外身
「な…にが……!」
シガールの口から血が吹き出し、その血で赤く染まった体が持ち上げられていく。シガールは呻きもがいたが、どうすることもできないまま乱雑に放り投げられ、壁にぶち当たりそのままずるずると地面へ倒れ伏した。
「シガール!!」
『あ~あ……こんなにしてくれやがってよ』
シガールを貫いた物体が戻る先を目で追うと、誰もいなかったはずの背後、蜻蛉の亡骸の傍に何かが立っていた。
それは人の形をしているが人ではなかった。顔の上半分は兜のように丸い複眼のような部位であり、その下に除く人間らしき口元も暗い緑色で、人間とは似ても似つかない。その上、背中には二対の羽、シガールを貫いたものはこの者の細く長い尾のような物体だ。
まるで、人の形をした蜻蛉だった。
「なんだお前は!」
『けっこうこの外身気に入ってたんだがよ……あーあもう使えねえよ』
人型の蜻蛉はアダンの問いかけには答えず、不自然に重なるような声色でそう言うと、蜻蛉の亡骸を足でつついた。人型の蜻蛉は髪をかき上げ、不気味な笑い声をあげた。
『ほんと、見た目グロくて最高だったのによ』
「誰なんだお前は!」
『わめくな人間砲弾くん。まさか俺の背中にあんな方法で乗っかってくるなんてよ……正直、おめえのその感じ嫌いじゃねえよ』
「なにを言っている!」
『わかんねえ野郎だな。俺がこの蜻蛉の中身なんだよ!』
何を言われているのか分からなかった。なぜ蜻蛉が、蟲が人間になるのか理解などできるはずもなかった。アダンが刀剣を構えると、蜻蛉人間は再び不気味に笑った。
『おいおいやる気か。さっきも言ったがこれは俺の外身、中の俺はそこまで損傷はねえんだ。ぼろぼろのお前に何ができるんだよ』
先ほどまで対峙していた巨大な蜻蛉に感じていたものとは別種の恐怖に、アダンの体は震えた。蜻蛉の巨体からにじみ出ていた殺気や威圧感のようなものが、意思を持って自分に向けられているような感覚。それでもアダンは震える自分の腕に力を込め、無理やり黙らせた。
『ま、やるってんなら構わねえよ。俺のお気に入りの外身ぶっ壊してくれたお礼もしなきゃだし……よ!!』
蜻蛉人間が前に体をたたむと、背後からシガールを貫いた尾が飛び出してきた。アダンはそれを防ごうと刃を交えるが、人ならざるものの尾はアダンを簡単に吹き飛ばした。
アダンの剣は簡単に砕かれ、アダンはシガールが飛ばされた反対の壁に叩きつけられた。脳内の麻薬がごまかしきれない痛みがアダンの背面を襲い、内臓に到達する。アダンは地面に倒れたまま、必死に呼吸した。埃と石レンガ、それに自身の血の臭い。
ぼやけた視界に映る蜻蛉人間は、体格はアダンと違いはなかった。だが、その力は先ほどまで戦っていた蜻蛉そのままだった。蜻蛉は人間に似た口を歪ませると、折れたアダンの刀剣を拾い上げ、金属を引き裂くような、高く耳障りな声で笑った。
『お前のこれ、面白ぇよなあ。蟲共の体液をこんな風に……あ~らら、溶けちまったよ。なんだよつまんねえなあ、お前の手から離れると使えねえなんてよ』
蜻蛉は手に着いた体液を払うと、アダンに歩み寄った。複眼部分の上部から生えた髪の毛の様な部分を撫で、アダンの腹を無造作に蹴り上げた。細い足から想像もできない衝撃が、アダンの腹部を突き抜けた。その衝撃はアダンの体が蜻蛉の腰のあたりまで浮くほどだった。
