霧
ツタで出来た木々をなぎ倒し、オーが姿を見せると鶯たちは駆け寄った。アダンたちは命からがら蚯蚓の沼からの脱出に成功したのだ。アダンはゆっくりと巨人の背から降り、そのままうつむいていた。
「大丈夫だった!? 怪我は?」
「……なんでだ」
「え?」
「なんでこんなところに蚯蚓の森があるんだ」
「それはわからないけど」
「なんで……グリレは死んだんだ」
アダンの一言で、ずしりと空気が重くなるのをその場にいた全員が感じた。マイの顔からは血の気が引き、ファレーナは空に向けて震える息を吐いた。アカリはオーの背中に抱きついて声を殺して泣いた。目を覚ましていたリュシオルも、焦点の定まらない目をアダンに向け押し黙った。エフィもしばし黙っていたが、やがてゆっくりと口を開き、
「グリレ君が、死んだのか」
「……蚯蚓に殺された……なんでだ、なんであいつが……ッ!」
「……わかった、もういい」
「俺がもっと、俺が……握ってたんだ、腕を……!」
「……アダン君」
「どうして俺は……俺が……グリレを……!」
「アダン!」
エフィが声を張り上げ、鶯たちはびくりと肩を揺らした。今まで聞いたことのない彼女の一喝に、アダンもゆっくりとエフィの顔を見た。
「今は避難することが先決だ。いいな?」
「……」
「いいな!」
「……ああ」
アダンが小さく呟き頷くと、エフィは彼の肩に手を置いた。そうしたままエフィは周囲の鶯たちを見回して声を挙げた。
「蟲除けの草はまだあるな、これを松明にしながら先に進もう。幸いあと数時間で夜も明ける。マイ、アカリ、ファレーナを頼む。リュシオルはもう大丈夫だな。オーとアダン、それから私は荷物の整理だ。よし、皆頼むぞ!」
エフィの明瞭な指示に全員が少しだけ規律を取り戻し、各々指示に従い行動に移った。だが、数秒もしないうちにマイが足を止めた。
「コーラカルさんは? さっきまで居たよね」
彼女の小さな呟きに、全員が視線を左右に振るが、コーラカルの姿は見えなかった。アダンが彼女の名前を叫ぶと、仲間たちもそれに倣った。何度目かの呼ぶ声に、小さな返事が返ってきた。声の方角を向くと、コーラカルが静かに闇の中から現れた。
「無事か!」
「はい、どこも傷ついておりません」
「よかったあ……」
「君は一体どこにいたんだ」
エフィの問いかけに、コーラカルは無表情で答えた。
「グリレ様を弔っておりました」
「それだけのために蚯蚓の森へ入っていったのか! なんと馬鹿な! グリレ君だけでなく、キミまで失うことになるところだった!」
「はい、軽率な行動でした。申し訳ありません」
コーラカルは抑揚のない声でそう言うと、深々と頭を下げた。マイは頭を下げる彼女の傍らに立ち、なだめるような視線をエフィに向けた。
「……ああ、いいんだ。君のお陰でグリレ君も少しは報われたことだろう……ありがとう。さて、これで全員揃ったな、準備ができ次第すぐ移動だ!」
エフィは再度声を張り、鶯たちを鼓舞した。彼らは心身ともに疲弊しきっていたが、その声に乗って準備を進め、数分後には出発した。
蚯蚓の沼の成長速度は異常であり、少し歩みを止めるだけで背後からかすかにツタの木々が伸びる音が聞こえ始めるほどだった。背後から迫る音から距離を取ろうと歩を進めるが、時折前方に突如として沼の木々が現れ、その度に進路を変えざるを得なくなった。
アダンたちは蚯蚓の沼から逃げるように一晩中歩いた。しだいに空には雲がかかり、月の明かりもなくなった。手にしたたいまつの明かりに蟲が寄って来たが、虫除けの草の効果もありほとんど損害なく撃退することができた。
夜通し歩き続け、曇天の向こうに太陽が昇り始めた頃、蚯蚓の沼は遥か後方に見える程度まで距離が開き、辺りにも蟲の姿はなくなった。
だが、先陣を切っていたアダンたちは、前方に巨大な水面を見つけた。蚯蚓の沼を避けるように進んだため、行きとは違う道を進んだことが原因だった。目の前に広がる水面は川なのか湖なのかはわからなかった。
いつの間にか深く霧が立ち込め、視界が急激に悪くなっていく。後方の蚯蚓の沼どころか、アダン達の背後に居る鶯たちの姿も見えなくなってしまった。だが、背後から荷車を引く音が僅かに聞こえる事から、無事であることは間違いなかった。
「泳いでは……渡れないよね」
マイは双眼鏡で霧の先を見ようとしたが、濃い霧に阻まれた。隣でアダンが見ている手帳に描かれた地図――死んだシガールのものだ――は簡素なものであり、水の幅までは分からなかった。
アダンが手帳をしまうと、リュシオルが石を拾って山なりに投げているのが視界の端に見えた。霧の奥でぽちゃんと水音が聞こえ、水幅は数十メートルではきかないだろうという事が分かった。水深もかなりありそうだった。
「……橋か何かないか見てくる」
「アダン、大丈夫?」
「ああ……お前はエフィたちの所に戻ってくれ。少し休憩しよう」
「あんたこそ休憩しなよ」
「俺なら大丈夫だ」
「そんな憔悴した顔で言われてもね。変に無理されるとこっちも気を遣うんだよ」
「大丈夫だ、ちょっと見てくることぐらいできる」
「変なところで頑固だよな……マイ、とりあえずエフィに伝えてきてくれないか」
「でも……」
「僕もついていくから大丈夫だ。今ファレーナはあんな状態だし、小回りの利く戦闘員がいないとあっちが危ない。何かあったら大声で助けを呼ぶ。僕の情けない声を聞いたらすぐ来てくれ」
リュシオルが皮肉っぽくそう言うと、マイは瞬時ためらったがやがて了承した。彼女は「気を付けて」と言い残してエフィたちの元へと戻っていった。
「さ、行こうか」
「リュシオル、お前は大丈夫なのか」
「どうだかね、少なくとも君よりは健康だよ」
リュシオルは女性じみた眉を寄せてそう言うと、武器を構えて先に立って歩き始めた。アダンは僅かに口角を上げると、リュシオルを追い越すように速足で歩き始めた。




