出発
「お前たちも準備はいいか」
シガールの問いかけに、アダンとマイは頷いた。彼らの背後には、薄汚れた布に覆われた大きな荷物が見えた。その周りではオドオドとした様子でシェフのグリレが食料を確認し、その他の物品を副隊長のエフィが無駄に軽やかな歩調で確認している。アダンとマイはその場を離れ、少し離れた場所で座っているコーラカルを見つけた。
「お前も準備はいいか」
「はい、特に持ち物もありませんので」
「蟲の巣があるといいね」
「そう、ですね……」
「そんな顔するなら笑え」
「大丈夫! コーラカルさんは私が守るから!」
マイが「むん!」と力を込める動作をすると、コーラカルは目を閉じ小さくお辞儀した。その様子にアダンは「笑ってほしかったな」と小さくぼやいた。それと同時に、シガールが何かを呼ぶ声が聞こえた。
大きな荷車がごろごろとこちらにやって来るのが見えた。荷車の周りには鶯の団員たちの姿があり、大きな荷車を引いているのはオーだ。巨人が引いてきた荷車と、アダンたちの近くの荷車を連結し、出発の準備は整った。アカリは巨人に駆け寄ると、「オーちゃんお疲れ」と声をかけた。
「いいかお前たち。まずは街道沿いに進んで、日が沈むまでに旧聖堂街に向かう」
「聖堂街……」
「どうかしたのコーラカルさん」
「いえ、なにか聞き覚えが」
「そっ、それは悪い意味で、かっ、かな?」
「ま~聖堂街ならだれでも聞き覚えはあるよね~」
「かつては優秀な蟲狩りが常駐していたそうだからね!」
「それが今や廃墟ばかり、諸行無常だねえ」
「ともかく、今日はそこを目指すぞ。そこで一泊したら、前々回の遠征で開拓した中継地を経由して行く。目的地には一週間もかからず着くだろう。それでいいな、出発するぞ!」
アダン、シガール、マイ、リュシオル、エフィ、ファレーナ、アカリ、オー、グリレ。それにコーラカルを合わせて10名が遠征へと出発した。小規模な部隊であったが、誰もが熟練の蟲狩であり、誰の心にも大きな不安はなかった。それが証拠に、出発して早々に雑談が始まり、誰もそれを咎める事はなかった。
「あーもう疲れたよ、荷台に乗っていいかい」
「リュシオルちゃんだぁめ♪ オーちゃん疲れちゃうでしょ~?」
「僕一人乗ったくらいで差があるもんか……」
「申し訳ありません、私が歩きましょうか」
「気にしなくていいよコーラカルさん、リュー君いつものことだから」
「本当にリュシオルは体力がないな!」
「シガール! 君は体力がありすぎるがね!」
長い旅路もまずは目的地が近いこともあり、そこかしこで笑いあう声が聞こえ始めた。コーラカルは無表情のままだったが、心の中に温かな感情を覚えていた。
「グリレ、今日の献立なに?」
「せっ、聖堂街では、ろっ、ローストビーフを……」
「日っ曜♪ あつあつロースト・ビーフ♪」
グリレの言葉を遮り、アカリが歌を歌い始め、皆がそれに乗った。
日曜あつあつロースト・ビーフ
月曜日には冷え切って
火曜になったらコマ切れだ
水曜残りは挽き潰し
木曜カレーで匂い消し
金曜日にはスープの出汁
それでも肉が残ったら
土曜でとうとうカテッジパイ
歌い終わった鶯の一団は一斉に足を止めた。不思議に思ったコーラカルが体を傾け前を覗き見ると、シガールが手を上げて拳を握り、停止の合図を出していた。シガールが刀に手をかけると、先ほどまでの喧騒は一気に静まりかえった。全員己の獲物を手に鋭い視線を周囲に向けた。オーが引く荷車に背を向け合う形で、鶯たちは周囲を警戒した。
少し奇妙なのは、シガールが目を配る方向を見ている団員は誰一人としていないことだった。彼が臨戦態勢に入っている以上、前方の蟲は彼が蹴散らしてくれる。屈強な鶯の団員たちにそう思わせるほどの信頼と実力がシガールにはあった。
アダンもまた、シガールとは違った方向に注意を向けていた。戦闘経験の少ないリュシオル、戦闘能力のないアカリやコーラカルを庇うように前にでていた。
シガールの前方の茂みがざわめき、不気味な羽音と共に蟲が数引き飛び出した。その直後、シガールは背にした刀を引き抜くと同時に振るった。刃が空気を震わせる音の後、蟲達は地面に落ちた。シガールは蟲に歩み寄り、刃を付き立て止めをさした。しばしの静寂の後、鶯たちはシガールに賞賛の声を送った。
「さすが隊長」
「それほどでも、あるな!」
「これでスケベでなかったら最高なんですけど」
「そんなこと言うなよ傷つくぞ!」
シガールの武器は碧石の塊をそのまま刀に鋳造した特製の武器だった。高純度の碧石はその成分を一気に蟲の体内に送り込み中毒症状を引き起こし、絶命させる。極めつけは今シガールが見せた技だ。この刀を勢いよく振る事により、碧石の成分を散布、蟲の動きを鈍らせ、弱い虫ならそのまま絶命してしまう。むろん刀剣としての切れ味や耐久性も十分にある代物だった。
「それにしてもよく一つの武器にあんなに碧石つかえたね」
「知らないのかいマイ」
アダンの言葉をリュシオルが遮り、ぺらぺらと喋り始めた。
「かつて巨大な碧石の鉱石が採れた時、『街の守り神の像にしよう』『人類の発展の象徴として町の中心にモニュメントを作ろう』などという気のふれた意見が貴族やカルト教団から出たんだ。そんな時、当時から自警団長だったシガールが民衆代表として使用目的の会議に出席、貴族や教団幹部に「力の象徴にするなら武器にするべきだ」と主張したんだ」
話し続けるリュシオルに「よく許しが出たもんだな」とアダンが相槌を打つと、彼はさらに得意げに続けた。
「そこはシガールの話術さ。どうにかなだめすかして説き伏せ、刀の形にさせたんだ。そしてそれを半ば強引に武器として使用したってこと。当然、貴族や教団関係者は激怒したけど、シガールはその武器を使って蟲たちを次々と葬り、現在の位置まで人間の支配域を拡大させた。更に刀を作る過程で出た碧石の粉末や欠片で、部隊の装備や民衆の蟲除けの装置も大量に作成できたため、民衆を救うことに大きく貢献した。ってとこだね」
リュシオルは自慢するようにそう言うと、シガールの元へと駆けていった。
「なんなんだあいつ」
「リュー君なんだかんだ隊長の事大好きよね」
立ち去るリュシオルの背を見ながら、マイが少しだけ笑うと、すかさずアダンが「いい笑顔だ」と呟いた。肩をすくめるマイの背後の荷台の上で、コーラカルは呟いた。
「シガール様は、お強いですね」
「鶯の隊長だもん! それは強いよ!」
アカリが荷台の上から笑うと、コーラカルは返答の代わりに小さく頷くと、そっとシガールの背を見つめた。その姿を見てエフィは、「意外と惚れっぽい子なのだな!」と声を挙げた。