「僕からの文だと知ったら、どう思うかな」
ふっと息を抜いた烏有は、書き上げたばかりの文を読み直し、筆をおいた。あとは墨が乾くのを待ち、押印して郵亭の受付に出すのみだ。
扉を叩く音がして、耳を澄ませば声がした。
「お茶をお持ち致しました」
「ああ」
短く答えれば、少女が茶と焼菓子を持って入ってきた。少女に茶代を支払えば、会釈をした彼女はニコリともせずに去っていった。
烏有がいるのは、書簡などを各所へ配送する郵亭の二階にある、書茶室と呼ばれる個室だった。蕪雑と約束をした翌日、府を造る旨を岐に住む知人へ伝えるために、甲柄に戻り、ここに入った。ここならば必要な道具はすべてそろっているし、それなりの金を払えば、内密に送付の手続きをおこなえる。
烏有は茶をすすり、宛名に目を落とす。そこには各地の府から届く報告書を管轄している、官僚の名前が書かれていた。ただの楽士がそんな相手に直接、文を送れるはずがない。しかし、それを可能にするものを、烏有は持っていた。
「僕からの文だと知ったら、どう思うかな」
ぽつりとこぼした烏有は、革袋から見事な細工の施された、翡翠の印を取り出した。墨の乾きを確認し、文を降りたたむと、宛名を記した包みに入れて、封をする。そこに、墨をたっぷりとつけた翡翠の印を押し当てて、差出人の署名に鶴楽と記した。
重労働を終えた者に似た息を吐き、烏有は小窓の外に視線を投げる。灰色の雲が空を覆っているからか、人通りは少ない。
「まさかこんなふうに、この印を使う日がくるなんて、思わなかったな」
印の墨を、備え付けの布で丁寧に拭って、革袋に入れる。これさえあれば、烏有は岐の太政官にも、直接に文を送ることができる。無用の長物だと思いつつ、持ち歩いていたものが役に立つ日がこようとは、夢にも思っていなかった。
烏有にこれを使わせたのは、蕪雑の純朴な願いだった。
この世は神に等しい申皇が治めている。その下に神との行儀を受け持つ神祇官と、地上の行政を受け持つ太政官が置かれていた。
岐を中心に人々は生きている。ゆえにそこは、中枢と呼ばれていた。各地に点在する豪族は、太政官から派遣された領主に管理される。それらの地は“府”と呼ばれ、そうでない場所は“国”と呼ばれた。“国”は申皇に認められていない土地とされ、中枢からの恩恵は受けられない。豪族らは“府”となりたいがために、各地を流浪し神事を行う下級の神祇官へ、領主をいただきたいと願い出る。あるいは”国”を見つけた神祇官が、それを上へと報告し、太政官から視察団が送られて、認定されれば“府”となった。よって、よほどでなければ、国は必ず“府”と変わり、岐より派遣された領主が、中枢の常識を持っての統治を豪族に指導、監視をするため、どの地もおおかた、身分に関する意識は似通っていた。
「工夫や農夫が、人としての尊厳を奪われない国……か」