水水水
和やか時間は長くは続かなかった。
ファレーナの容体が急速に悪化したのだ。
彼女の顔からは血の気が失せ、失った腕の根元に巻かれた包帯には赤黒い血以外にも膿のような色も見え始めていた。顔やはだけた胸元にじっとりと脂汗が滲んでいるのが見て取れ、彼女の息は細く荒くなっていく。
唯一医療の知識のあるエフィを中心に、鶯たちは懸命に治療を続けたが、傷口は一向にふさがらない。それどころか化膿が進み彼女の体力を奪っていく。新たに巻かれた包帯にすぐに血と膿がにじむのを見て、ファレーナは自嘲気味に笑った。
「これじゃ~……だめそう、ね~」
「馬鹿なことを言うんじゃない」
「そうだよお姉ちゃん!」
「足手まといになんて……なりたくない、わ~……」
「おいおい、何弱気になってるんだ馬鹿らしい」
「いいから~……ここに置いて行っ……ふぇ?」
自暴自棄な声色でそういうファレーナの頬を、アダンが指で持ち上げた。
「馬鹿なこと言ってる暇があるなら笑え」
「あのね~…アダンくん~……」
「弱気になるのはだぁめ、だろ?」
アダンがファレーナの口癖を真似て言うと、ファレーナはぽかんとした。
「アダン、あんた今の物まねしたの?」
「ああ、似ていたか」
「全然だね、気持ちが悪いだけだった」
「すまん……」
「そうですか? 私は似ていたかと思います」
「お姉ちゃんそれ本気で言ってるの……」
「オォ~……?」
「皆ふざけている場合では……」
エフィが呆れたように言うと、ファレーナは苦痛の汗で湿った顔のまま、小さく吹き出した。
「いい笑顔だ」
「まったくも~…アダンくんは~……」
「本当に空気読まないわねあんた」
「ですが、ファレーナ様も笑顔になりました」
「とにかく、君を置いてなんていけるわけもないだろう。ほらファレーナ君、いくらか怪我もマシになっていないかい?」
エフィの言葉通り、僅かに血と膿が滲んではいるがそれ以上染みが広がることは無かった。鶯たちは安堵して顔を見合わせ、ファレーナも額の汗を拭って笑った。
「ごめんね~、あんなに弱気になって……そんなのはだぁめ、よね?」
「そう、その調子!」
マイが努めて明るく言うと、皆僅かに顔に笑みが浮かばせた。ファレーナは完全に落ち着きを取り戻したようだ。
「リュシオルくん、義手とかって造れるのかしら~」
「ああもちろん、裁縫ができるくらい精密なのをつくってやるさ」
「ありがと~アダンくんの笑顔の刺繍がほつれてたから~」
「なんだって、おいリュシオル早く義手を造ってくれ」
「材料がないから造れるわけないだろ」
アダンとリュシオルのやり取りに鶯たちはみな笑った。鶯たちは少し休むと川を渡るために船に荷物を積み込み始めた。
まずは食料品にわずかな医療品をひとつの船に、火薬は置いていこうか迷ったが、とりあえず一隻にまとめて積んでおいた。そのほかこまごまとしたもので一隻使い、鶯たちが乗る船は残った二隻だ。オーには泳いでもらうとして二回も往復すれば十分渡れるだろう。
「よし、これでいい」
「……ねえお兄ちゃん、ちょっといいかな」
最後の一隻の縄を絞め終わったアダンに、アカリが声をかけた。
「どうかしたのか」
「うん……ファレーナお姉ちゃんのことなんだけど」
アカリは小さな声で囁くように、ファレーナの瞳の中に蟲が見えたということをアダンに伝えた。
「ウソじゃないよ、ほんとなの! それに『水』って何度もつぶやいてたの」
「疑ってはいない。だが、今は平気そうに見えるが」
「……うん、そうだね」
「だが、またいつそうなるか分からない。もしまたファレーナに異変を感じたら今度は誰かをすぐに呼ぶんだ」
「わかった、でも何もないならそれがいちばん――」
小さな体を震わせ、アダンを見上げたアカリの足元に、何かが突き刺さった。
小さく音を立てて地面に突き立ったそれは、川の方から伸びていた。
黒い棒のようなそれを目でたどると――霧の中に巨大な蟲が見えた。
アダンは反射的にアカリを抱きかかえ川から飛び退いた。川からアカリを狙った巨大な蟲は――水黽は音もなく霧の中へと消えていった。アダンが鶯たちに注意を呼び掛ける間もなく背後から叫び声が聞こえた。
「アダン、止めて!」
マイの叫びと同時にファレーナが現れ、二人に目もくれずにざぶざぶとしぶきを上げて水の中へと入っていく。巨大な蟲が居た水の中に入っていく仲間に、アダンは飛びつき羽交い締めにした。
「駄目だ! 蟲がいるんだ!」
「水、みずみずみず……水に入りたいの、入るのおおおおお!!」
「ファレーナ! なにを言っているんだ!!」
尋常ではない力で抵抗され、アダンはなかなかファレーナを川から引きずり出せない。そうこうしているうちに霧の奥から、水面から水中から、いくつもの巨大な影が水際で暴れる二人に向かってくる。アカリが「逃げて!」と悲鳴にも似た叫びをあげると同時に、追いついたマイたちもファレーナに飛びつき、蟲たちの口吻や鎌のような前足が襲い来るぎりぎりでファレーナを川から引きずり出すことに成功した。
「ああそうだよな畜生! 水の中にも蟲はいるよな!」
「リュー君! いいから止めて!」
「水よ、みズ、みずみず、ミズに……水に入らせてええええ!!」
「何があった!」
「分からん! 急に立ち上がったと思ったらこのような……!」
「アダンお兄ちゃん!!」
アカリはファレーナの瞳を指さしていた。
彼女の瞳には、何匹もの蟲が蠢いているのが見えた。




