬で蟲たちを全て自分と船体に括り付けてしまった。彼女の頭上のたいまつが、蟲を縛り付けた船体に――火薬が積み込まれた船体へと落ちてゆく。
思えば私は生きながら死んでいた。
生きたくもないけど、死にたくもない。
そうやって生きてきた。
特技もなく、できる事と言えば人並の裁縫だけ。
豪華な装飾も華美な意匠もできない。
布を縫って合わせるだけ。
有るものと有るものを繋ぎ合わせるだけ。
私自身が何かを生み出すわけじゃない。
生きても死んでも、毒にも薬にもなりはしない。
それが私だった。
でも、『鶯』の皆は私を求めてくれた。
端切れを繋ぎ合わせるだけですごいと言われた。
簡素な服を仕立てるだけで飛び上がって喜んでくれた。
武器を持たせて、人を守る戦いをさせてくれた。
リュシオルくんってすごいの、見たこともない武器を造れるの。彼だけじゃない。鶯の皆はそれぞれ得意なことがあって、それは特別すごい技術ではないかもしれないけど、一人一人が他の人を補って、すごい力を発揮してるの。
皆は、生きている意味がないと思っていた私に光をくれた。
そんな皆に出会えてよかった。
最期に皆の役に立ててよかった。
コーラカルちゃん、縄を解いてくれてありがとうね。
皆が無事に帰れますように――。
ファレーナが静かに目を閉じると、轟音と爆風が全てを吹き飛ばした。
水面を覆っていた霧は晴れ、鶯たちの道は開かれた。




