ヒマワリ畑に泳ぐ
意外にもトンネルの出口は近かった。明かりひとつないトンネルの奥に、一点の光が見えたのだ。少年はその光に吸い込まれるように真っ直ぐ走った。私は日頃の運動不足がたたって何度か足が縺れたが、懸命に後を追いかけた。
少年の姿が出口から差し込む光の中にふっと消えた。私も迷わずその光に飛び込んだ。
眩しさから目を瞑ってしまった。その直後、内臓が浮き上がるような不快感があり、再び目を開けてみると目の前には信じられない景色が広がっていた。
私は地面が見えないほど高い崖の上から、まっ逆さまに落下していた。上を見上げてみると、気味が悪いほどの晴天だった。どこまでも真っ青で、雲ひとつ見当たらない、パソコンのイラストツールで塗りつぶしたようなムラのない青だ。続いて下を見てみると、こちらには隕石か何かが落下した跡のような巨大な穴があり、真っ黒な闇が口を開けている。私はその穴の中にひとり落ちていったのだ。
暗闇の中で、奇妙なものを見た。
ツバメの大群だ。穴の側面の岩肌にツバメの大群が住んでいた。ツバメ達は自由自在に宙を舞い、時折私の体にとまった。
「これからどうするんだ?」
ツバメが喋った。いきなりそんなこと言われても困る。いったい何をどうすればいいのかわからない。
ちらと岩肌に目をやると、これまでの日々が映画のワンシーンのように映し出されていた。
職場で悪口を言う人間。
先輩の貧乏揺すり。
SNSで生活が充実していることをアピールする友達。
大企業に就職し、高い収入を得ている賢い友達。
誰もいない、狭いアパートの一室に帰る自分……
――せっかく頑張って大学を卒業したのに。これから先、ずっとこのまま……?
私は岩肌に映し出されたそれらの映像をぼんやりと眺め、こんな人生とは早急に決別するべきだと思った。
すると、唐突にドスン! と地面にぶつかった。したたかに背中を打ち付け、全身にビリビリと衝撃が走った。だが痛みはまるでなく、私は当たり前のように起き上がった。服に少しだけ泥がついていた。泥というより、溶岩でできた砂のようだった。
「遅かったね」
目の前に例の少年がいた。彼もここまで落ちてきたのだろうか。
「ほら、あそこのドアから出られるよ」
少年は岩でできた壁を指さして言った。なるほど確かに子供一人通り抜けられそうなドアがある。しかし私の体ではちょっと無理ではないか。そう思ったとき、自分の体が目の前の少年と同じくらい小さくなっていることに気が付いた。落下した衝撃で背が縮んでしまったとでもいうのだろうか。しかし、服まで一緒に縮んでいるのはおかしい。
子供になった私は少年の後を追い、小さなドアから外に出た。まるで不思議の国のアリスのようだ。
雲一つない青空の下に、一面のヒマワリ畑が広がっていた。なんてベタな風景なんだろうと思った。誰もが一度は思い描いたことのある風景ではないか。なんとなく泣きそうになる。
少年は、いつの間にかどこかから持ってきた竹竿の先端に白い端切れを巻き付け、空高く掲げた。旗のつもりらしい。
彼が元気よくヒマワリの海に駆け出すと、風を受けた旗がヒマワリの海の上を泳ぎだす。それはまるで船の帆のように見えた。
私もすぐさま後に続いた。ヒマワリは私の背丈よりずっと高く、幼い頃に地元のハーブ園にあったヒマワリ迷路で迷子になり、母親を探して泣き叫んだ時の記憶が甦った。
私は不安になって上を見上げる。すると、少年が高く掲げた白い旗がしっかりと見えている。あれにさえついて行けば大丈夫だと思った。
「早くおいで! 面白いもの見れるよ!」
無邪気な声が聞こえてきた。私は声のする方へ真っ直ぐに走った。暑かったので、羽織っていたパーカーはその場に脱ぎ捨てた。死ぬほど清々しい気分だった。