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笑った方がいい

アダンが目を覚ましたのは、数日後の夜だった。


 視界の端に映る明りに目を向けると、赤く揺らめく火が見えた。その焚火の上に置かれた鍋からは漂う湯気が鼻をかすめ、アダンは空腹を感じた。起き上がろうと体を起こすと、凝り固まった体の節々が音を立てた。


「あ……おはよう……もうこんばんは、かな」


 鍋をかき混ぜていたマイは調理器具から手を離し、アダンに笑いかけた。その顔は疲れが滲んでおり、アダンはいい笑顔だとは言えなかった。マイの傍らにはもう一人横たわっている人影が見えた。片腕がない。服装や体つきからみるとファレーナだろう。


「……ここはどこだ」

「場所は良く知らないけど、帰ってる途中よ」

「……何があった」

「別に何も。私とあんたが倒れた後、私はすぐ起きたんだけどあんたは全然でね。みんなで隊長を埋葬して、あんたを荷台に乗せてここまで来た、そんなとこかな」

「そう、か……」

「ああ、それと――」


 マイの言葉は遠くから聞こえた声で遮られた。なにか言い争うような声。その荒々しい声は徐々に近づいてきた。焚火の明かりに人影が照らされ、リュシオルとグリレがコーラカルの手を引いてるのが分かった。その後ろにはエフィの姿も見える。


「おい! よさないか!」


 エフィの声に、リュシオルは振り返って声を荒らげた。


「なんでだよ! 全部こいつが……!」

「どうしちゃったのリュー君にグリレまで……コーラカルさんを離して」

「どうしたって、考えてもみろよ! 全部こいつのせいじゃないか!」

「そうだ、み、みみみんなこの女のせいだ!」

「リューちゃんもグリレちゃんも……落ち着かなきゃ、だぁあめ、よ……」

「そうだとも、今そんなこと言っている場合ではないだろう!」


 女性二人になだめられたが、グリレたちの勢いは止まらなかった。


「あ、あああっあんな大きな蟲見たことなかっただろう? な、なななんでこの女が現れてから急にあんなのが出てきたんだ? こ、ここっこいつが蟲を操ってるんだ!」

「おい、話が飛躍しすぎているぞ!」

「話が飛躍してるのはこの女もだろう!」

「そ、そそそそそうだよ!」

「グリレ」


 唾を飛ばし、喚き散らすグリレたちの言葉をアダンが遮った。


「な、ななななんだよアダン」

「このスープお前が作ったのか」

「そ、そそそそうだけど今はそんな……」

「うまいよ」

「な、ななななんだって?」

「このスープ、うまい」


 アダンがスープを鍋からすくって口に含む様子を見て、リュシオルは眉間のシワを深めた。


「……一体お前は何を言ってるんだ?」

「そ、そそそうだ、いまスープの味なんて……」

「初めて会った時、コーラカルはお前の料理をうまいって言ってたよな。俺は、お前の料理をうまいと言ってくれる奴を疑いたくはない」

「あのなアダン、それとこれとは話が全然ちが……」

「けんか、してるの……?」


 小さな少女の震える声に気が付き、リュシオルは言葉を止めた。地面がわずかに揺れるような足音を立てて巨人が近づいてくると、少女は巨人の背から飛び降りた。その目には今にもこぼれ落ちそうなほど涙が溜まり、そんなアカリを見て巨人も悲しそうに小さな唸り声をあげた。


「わたし嫌だよ。隊長さんがいなくなって悲しいのに、それなのに……みんながけんかしてるの、やだよ……」


 アカリが嗚咽を漏らしながらそう言うと、マイが手を広げて彼女を抱きしめた。しゃくりを挙げて泣き始めたアカリに、グリレとリュシオルは毒気を抜かれた様子だった。急に自分たちの言動がいたたまれなくなり、コーラカルから手を離して二人はその場に立ち尽くした。エフィが「今日はもう休もう」と声をかけると、彼らは黙って頷いた。


「おいグリレ、リュシオル」


 アダンは力なく立ち去る二人の背中に声をかけた。二人が同時に振り向くと、「このスープほんとにうまいぞ」と無感情な声で伝え、続けてアダンはリュシオルに向けて籠手のつけられた腕を差し伸ばし、「あとな、こいつがなかったら俺も死んでた。ありがとうな」とまたしても抑揚のない声で言った。

 そんなぶっきらぼうな気遣いでもグリレとリュシオルは救われたようで、二人そろってぎこちなくはにかんで別の焚火へと立ち去った。エフィは安心したかのように深くため息を吐くと、見張りへと戻っていった。その間にアカリも泣き止み、「アカリちゃんも休んで」とマイに促され、巨人の膝の上に座って焚火を眺めていた。


