お出かけ
「奥様っ、今日は連れてきて頂き本当にありがとうございました。とっても面白かったです!」
「そう、それは良かったわ」
「はいっ!台詞がなくとも動きだけであんなにおかしいなんて、しかもほとんどをお一人で演じていたのにもびっくりです。本当に素晴らしい映画でした!」
「そう……ん?えいが……?」
「あっ、いえ、活動写真でしたね!」
危ない危ない。映画なんて言葉はまだこの時代ないのかな?奥様も活動写真っておっしゃってたし。無音映画が流行り出すのがこの頃だったって聞いたような気もするけど、もともとが無音の映画しかまだないわけだし、あえてこの時代に無音映画という呼び名で言うわけないよね。
「まさか吉乃さんにこんなに喜んでもらえるなんて思ってもみなかったわね。お友達から面白いとは聞いてたから誘ってみたけど良かったわ」
すっかり暑い季節になり何もしてなくても汗が吹き出て拭うそばから汗が流れるといったそんな毎日を過ごしていた頃、まるで暑さなど感じてませんといった風に涼しい顔で私のところにやってきた奥様から誘われて今日はなんと映画を見に来ています。
世界的に有名な喜劇王の映画で、実は元の世界では何度もレンタルするほど大好きだった作品を劇場で見ることができた私はいつになく大興奮してしまった。
奥様には多少引かれてる感も否めないが普段からほとんど外出していない私にとってこれ以上ない娯楽に触れて、先程から鼻息荒く感想を言いまくってる私ははたから見るとかなり落ち着きのない変な人に見えた事だろう。
「令子様、そろそろお車の方へ」
「ええ。吉乃さん、お話の続きは車の中で良いかしら?」
「はっ、はいぃ!」
しまった、いくら興奮してたからってこんな往来で奥様を立ちっぱなしにさせたまま話し続けるなんて!しかもよく見れば周りの人達から奇異の目で見られており、我に返った私は恥ずかしさのあまり顔をあげられなかった。
とは言えいつまでもここにいる訳にもいかず側仕えの田中さんに促されて奥様が自動車に乗ったのを確認した後、私もそそくさと乗り込もうと体をかがめたのだが次の瞬間いきなり何者かに手首を捕まれて背後から物凄い力で引っ張られた。
「きゃっ!」
「どういう事ですか……母さん」
引っ張る力は乱暴でもふんわり抱き寄せる腕の温かさは私がよく知るもので、上を振り仰ぐとそこには車の中に厳しい視線を送っている忠之さんがいた。
「つまらない事……もう見つかっちゃったのね。忠之さん、あなたちゃんとお仕事してるのかしら?」
「失礼な、やるべき事はやってますよ。そんなことより僕の質問に答えてください、なんで吉乃がこんな所にいるんですか?」
地を這うような低い声で問う忠之さんに私はさっきまでの浮かれた気分などすっかり消え去り一瞬で全身から血の引く感覚に襲われた。
今まで数えるほどだが奥様とお出かけした事はある。でもそれは全てが御用達のデパートへお買い物に行くばかりで(この間の家元によるお茶指南は別として)車から降りるとすぐにVIPルームのような部屋に案内されてしまっていた為、本当の意味で外出というものをしたことがなかった。それにその時はいつも忠之さんに報告をしてから出かけていたので特に問題にはならなかったけど今日の場合は違う。忠之さんは仕事に行かれていたし、奥様に声をかけられるやいなやすぐに支度して連れ出されてしまったので忠之さんに外出する旨を伝えることができなかったのだ。
忠之さんが私を外に出したくないのは知っているのになんで今日私は黙って出てきてしまったのだろう。いくら奥様から強引に誘われたからって日を変えるとか何か出来た筈なのに私ときたらあの喜劇王の映画が見えるという事に舞い上がって忠之さんの事をすっかり忘れていた。忠之さんがこんなに怒るのも無理はない。
「母さん、僕はあなたとの約束は必ず守ります。ですから母さんも勝手に吉乃を連れ出すのは辞めていただけますか」
「まあっ!あなたの許可がなくては吉乃さんとお出掛けもできないなんてそんな馬鹿な話がありますか!」
「彼女の庇護者は僕なんですからそこは僕の指示に従ってもらいますよ」
「まあまあっ!なんという傲慢不遜な態度でしょうね。……約束は守るってあなた守ってないじゃない、知ってるのよ?私の見てないところでべたべた触りまくっているそうじゃない」
「なっ……!で、ですがっ、最後の一線は越えてませんからね!」
「そんなのは当たり前です!何を偉そうに……」
