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2.「なんでまた、君だけがしつこく狙われるんだ?」

 フロントガラスに左へ折れたヘアピンカーブが近づいてきた。

 Uの字コーナーがきつい、いちばんの難所だ。

 志倶麻しぐまは武者震いした。交感神経がワイヤーのように張りつめ、研ぎ澄まされる。瞬時にして純度の高いアドレナリンが分泌されるのがわかる。

 月を引き離すにはここしかない。

 やってやる!


 死を恐れず、ヘアピンカーブに突進していった。

 ブレーキペダルを踏み込んだ。ステアリングを思いきり切ると、車体が斜めにすべった。タイヤが金切り声(スキール)をあげる。

 リアタイヤが右方向へスライドした。

 カウンターをあて、マシンを立てなおした。


 みごとコーナーをクリアした。遠心力で身体がドアに押しつけられる。シートベルトも締めていなかったミハルの身体まで加わり、志倶麻はサンドウィッチにされた。

 抜けて直線に出ると、間髪入れず一気に加速させる。

 スロットルを全開にすると、甲高いエキゾーストノートが吠え、真っ暗な海沿いの道に響きわたった。

 してやったり!


「ざまあみろってんだ!」

 ミラーごしに志倶麻は見た。

 転がる月との差が広がった。三〇メートルは稼いだはずだ。テクニックしだいで、どうにかできる相手かもしれない。




 リアス式海岸地帯を抜けると、しばらく直線が続き、そのあと道は二股にわかれていた。

 家路につくなら海岸沿いなのだが、いかんせんこちらは直線が多いうえ遮蔽物しゃへいぶつがない。奴に追いつかれる恐れがあった。


 その点、左の道は山道に入り、羊腸のように曲がりくねっていた。この先も生家のある町につながっているのだ。旧道だった。道幅も狭く、難度はあがってしまうものの、志倶麻が得意とするコースでもあった。

 もちろんリスクをともなうが、月の追撃をふりきるにはこの山道をおいて他にはあるまい。

 左右は針葉樹が茂り、暴露される確率を少なくしていた。――ミハルを救うにはこの道しかない。


 勝つか負けるかは五分五分。

 少なくとも海沿いのコースよりかは分がいい。

 山道はしなやかに蛇行し、ひたすら暗い。ヘッドライトの光芒が、月もなく星明りさえない夜を、淫らな下着を引き裂くように切り開いていく。


 月もない夜とはおもしろい。今夜は新月ではなかった。途中までは、たしかに満月を背にして走ってきたのだ。

 現に空には奴が存在せず、かわりに車のすぐうしろを追いかけているのだから。

 志倶麻はマシンを駆り、最大限のパフォーマンスを維持していた。

 このままいけば奴を撒ける。しょせんは鈍重な岩石と金属に構成された球体にすぎないのだ。人類の叡智えいちを結集した自動車の性能を見せつけてやる!


 安心もつかの間だった。

 硬い音を立ててバウンドしながら、猛然たるスピードで奴が追いかけてきた。

 鋭いコーナーではボウリングの変化球のように回転をつけながらクリアしてくる。

 あれよという間に車のすぐうしろについた。


 よくもやってくれたな、と言わんばかりに尻を小突いてきた。

 一撃でリアバンパーが老女の入れ歯のようにはずれ、脱落していった。転がる月がそれを踏みつぶした。バンパーは瞬時にしてペシャンコにされた。

 車はコントロールを失い、盛りがついたように尻をふった。


 今度の衝撃はさっき以上だった。まるで暴れ馬にまたがっているかのような揺さぶりに、身体までシャッフルされる。

 シートベルトが肉体に食い込む。リベットを打ち込まれたみたいな痛みが全身を駆け抜けた。


「くそッ! こっちに来てもダメだったかのかよ!」

「あきらめないで! なにかいい方法を――」ミハルは頭を抱えて言った。


 ときおり、巨大なボウリングの球は、威嚇いかくするかのごとくバウンドをくり返した。そのたびにアスファルトはくぼみ、放射状の亀裂が入った。


「あいつに追いつかれると、君どころかおれまで死ぬんだろうな!」と、志倶麻はステアリングを握りなおしながら言った。「あの重量だ。車ごと押しつぶしてジ・エンドだろうが!」


