こんな膝枕
忠之さんは私を抱き抱えたまま屋敷に戻るとそのまま居間のソファのひとつに私を降ろし、そのただならぬ雰囲気に息を飲んだまま見守っている使用人の一人に救急箱を持ってこさせると手ずから私の膝頭の怪我を手当てし始めた。
場所が場所だけにスカートを太もも辺りまで引き上げなければならない上に忠之さんは私の足下に片膝をついている為、彼の目線の高さが気になる私はどうも落ち着かなくてスカートにシワができるほど強く握り締めていたのだが、忠之さんは全く気にした風もなく淡々と作業を進めていく。
「……ッ、」
消毒液を含んだ脱脂綿を押し付けられた時わずかに肩が揺れてしまったのを目敏く気付いのか忠之さんは一瞬顔を上げたがすぐに視線を傷口に戻すと手に持った包帯を巻き始めた。そんな大袈裟な、とも思ったが素直に口に出すと恐ろしい目に会うのは分かっていたので黙ってひたすら羞恥に耐えながら治療が終わるのを待った。
「……よし、できた」
「あっ、ありがとうございます!」
包帯巻き終えた忠之さんの手が離れるやいなや握り締めていたスカートの裾を引きおろして叫ぶようにお礼を言う私にずっと渋面を保っていた忠之さんは苦笑いを浮かべた。だがすぐに表情を引き締めると片膝をついた体勢のままなんと自分の頭をコテンと私の太ももに乗せてきたのだ。
「!!」
勿論傷に障らないように少し浮かしてくれているのだろう、殆ど重さは感じなかったが片方の頬を下にして上目使いに見てくるそのまるで母親に甘える子供のような仕草に、この人は今日1日で何度私をドキドキさせれば気が済むのか。
「……勝手に怪我なんかしちゃ駄目だって言ったろ?」
「えっ?」
「僕の目の届かない所で傷なんか作るなって言ってるんだよ」
「(……それって、忠之さんの目の前なら怪我しても良いってこと?)」
忠之さんにしては珍しいその一方的な言い方に反発を覚えるが、彼の表情を見たらそんな反抗心もすぐになくなってしまった。
忠之さんは拗ねたように口を尖らせて、本当に叱られた子供のようにシュンと項垂れている。
「僕の目の前なら絶対怪我なんかさせないのに、なんではぐれたりしたの!…………って、吉乃を責める事じゃないよな。ごめん、一瞬でも目を離した僕が悪かった」
「そんなこと……」
「吉乃が後ろにいない事に気付いて捜そうとしたら柄の悪そうな奴等が何人も駆けていくのが見えたから本当に焦ったよ」
「あっ……」
確かに怖そうな人達が通りすぎて行ったし、実際私が転んだのはその人達にぶつかられたんだと思う。
「……吉乃?もしかして、その怪我ってそいつらのせいなのか……?」
急に低くなった声にビクッとするも、私は慌ててぶんぶんと首を横に振る。
「ひ、人がたくさんいたし、だ、誰にぶつかられたのかは見てないからわかりません!」
あの人達に何の思いもないが彼等が原因だと断定してしまったら忠之さんが何をしだすかわからない。まさかとは思うが財力も機動力もある忠之さんの事だ、あんな一瞬すれ違っただけの人間を探しだすぐらいやってのけてしまう気がしてとても頭を縦に振れなかった。
「ふーん……?まあ今回は僕も悪いし吉乃の怪我も大した事なかったから良いけど、もしそうじゃなかったら……」
「……なかったら?」
「…………さあ、どうしようか?」
さらっと流されてしまったけど、これは詳しく聞いちゃいけない話だと怖い笑顔を浮かべる忠之さんの顔から判断した私はなんとか話を変えようとした。
「そ、そういえば私、人がたくさんいてびっくりしました!帝都っていつもああなんですかっ?」
「そんなに多いかな?僕はここしか知らないからこれが普通だと思ってたよ」
「私は田舎育ちですから人込みって苦手なんですよね」
「……田舎育ち?」
「はい、……あっ!」
「「…………」」
「(まずい……っ!)」
話をそらすつもりが思いっきり墓穴を掘ってしまった。確かに私の実家は田舎で田んぼや畑ばかりの場所にある。時代は違えど帝都という大都会の空気に完全に負けた私はすっかり油断してしまったようだ。
「(どどど、どうする!?本当の事言う?で、でもまだ心の準備できてないっ!じゃあ誤魔化す?……でも何て言えば良いの!?)」
宮森様の話が本当なら忠之さんは私が記憶喪失ではない事に気付いている。だとしたら下手に誤魔化しても無駄だろうし、それに私はもうこれ以上忠之さんに嘘はつきたくない。
「あ、あの……、」
色々追求したいだろうに忠之さんは何も言わないまま、私の太ももの上からじっと見つめている。
『本当の事を言ってくれるのを待ってんだよ』
宮森様の言葉が脳裏をよぎる。あれから何度も忠之さんに打ち明けようとは思ったのだが、どうしてもあと一歩の勇気が出なかったのだ。もし本当の話をして忠之さんに信じてもらえないだけならまだしも、頭は大丈夫かなんて心配された日にはもう立ち直れないだろう。でも……、
『自分の惚れた男を信じてやれよ』
あの日帰り際に私だけに聞こえるように呟いた宮森様の台詞が今私の背中を押してくれている。多分こんな機会でもなければヘタレな私はいつまでも卑怯者のままだろう。
「あの、ね……忠之さん。話が、あ……っ?」
意を決して口を開いた正にその時、コンコンと軽快なノック音が室内に響いた。
「…………」
「…………」
出鼻を挫かれた私は勿論の事、忠之さんにいたってはノック音など聞こえていないかのように完全無視で私から目を離そうとしない。
「社長?山田でございます。おくつろぎ中申し訳ありません、少々宜しいでしょうか」
返事がない事に苛立っているのか秘書の山田さんの固い声が聞こえてくる。いつもは冷静沈着な山田さんにしては珍しく声に焦りの感情が見えているのは忠之さんも気付いたようで、きゅっと眉をしかめると「どうした」と答えながら立ち上がり、扉を半分開けて廊下で待つ山田さんと話し始めた。
ボソボソと仕事の話をしているのだろう、内容までは聞こえないが雰囲気だけで忠之さんの機嫌が悪くなっていくのがわかる。
「吉乃すまない、今から出掛けなければならなくなってしまった」
振り返った忠之さんは心底嫌そうな顔を隠そうともせずにそう告げて、「ごめんな、ちょっと行ってくるよ」と扉の所で見送る私の髪をひと撫ですると山田さんと共に慌ただしく行ってしまった。
そして静かになった部屋にひとり残された私はソファにぐったりと沈み込むとホッとしたような残念なような、よくわからないモヤモヤを抱えながら天を仰いだのだった。




