助けてくれ
助けてくれ。
それだけ言うと、見知らぬ男はこと切れた。
聖堂街へ向けて進んでいた鶯たちの目の前に突如、この男は現れた。血だらけの体でふらふらとアダンたちの元へとやってきて、先ほどの言葉を残して倒れてしまった。シガールはしゃがみこむと、倒れた男の目を閉じてやり、あたりを見回した。
「この男が来た方向には……」
「確か浮浪者の集落があったはずだけど……まさか助けに行くつもり?」
「当たり前じゃない!」
マイが進み出ると、リュシオルは大きくため息を吐いた。
「この距離で悲鳴も聞こえないってなると全滅してる可能性が高い。わざわざ碧石を無駄遣いする必要もないだろう」
「でもまだ生き残りがいるかもしれないじゃない!」
「まあまあ、マイ君落ち着きたまえよ。どうするシガール」
「……通り過ぎて背後から襲われる危険もある、ここは倒しておこう。マイ、アダンとファレーナと一緒に行け。あまり無理はするな。エフィ、援護してやれ」
シガールの言葉に従い、アダンたちは男が来た方向へと向かった。道を進み、坂を上り始めると徐々に甘ったるい臭いが鼻をついた。重く、いつまでも鼻にまとわりつくような不快な臭い。
坂を上りきると、前方に小さな集落が見えた。舗装もされていない、土の上に木や布で作られた粗末な住居が並んでいるだけの集落だった。だが、今はその住居の布は血で染まり、赤い水溜まりがいくつも地面に広がっていた。その赤い血の持ち主たちはところどころに散らばり、息絶えていた。そしてその上を蟲たちが飛び回っている。
「どうするエフィ」
「ふむ……私が射撃して注意をこちらに向けさせよう。君たちは脇から回って隙をついて殲滅してくれたまえ。ここから援護する」
「分かったわ~。じゃあアダンちゃんとマイちゃんは右からお願いね~」
鶯たちは左右に分かれ、蟲たちに気づかれないように回り込んだ。何時でも飛び出せる位置につくと、坂の上で待機するエフィに合図を送った。
エフィは折りたたまれた長銃を背中からおろすと、結合部を合わせ本来の姿に戻し、膝立ちになって構えた。ひとつ深く呼吸をして息を止めると、広場を飛び回っていた蟲に狙いを定めて引き金を引いた。発射音が轟き、碧石の粉がまぶされた弾丸が蟲たちの体を貫かれた。
「おっと、振るわなかったか……」
エフィは広場を飛び回る蟲全てを撃ち落とすつもりだったが、数匹が予想外の動きを見せ、外してしまった。そうやって銃弾から逃れた蟲や、粗末な住居に潜んでいた蟲たちが一斉にエフィへと向かった。
その蟲たちへ向かってアダンは飛び出した。腕には蟲の体液製の剣が握られており、エフィに気を取られていた蟲たちが、次々に斬り伏せられていく。空を飛ぶ蟲の最後の一匹を斬ったところで、アダンの足元の土が盛り上がった。
「アダン危ない!」
マイが叫ぶより早くアダンは飛び退いた。アダンが受け身を取ると同時に、地中から巨大な鋏が現れ、一瞬前までアダンが居た空間を切り裂いた。鋭利な刃物が交わる不快な高音の後、ずるずると巨大なハサミムシが姿を現した。
尾についた巨大な鋏を擦り合わせ、振り回し、アダンに向けて威嚇しているようだった。エフィの弾丸がその尾を狙うが、硬すぎるのか当たったところに小さく火花が散るのみであまり効果はなさそうだった。突き出された鋏を躱し、アダンも剣を振るうが甲殻の表面に傷がつくのみだった。
「硬いな……」
ハサミムシは勝ち誇ったように尾を振り、不快な鳴き声を発した――その頭がぐしゃりと潰れた。駆け寄ったマイの拳がハサミムシの頭蓋にめり込んでいた。黒い甲殻はひしゃげ、割れ、めり込み、守る対象のはずの自らの肉に突き刺さった。ハサミムシはどろどろと体液を吐き出しながら絶命した。
「よっし!」