 ミハルは首をふって、志倶麻を見た。

「月はそんな殺し方をしない。内側からむしばんでいくの。月のせいで私は変えられてしまうの!」

「変えられてしまう? いったい何に!」


「わからない。――ただ、人ではないものに変えられてしまうに決まってるわ! あいつはいつも狙ってた!」

「さっぱり要領を得ないな」

「あれはスイッチ(、、、、)なの。あれに追いつかれれば、私が化け物に変わり、変わってしまえば、きっとあなたを襲ってしまうわ! だから逃げ続けなくては!」


 ――だったら、あんたを拾うべきではなかったな! と志倶麻は言い返そうとしたが、ぐっとこらえた。

 もとより、困っている人を放っておける性分ではなかった。たとえ巻き込まれる形になったにせよ、あいつに喧嘩を売られた以上、すごすごと引きさがるわけにはいかない。


 志倶麻は挑発されたと思っていた。

 このに及んで、死への恐怖よりも怒りが全身をかけめぐり、マグマのような熱いアドレナリンがあふれ、かえってパニックにならずに済んでいた。


 しかもリアバンパーをはぎ取られ、このまま行けば愛車が深刻なダメージを被り続けるだろう。

 志倶麻自身の命の次に大事な車だった。メンテナンスも欠かさず、いつも磨き込んできた。

 この借りはきっちり返してもらうからな!


 と、そのときだった。ミラーごしに見えた。

 巨大なボウリングがひときわ大きくねたのだ。

 志倶麻の視界から奴が消えた。ただでさえ暗い視界が、一瞬、さらに暗くなった。

 烈しい縦スピンをかけて、車の真上に踊りくる!


 気配を察して、ステアリングを右に切った。

 月はなにもない地面を叩いた。ゴバ!と音を立てて、地面が大きく陥没した。

 奴は数回バウンドを重ね、勢いのつきすぎたエネルギーを殺し、うまく体勢を立てなおした。コースからそれることはない。憎らしいことに、バックスピンまでかけて制御している。


「くそッ! 直撃してたらお陀仏だった……」と、左に切りなおし、吐き捨てた。「まるっきり、生き物みたいな奴じゃないか、ええ?」

「シグマ、あれはまちがいなく意思を持ってるのよ、わからない?」

「だろうね――なんでまた、君だけがしつこく狙われるんだ? わけがわからない!」


 ミハルはすがるような眼つきで志倶麻を見つめ、肩に手をおいた。

「『Lunatic(ルナティック)』って言葉がある。――西洋では昔、月が人を狂わすと信じられていたそうよ。そして私は『Lunaphobia(ルナフォビア)』という病の持ち主。あいつにつけこまれると、私はまさに狂気に憑りつかれることになる。私は昔ながらのやり方で狂わされようとしてるの!」


「月が怖い、ね。たしかにおれまでなりそうだ。――なんにせよ、まだ正気を保っててくれ。しばらくの辛抱だ。なんとか対策を考えなくては!」

「シグマだけが頼りなの」

「なら、やるしかないね!」


 球体はまたしても大きく跳ねた。

 どうやら、殺す気まんまんになってきたようだな、あの野郎!

 志倶麻の視界から消えた。不気味すぎる瞬間だった。本能でステアリングを大きく左に切った。

 えいくそ、どうにでもなれ!


 紙一重だった。

 運転席の窓ガラスの向こうで、巨大な球体が地面をプレスしたところだった。

 直撃していれば、可憐な押し花みたいに平べったくなっていたことだろう。

 クソッ、トチ狂った板金屋め!


 アスファルトの陥没と衝撃に、車が足を取られたが、なんとかもちなおした。

 バウンドしつつ、なおも車をつぶそうとバックスピンをかけて空中で微調整してくる。

 志倶麻はそうはさせまいと、月の真下をかいくぐり、安全地帯に避けた。――凄まじい攻防であった。


 そのうち、何度目かのバウンド攻撃を車の左側にうけた。サイドミラーがもげた。

 かすっただけだったが、ミハルがドア側から弾かれたほどの衝撃だった。ヘッドレストに頭を打ちつけ、たちまち気を失った。

 声をかけるゆとりさえ志倶麻にはなかった。少なくとも息はしているようだ。

 早く手を打たないと、二人ともやられる!


 でたらめなスピンをかけた月は左右に跳ね、こんどは運転席側のドアに接触した。

 ドアの蝶番ちょうつがいの部分がえぐられ、またしても月は視界の外に消えていった。

 そっくりドアがはがれ、引きずった。しばらく地面でこすれ火花をあげていたが、やがて自重に耐えかね、完全に脱落していった。ドアは木の葉みたいに後方へ消えていった。

 おかげで志倶麻の右側が涼しくなった。むき出しの空間から嵐のような風がなだれ込んでくる。


 幸いエンジンには異状はない。アクセルをひたすら踏み込んだ。

 脊髄反射のごとき反応で、マシンは言うことを聞いた。さすがメンテナンスを欠かすことのなかった相棒だ。

 S字コーナーにさしかかった。この山道の難所――。

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