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前門の虎後門の狼

 

「今日はどうだったかしら、吉乃さん」

「は、はい、何というか、その……覚えて、ないです……」


 奥様の問いかけに、やっと帰れるとぐったり力を抜いていた私は申し訳ないと思いつつも正直に答えてしまった。


「あらぁ、どうして?」

「うう、すみません……」

「ふふ、家元の色香に当てられちゃったかしら?」

「……面目ないです」


 全てお見通しの奥様は楽しそうに緩む口元を隠しながら、コロコロとお笑いになられている。

 ……でも、でも、半分は奥様も原因なんですから!


 ◇ ◇ ◇


 奥様に半ば強引に連れていかれたのは、さほど遠くないにも関わらず閑静な場所にポツンと佇むこじんまりとした庵のような所であった。

 そこはどうやら茶室のようで奥様と共に小さな入り口から中へ入ると、炉の前には着物を着た男性(?)が一人座っているのが見えた。

 その男性(?)の腰まで伸びた黒髪は本当に絹のように艶やかで、しかも振り返ったその人は男とか女とか関係ないほどの恐ろしい位の美貌を持っていた。


「令子様、お待ちしておりました」

「!!」


 ……反則過ぎます、何ですか声まで麗しいって。でも、声を聞けばやはりこの人は男性で間違いなさそうだ。


「お家元、お待たせして申し訳ありません。出かけに少し手間取ってしまいましたの」

「お気になさらず、待つ時間もまた良いものですよ」


 その時、奥様と挨拶を交わす家元の視線がふとずれて、奥様の後ろに控えていた私についと向けられた。


「令子様、そちらのお美しい方をご紹介頂けないのでしょうか」

「……っ!?」


 自分よりよっぽど美しい人に言われる事ほど、いたたまれない事はないのに、この御仁はただの社交辞令すら上手く返せず顔を真っ赤に染めてしまった私を更に追い込んでくる。


「……何と愛らしい。神田家の皆様が執拗にお隠しになるのもわかる気がしますね」

「お家元、この子は私の大事な娘ですの。今日、わたくしは娘とお茶を頂きに参っただけですわ」

「……そうでございますか。では姫、こちらへどうぞ」


 ひ、ひ、姫って!ほんと何なの、この羞恥プレイは!まさかこの人、ずっとこの感じでいく気!?


 ◇ ◇ ◇


 あの後、家元手ずから茶道の作法を教えて頂いたのだけれど、妙に距離が近い気がして、私の体からはずっと変な汗が止まらなかった。

 しかも何故か私の後ろから体を囲いこむように手を伸ばしてくるから密着度が半端なくて、あの美しいお顔が吐息を感じるほど間近にあるものだから、情けないことに極度の緊張のあまり家元の教えをほとんど聞くことができなかった。

 適度な美形は目の保養だけれども、過ぎた美形はある意味凶器だと思わざるを得ない。

 しかも、目の前にいる奥様は一人あわあわしている私を助けてくれる事もなく艶然と微笑みながら座ったままで、でも目の奥は私達を見張るような強い光を放っていた。

 家元の方もそんな奥様の視線に気づいてないのか平然と私の手を取って指導を続けられる。

 前と後ろ、迫力のある美貌に挟まれた私はそのプレッシャーで息を吸うのも忘れそうだった。


「良かったわねぇ、吉乃さん。家元にご指導して頂くなんて滅多にない事なんですよ」

「そ、そうなんですか……?」

「ええ、あの方は他人と触れ合うのがあまり好きではないようで、特定の人間しかあの茶室に招かないの」

「ええっ!それじゃあ、私、突然伺ってしまってご迷惑だったんじゃ……!?」


 別に私が自分から行った訳ではないけど、そんな事聞いたら心配になってしまう。


「あら、ふふっ。またいつでもお越しくださいって仰っていたじやない。吉乃さん、家元に気に入って頂けたのよ」


 確かに他人が苦手な人にしてはスキンシップが激しかったし、私のどこに気に入る要素があったのか謎だけど、帰り際その様に言ってお送りして頂いた。

 だけど、私は心の安寧の為にも、もう二度とあの人に近付かない方が良いと密かに決意したのだった。





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