「……ありがとうございました」


 何も言わず立っていたコーラカルが口を開くと、アダンは無言で「気にするな」と言うように手を振った。それから顎で座るように促すと、彼女は小さく頷き焚火の傍に腰掛けた。


「正直、俺もどちらかと言えばグリレたちと同じ気持ちだ」

「あ、アダン……」

「マイ様、いいのです……当然の反応です。もっと早くに私の記憶が戻っていれば……」

「いつ聞いても同じことだ。お前の言ってることは何一つわからん」

「……はい」

「ただ、皆が争っているのを見るのはアカリと同じで俺だって嫌だ。皆には笑っていてもらわないと困る」

「結局そこに落ち着くわけ?」


 マイの言葉に、その場にいたファレーナやアカリが僅かに頬を緩ませた。笑顔と言うにはあまりに僅かな表情の変化だったが、落ち込み、暗く沈んでいた空気かほんのわずかに緩和されたように思えた。アダンはマイの傍らに横になっているファレーナに目を向けた。


「無事かファレーナ」

「無事に見えるのかしら~?」


 彼女は肩までし膨らみのない袖をひらひらとさせ、皮肉っぽく笑った。アダンが大真面目な顔で「思ったよりは」と答えると、ファレーナは歯をみせた。


「貴方のそういうところ好きよ~」

「ありがとう」


 ファレーナはもう一度笑おうとしてせき込んだ。簡単には治まらず、苦しそうに何度も呼気を吐き出した。マイが背中をさすると徐々に収まっていった。苦しさを顔に残しながらも、ファレーナはもう一度無理して歯を見せた。


「……これから、片手で裁縫できるよう練習しなきゃね~」

「俺の外套使っていいぞ。笑顔の刺繍でいっぱいにしてくれ」

「それはちょっと怖そうね~」


 アダンの言葉にファレーナは小さく笑うと、ゆっくりと目を閉じて黙ってしまった。片腕を失っているのだ、休ませるべきだろう。そう判断したアダンは彼女の事はマイに任せ、焚火の向かいに座っている巨人に近づいていった。


「オー、アカリ、二人も大丈夫か」


 巨人がいつもの通り低い唸り声を返した。その体にはところどころ傷があり、包帯には異形の青い血が滲んでいた。その巨人の膝の上に座るアカリは、なにも答えずに焚火を見つめていた。その顔は疲れが滲み、目は赤く泣いた跡が見て取れた。


「皆どうして隊長さんがいなくなちゃったのに泣いてないの?」

「それはそうだろう」


 アダンが何でもないという風にそう言うと、アカリは顔を上げた。


「そんな、ひどいよ……」

「泣くよりも笑った方がいいだろ」


 アダンはそう言ってアカリの小さな頭に手を置いた。アダンは無表情だったが、その手は温かかった。彼女の顔色は少しだけ良くなり、オーもそんな主人の様子を見て嬉しそうに唸った。アダンはアカリの頭をぽんぽんと撫でてから元の位置に戻り、マイの隣へ腰掛けた。


「そういえばマイ、さっき何か言いかけてたがなんだ」

「え、ああ。これ……隊長の剣。あんたが持ってた方がいいんじゃないかなって。剣が使えるのはあんたくらいだし」


 マイに大きな碧色の剣を差し出され、アダンは「ああ、夢じゃなかったんだな」と思った。自分のすぐ横でシガールが貫かれたのも、自分の腕の中で死んだのも現実の事だったのだ。

 そんなことは分かってはいた。だが、なんとなくうっすらとだが、シガールは本当は死んでいなくて、暗闇からひょっこりと現れるのではないか。そう思っていたが、アダンは今はっきりと実感した。


 シガールは死んだのだ。

 もう二度と、会うことは無い。


 アダンは碧色の大ぶりの刀を手に取った。ずしりと重いそれは、鶯の中での彼の存在の重さを表しているようだった。アダンはその重さを噛み締めるように目を閉じた。マイはアダンに刀を手渡すと、アダンの隣に座った。


「あの、さ……あんたが無事でよかった。ほんとに」

「お前も無事でよかった」

「……あの時、私がもう少し早ければ隊長は助かったのかな」

「それを言うなら俺だ。俺がもう少し気を張っておけば……だが、言ってどうこうなるものじゃないだろ」

「そう、なんだけどさ……」


 マイはそれだけ言うと、後は言葉を発さずに焚火を見つめていた。アダンは小さく「マイ」と声をかけ、顔を向けた彼女の頬を指で釣り上げた。


「なにひゅ……」

「笑ったほうがいい」


 マイは瞬時固まった後、怒りと呆れの色を顔に出し、それから笑った。

 焚き火を囲む皆も今度はちゃんと笑う事が出来た。


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