だが、アダンは落ちる寸前に棘を生成し、蜻蛉の足に突き立てた。足を覆う甲殻、その隙間を通すように突き立てられた棘は、蜻蛉の足を甲から貫いた。
『いっでえ! なにしやが――』
アダンは素早く体制を立て直しもう一度剣を生成し、蜻蛉の首元、人間の面影を残すそこに刃を振りぬいた。だが、一瞬早く蜻蛉の尾が刃を防いだ。甲殻と刃が擦れ、火花が散る。その中で二人の血走る視線がぶつかり合う。
『おいおいそこは危ねえよ、こんなナリでも一応生き物なんだからよ……!』
「そうか、首をすっ飛ばせば殺せる……わけだな……」
『やれるもんなら……なあ!』
アダンを吹き飛ばそうと蠢く尾を受け流そうと試みるが、わずかにずらしただけの衝撃は腕の筋繊維を引き裂き、骨がきしむ。それでもアダンは剣を振るった。
アダンはもう一振り剣を生成し、蜻蛉の複眼部分に突き立てた。だが、蜻蛉の時とは違い刃は通らず、わずかな傷をつけながら複眼の表面を滑るのみだった。先ほどのように目に当たる部分は柔らかい筈だとアダンは判断したようだが、間違いだった。
『さっきから痛ぇじゃねえか……よぉ!』
蜻蛉の尾は更にうねり、蠢き、アダンに襲い掛かった。荒れ狂う尾の攻撃をかわし、いなし、蜻蛉の柔らかい部分、人間の部分を狙って刃を振るう。だが、蜻蛉も自分の弱点は熟知している。巨大な尾を自分の弱点を守るように動かし、甲殻に守られた四肢でアダンの攻撃を防いでいた。
その拮抗は一分と続かず、再びアダンが窮地に陥った。蜻蛉は羽を利用し、機動力を上げた。人ならざる動きと不規則な尾の攻撃が合わさり、もはや人が対処できる範疇になかった。
『どうした! どぉおしたんだよぉお!』
「ぐ……!」
アダンはもともと満身創痍の身であり、無理やり動かしていた体がついに限界を迎えた。アダンが僅かに足をもつれさせた。そしてそれを見逃す蜻蛉ではなく、顔を歪めてアダンの脇腹に尾を振るった。丸太の様な尾が鞭のようにしなり脇腹に振りぬかれる。骨が折れる音と激痛。アダンは吹き飛び転がり、口から血を噴き出した。
「が…ふ……!」
地面に倒れ伏すアダンに、更に尾の一撃が振り下ろされ、アダンは虫けらのようにつぶされた。アダンはとっさに体液で盾を生成していたのだが、蜻蛉の一撃を防ぎきることはできなかった。砕かれた盾の赤錆色の破片の中で、アダンは呻いた。
「……が……ぐ……!」
『ちっ…またそれかよ……さっき蹴り上げた時もそれで防いでたよな?』
自分の問いかけにアダンが答えずにいると、蜻蛉は地面へと降り立った。しばしそこで立ったままだったが、アダンが動けないでいるのを見ると、顔を歪めて笑った。その顔のままアダンへと歩み寄り、その途中で足を止めた。
『おおっと、さっき見たいな不意打ちはごめんだ。こっから、安全な位置から、お前の腹に穴開けてやるよ……あっちに転がってるお仲間みてえによ……!』
しゅるりと尾が蜻蛉の頭上に伸び上がり、シガールの血が残る先端の刃がきらめいた。アダンは立ち上がろうと体に力を込めるが、限界を超えた体は言う事を聞かなかった。地面でもがく半死の虫けらのようなアダンを見下ろし、蜻蛉は口角を歪ませて嗤った。
『それじゃあよ……死んじま――』
歪んだ笑みを浮かべた蜻蛉の顔が、更にぐにゃりとひしゃげた。
瞬間、蜻蛉は横っ飛びに吹き飛んだ。
吹き飛んだ蜻蛉の代わりにアダンの視界に映ったのは――。
「アダン!」
「マ、イ……!?」




