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疼き

 駆けつけたのは鶯の一員、マイだった。


「大丈夫⁉ なにこいつ殴ってよかったの⁉」


 マイはよろめきながら立ち上がろうとする蜻蛉トンボを見て、叫んだ。立ち上がった蜻蛉の複眼の兜は歪み、ひび割れていた。


「殴っていいか、ダメかだけ教えて!」

「ぶん……殴れ!」

「了解ぃ!」


 答えるやいなやマイは駆け出し、よろめく蜻蛉の鳩尾に拳を叩きこんだ。衝撃でくの字に曲がった蜻蛉の体に、重い機械音と共に間髪入れずに衝撃が走り、吹き飛んだ。 

 殴打の衝撃で碧石を纏わせた杭が飛び出し、蜻蛉に突き刺さった。蜻蛉は羽ばたき体制を立て直したが、胸板の甲殻は砕けて剥がれ落ち、赤錆色の体液を滴らせていた。


『痛ぇ……痛ぇじゃねえか……ふざけんじゃねえよ!』


 放たれた尾の一撃をマイは両の拳で受けた。吹き飛ばされ、地面を転がるマイだったが、蜻蛉の尾の甲殻の一部は歪んでおり、そこから体液が噴き出した。マイは蜻蛉の尾にしっかりと杭が撃ち込んでいた。


『ぐ、お……!』

「まだまだぁ!」


 マイは立ち上がり、蜻蛉に向けて駆け出した。蜻蛉は体を捻り、自身の尾で地面を薙ぎ払った。石の床が尾の軌道そのままにえぐり取られる。

 蜻蛉の尾は丸太の様に太く、横に薙いで攻撃すればかわせるはずがない。そう考え歪んだ笑みを浮かべる蜻蛉の、その視界からマイは消えた。歪んだ笑みは消え失せ、目を見開いた蜻蛉の顔に、マイの拳がめり込んだ。


「ッだぁああああ!」


 マイは叫び、拳を振りぬいた。蜻蛉は殴られた衝撃でぐるぐると旋回し地面に落下し、マイは転びそうになりながらも着地した。その脚元にあいた小さな穴。マイは振るわれた尾をかわすために地面を殴打し、飛び出す杭の衝撃で飛び上がり蜻蛉の視界の外へと逃れたのだ。


『こん、の……!』

「ほら、立ちなさいよ羽虫!」


 マイは拳をがちんと何度も打ち付けながら、自身を鼓舞するように大声を張り上げた。先ほど尾の一撃をかわしたのは咄嗟の思い付き、もしあれがなければもろに喰らって致命傷になっていたかもしれない。マイはそれをしっかりと理解しているが故に、挑発するような言葉で自身を奮い立たせた。

 奮い立った体の熱そのままに、マイはもう一度殴りかかったが、蜻蛉は飛び上がってかわした。頭上の蜻蛉の複眼のような兜は既に粉々に破壊され、その憎悪に満ちた暗緑色の顔が顕わになっていた。


『調子にのんなクソアマがよ!』


 蜻蛉は尾での攻撃をやめ、先ほどとは比べ物にならない速さで動いた。マイはアダンを守るように立つと、蜻蛉の動きを目で追おうとした。だが、蜻蛉の速さは際限なく上がり、とても肉眼では捉えられなかった。

 腕を上げて蜻蛉の攻撃を拳で迎撃するマイの体が、蜻蛉の攻撃の衝撃で左右に激しく揺さぶられる。徐々に防ぎきることができなくなり、マイの体から血が飛び散り、アダンの頬にその血が飛んだ。アダンも立ち上がろうとするが、まだ体は動かなかった。


『どうしたクソアマがよ! あぁ!?』

「うっ……あっ!」


 アダンは立ち上がろうと体に力を込め、足に鈍い痛みを感じた。大型の蜻蛉の体液が飛び散った傷跡だ。鈍い痛みは徐々に熱いうずきへと変わっていった。心臓の鼓動に呼応するように、その疼きは高まり、体の痛みが引いていく。


『さっさと諦めんだよぉ!』

「あ……ッ!」


 防ぎきれなかった尾の一撃がマイの頭部に打ち付けられた。殺しきれなかった威力はマイの体力を削り取り、マイはがくりと膝を折った。蜻蛉は歪んだ笑みを浮かべて地に降りると、尾を引いた。ぎりぎりと音を立て、まるで矢のように引き絞られていく。

 このままでは、マイがシガールのように殺される。必死で体を動かそうとするアダンの目の前に、碧色の何かが滑ってきた。滑ってきた方角を見ると、シガールが手を指し伸ばすような恰好をしているのが遠くに見えた。自身の刀剣をアダンの元へ放ったのだ。アダンは手を伸ばし、その刀剣を掴み上げた。


『くたばりやがれよぉ!!!』


 脚の傷口が熱くうずき、視界が一気に開けた。

 膝をつくマイの喉元に向かって、鋭利な尾の先端が迫っている。

 その動きはゆっくりで、まるで世界が止まったような感覚。


「――!!!」


 アダンは立ち上がり手にしたシガールの刀で、尾を跳ね上げた。ゆっくりと火花が散り、尾の軌道がずれ、マイのはるか頭上を通り過ぎていく。尾の先端がマイの頭を越えたところで、世界の速度が戻った。蜻蛉の尾が壁に突き刺さる。


「え……?」

「な……!」

『あぁ……!?』


 その速さに蜻蛉も、マイも、シガールも、アダン自身も驚いていた。人は死に瀕すると常態では考えられない力を発揮するとは言うが、それで納得できるものではなかった。

 アダンは足の熱、その疼きに体を任せた。気が付けば蜻蛉の正面に居たはずのアダンは、彼の背後にいた。シガールの刀を構え、その刃には赤錆色の液体が滴っていた。


『なんだ今のは     よ――』


 蜻蛉の首が、ずるりと地面に落ちた。

 

 また起き上がるのではないか。

 アダンとマイは油断なく蜻蛉の様子を見た。

 だが、蜻蛉はついに立ち上がることは無かった。


 アダンたちは、勝ったのだ。

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