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月明かり

 アダンは駆け出していた。


 鶯たちは彼の背に向けて何かを叫んだが、アダンは「俺が探す」と叫び返すだけで足は止めなかった。マイは咄嗟にアダンを追いかけようとしたが、突如現れた蟲たちが鶯たちを取り囲み、それに応戦するうちアダンの背は見えなくなっていた。


「アダン!」

「私が追いかけます」


 耳元で囁かれたような、直接頭に語りかけられたような。そんな奇妙な響きのコーラカルの声に、マイは辺りを見回した。視界の端に闇に駆け出すコーラカルの姿が見えた。

 マイが止めようとそちらに乗り出した体に向け、蟲が針を突き出した。マイは体を捻ってかわし、そのひねりを利用して勢いをつけた拳で蟲を叩き潰した。籠手に着いた体液を振り払い、闇に目を向けたが、すでにコーラカルの姿はなかった。


「く……ッ!」


 マイは二人を追いかけたかったが、ここには負傷したファレーナと気を失っているリュシオルも居る。皆が万全の状態なら自分ひとりいなくともどうにかなったかもしれないが、今自分が離脱したらどれだけ被害が出るか分からない。

 グリレのことはひとまず二人に任せ、ここを乗り切ってから追いかけよう。マイは決心すると飛びかかる蟲の一匹を殴り飛ばした。


「おいグリレ! どこだ!」


 先ほど見張りを交代した集落の入口で、アダンは闇に向かって叫んだ。彼の足元には数匹蟲の死骸が転がっているが、人間の死体は無い。


「う……」


 アダンは腕に痛みを感じ、反射的に手をあてるとじくりとその痛みが増した。腕に当てた手を見てみると僅かだが血がついていた。今倒した蟲たちの攻撃がかすっていたようだ。だが、そんなことを気にしている場合ではない。


「くそ……どこだグリレ!」

「落ち着いて下さいアダン様」


 突然真横から聞こえた声に、アダンは飛び退き蟲の体液の剣を構えた。だが、声の主がコーラカルだと気が付くと構えを解いた。


「お前なんで……危ないだろ」

「私のことはいいのです、それよりグリレ様です」


 コーラカルは美しい顔のまま、眉一つ動かさずに前方の闇に手を差し伸ばした。


「あちらの方角へ走っていかれたようです」

「分かるのか」

「……お急ぎください、まだ間に合います」 


 アダンは信じるべきか瞬時考えたが、それ以外手掛かりもない。アダンはかがり火に使われていた木材を一本引き抜き、コーラカルの手が示す方へ駆け出した。ついてこようとするコーラカルに「お前は戻れ」と叫び、闇の中へと駆けて行った。


 手にした僅かな明りだけで闇の中を突き進んでいく。背後から聞こえる仲間たちが戦う音、蟲の羽音、その中に僅かに別の声が交じった。グリレの声だ。前方の闇の中から聞こえる、グリレの裏返った絶叫を頼りに、アダンは暗闇の中を駆け抜けた。

 徐々にグリレの声が近づき、あと少しだというところでずるりと地面が滑った。アダンは咄嗟に前方の木に掴まり、転ばずに耐えた。


「これ、は……」


 自分が掴まった木はツタを繋ぎ合わせたような歪なものだった。そして沼地のようにぬかるむ足元。間違いない、蚯蚓ミミズの沼だ。

 先ほどまで休んでいた集落は行きも通った場所だとアダンは記憶していた。だが、その時はここに蚯蚓の沼などなかった。新しく出来上がったのか、それとも以前避けて通った沼地が広がったのか。どちらにせよ、この中には肥満体の人間の上半身のような形状で集まった蚯蚓が、獲物を求めて待ち構えている。


 アダンの前方に広がっているのは、熟練の蟲狩でも避けるほどの危険地帯。

 だが、森からはグリレの声が聞こえる。迷っている暇はなかった。


 アダンは目印になるものを探したが、持ってきていた明りは地面に落ち、火は消えていた。アダンは籠手から蟲の体液をひも状に錬成して入口の木に括り付け、それから自身の腰の辺りに巻き付けた。

 呼吸を整えているうち、月明かりが降りてくるのが分かった。頭上を見上げると、僅かな雲の切れ間から月が覗いていた。アダンはそれを吉兆と捉え、月に雲がかかってしまう前に森に飛び込んだ。


「はあ、はっ……!」


 アダンは月明かりの中、グリレの声を頼りに蚯蚓の沼を進んでいく。ツタが絡まり出来た木々はその僅かな光すら遮り、足元はぬかるんでいて動きにくい。一刻も早くグリレを見つけ出さなければならない。

 不意に、グリレの声が聞こえなくなった。アダンは悪い予感がぞわりと背中を駆けあがってくるような気がした。背を上ってくるそれを振り切るようにアダンは足走った。グリレの声が聞こえていた方角に、月明かりに照らされた空間が見えた。

 木々を押し分けその広場に駆け込むと、前方にうずくまる人影が見えた。黒い外套に血汚れの白いエプロン、逆立つ黒髪。間違いなくグリレだった。


「よかった、グリ――」


 アダンはグリレの姿を見つけたことで、ほんのわずかに気を許してしまった。うかつにも近づいていったアダンの首に向けて、グリレの巨大なノコギリ刃の包丁が振りぬかれた。


「――っ!」


 首が跳ねられる寸前にアダンは身を翻した。ぬかるんだ地面でうまく着地ができず、滑って横倒しになったアダンの頭に向けてもう一度グリレの得物が振り下ろされる。かわせない、そう判断したアダンは手にした体液の剣でグリレの攻撃を受けた。刃が交わり、火花が散った。


「グガァアア!」


 振り下ろしたノコギリ包丁に体重がかけられ、アダンの体がぬかるみに沈んでいく。ぎりぎりと火花を散りらしながら少しずつノコギリの刃がアダンに近づいてくる。


「うぐ……あああっ!」


 アダンは力を振り絞り、グリレの腹部を蹴り上げた。一瞬力が弱まった隙に刃を押し返し、突き飛ばし、アダンは後方に体を回転させ体勢を立て直した。グリレもすぐにぬかるみから立ち上がると、両の手にノコギリ包丁を構えてアダンに殺意のこもった眼差しを向けた。

 グリレはアダンよりも体格が勝っている。その上、蟲頭の視線で狂わされた頭は自身の体が壊れるのも厭わず、目の前の生物を殺すために四肢を動かす。果たしてそんなグリレを殺さずに、そして殺されずに切り抜けることができるだろうか。いや、やらなければならないのだ。


 アダンは剣を握りしめ、覚悟を決めた。

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