マイが拳についた蟲の体液を振り払うと、彼女の重々しい籠手から杭のようなものが飛び出しているのが見えた。ガチンと音を立てて収納されたそれは碧石の粉が付いた杭で、マイが対象を殴りつけると同時に飛び出すという仕組みだった。硬い甲殻も難なく貫ける、鶯たちの中でも随一の威力の武器だった。
「ファレーナ、地面にもいるぞ!」
「気を付けて!」
「ええ、こっちも居るわ~」
ファレーナの足元から巨大なクモが現れた。僅かに顔を出し、毒液を噴射してまた地中へ潜った。ファレーナは素早く後退すると手にした針を振りかぶり、地中に向けて投げつけた。針は糸を通す部分を残して地面に突き立った。
「ほら出ておいで~」
つながった緑色の糸――糸と呼ぶには太すぎるが――を指ではじくと、ぴぃんと高く美しい音が鳴り、一秒もしない間に地面を揺らしながらクモが地中から飛び出した。弾かれた碧石製の糸から針へ、蟲の嫌がる特殊な振動が地中に伝わり、たまらず出てきてしまったのだ。鶯でこのような芸当ができるのはファレーナだけだ。
地中から這い出たクモは、毒液を吹きかけようとファレーナが居た方向を振り向いたが、そこに彼女はいなかった。動揺し、あたりを探そうと振られた頭がずるりと地面に落ちた。
「はい、動かない~」
状況が理解できずにうろうろと動き回るクモの体に、巨大な針が突き立てられ、碧石の糸で地面へ縛りつけられてしまった。いつの間にかクモの傍らに立っていたファレーナは、大きな鋏についたクモの体液を拭い取った。クモは身動きがとれないまま碧石の成分が体に浸み込み、絶命した。油断せずにあたりを警戒していたアダンたちだったが、これ以上蟲が出てくることは無かった。
「まさか地面の中にもいるとはね~」
「危なかった、ファレーナさんが居てよかった」
「ああ……戦闘後の笑顔もいいもんだ」
「あんたそれしか言えないの」
息を整えるアダンたちの元に、エフィが駆け寄った。
「すまない、撃ち漏らしてしまった」
「むしろあれだけ減らしてくれて助かったわ~」
「もう蟲はいないみたいだな」
「ええ、生存者を探しましょう!」
アダンたちは生存者の捜索に当たったが、それは徒労に終わった。鶯たち以外、誰一人この場所で息をしている者はいなかった。ある者は胴体を切断され、ある者は体液を吸われ干からび、ある者は原形をとどめない肉塊と化していた。
「全滅、か……」
「……間に合わなかった」
「気にしちゃだぁめ……マイちゃんのせいじゃないわ~」
「……弔ってあげていいですか」
「ああもちろん、取り掛かろうか」
アダンたちは十数名の死体をひと所に集め、血に濡れた布を被せた。それから角材を二つ縛り、簡素な墓標を作って立ててやった。
「よし、これで十分だろう」
「じゃあ戻りましょ~」
アダンは小さく頷くと、うつむくマイの背を軽く叩いて集落から離れて行った。マイはもう一度墓標を振り返ると、目を閉じて見知らぬ人々の安息を願った。
「……本当はちゃんとお墓を作ってあげたかったけど、ごめんね」
「マイ様は心の優しい方なのですね」
コーラカルの声にマイはびくりと体を揺らした。
「こ、コーラカルさん、なんでここに……?」
「見知らぬ方々のために、そこまで心を痛められるお方は多くありません」
マイの質問には答えずに、コーラカルは口を開いた。
「マイ様は優しい方です」
「……そんなことないよ、ただ……なんでだろね、誰かが困ってると助けたくなるの……でも、助けてあげられたことなんて一度か二度、そんなもんだけどね」
「……」
「アダンにさ、あんたは変人だなんて言ってるけどさ、こんな時代にこんな性分な私が一番変なのかもね」
マイは力なく笑い、「戻ろっか」とコーラカルの手を引き歩き始めた。コーラカルは掌に伝わる冷たく優しい感触に、静かに目を閉じた。