「お二人共、いい加減になさってください。このような場所で親子喧嘩などお止めください」
奥様はきっと悪気があって私を連れ出した訳ではないだろうしそんなに責めないでほしい、むしろ私が何も考えずについて行ってしまったのが悪い。と、言いたかったのだが絶え間なく言い合うお二人の間に入ることができずあわあわしていると、できる男田中さんがすかさず仲裁に入ることでヒートアップしていたお二人も少し冷静さが戻ったのかばつが悪そうに口を閉ざした。
「と、とにかく吉乃は返してもらいますから……行くよ」
おそらく私に言ったのだろうけど忠之さんは私の手首を掴んだままさっさと踵を返して歩き出してしまったから私は返事をする間もなく引っ張られるまま忠之さんの後を追いかけた。
その時後ろでは奥様のため息の音が聞こえてきた気もするけど忠之さんの大きい歩幅について行くのが精一杯の私は振り返る事もできなかった。
どこまで行くのだろうとズンズン進んでいく忠之さんの背中を見ながら必死で足を進めていると、幸いにもそんなに遠くない場所に見覚えのある自動車と運転手さんが待っていた。
忠之さんに促されるまま自動車に乗り込むとそれは静かに動き出した。
「あ、あの……忠之さん、今日は勝手に外出してしまってすいませんでした」
「…………」
「奥様に面白いと評判のえい……じゃなくて、活動写真を見に行こうと誘って頂いたんです。それでその、忠之さんにご連絡できなくて……本当にごめんなさい!もう二度と勝手に外出などしませんから、あの……許してください……」
チラリとこちらを見るも何の返事もしない忠之さんに頭を下げると頭上からふぅ~と深く吐かれる息の音が落ちてきた。そこでビクッと肩を震わす私は次の瞬間に自分の肩の上に感じた重さに目を瞬いた。
「……えっ?」
「違うんだ……お前は悪くないよ、だから謝らないで」
私の肩に額を押し付けるように頭を乗せた忠之さんは小さな声で呟いた。
「母さんも……まあ、それは後で話し合うとして。うん、とにかく吉乃が気に病む事じゃないからね」
「で、でも……」
そう言ってちらりと目だけでこちらを見た忠之さんは珍しくへにゃりと眉を下げた情けない表情を見せた。
「本当だから、ね?外出も僕や母さんと一緒なら全然構わないし」
「だだだったら、どうしてあんなに奥様に怒ってたんですか?」
肩に寄りかかったまま離れない忠之さんに動揺して思わず目をそらしてしまったが、その先にはバックミラー越しにチラチラとこちらを窺っていた運転手さんと目があってしまい更にいたたまれなくなってしまった。
どうにも居心地の悪い中、吃りながら質問する私に答えることなく忠之さんはグリグリと頭を擦ってくる。
「…………」
「たたたた忠之さん……っ!?」
「(……外であんな可愛い笑顔を振りまくなんて、駄目だ……)」
「えっ?すいません、何か言いました?」
「……やっぱりこれからは外出する時は僕とだけにしよう。何があるかわからない(変な虫が寄ってこないとも限らない)から心配だよ」
「?」
帝都ってそんなに危険な場所なの?私は忠之さんと一緒にお出かけできるなんて願ってもない事だけどそんな難しい顔するくらいなら無理しなくても良いんだけど。それにあの変な噂の件もあるし、忠之さんと連れ立って歩いた場合色んな意味で精神的にやられそう。
「忠之さん、私は家から出なくても大丈夫ですよ?」
「そうか?ん~でもなぁ、今までずっと我慢させていたんだから僕と一緒の時くらい出かけても良いぞ(そこいらの男の目に吉乃の姿をさらすのは癪だがな)……そうだ、今からでも少し寄り道してみるか?」
「えっ!?」
「そうだな……アイスクリームでも食べに行くか?」
「(アイス!?)えええっ!?(食べたいっ!!)」
「プッ!くくっ、そんなに喜んでもらえるならもっと早く連れていってやれば良かったな」
まさかアイスクリームが食べれるなんて!
忠之さんからの思いもよらぬ嬉しいお誘いに思わずそらしていた顔を忠之さんに向けると、超至近距離で蕩けるような甘い微笑みを浮かべる美形とかち合ってしまった。
油断していた分その威力は絶大で、きっと座っていなければ腰から崩れ落ちていただろう。
「あの、嬉しいです……忠之さん、ありがとうございます」
真っ赤な顔でなんとかお礼を言うのが精一杯の私を忠之さんとついでに運転手さんも微笑ましそうに見つめていたのだった。




