もっと危険な彼
仕事から帰ってきてまっすぐここへ来たのか忠之さんは背広姿のまま妙に汗だくで駆け込んできた。いくら忠之さんの友達だからって一応お客様が中にいるのにこんな乱暴な真似するなんていつもの忠之さんらしくないと思いながら見ていると、肩で息をしながら扉付近で立ったまま視線だけが忙しなく私と宮森様の間を行き来している。
「っ!?」
そして、私の所で視線が止まるとカッ!と目を見開いた忠之さんはつかつかと宮森様の元に向かうと鬼の形相で宮森様の襟首を掴み上げた。
「待て待てって!!ちょっと落ち着けっ!」
「落ち着いていられるかっ!!貴様っ、吉乃に何をした!!」
いきなり激昂する忠之さんに宮森様もなんとか宥めようとするも彼のあまりの剣幕にかなり押され気味だ。
「何もしてないって!」
「嘘をつけっ!!だったらなんで吉乃が泣いてるんだ!お前が何かしたんだろうが!!……許さんっ」
「!!!」
そう言いながら忠之さんは突き飛ばすように襟を掴んでいた手を離すと、なんとカチャッという音と共に日本刀を構えるのが見えた。
宮森様の首筋に剣先を突きつける姿を見た時、それまで茫然と座っているしかできなかった私はやっと事の重大さに気付き慌てて立ち上がる。
「おいおいおい、冗談やめろよ」
「そっちこそ冗談じゃ済まさんぞ、俺の吉乃を泣かせおって……安心しろ、友人のよしみだ……一突きで仕留めてやる」
「嘘だろ…………ヒッ!」
「忠之さん待って!!」
今にも宮森様の喉元を切り裂きそうな気配に、私は急いで忠之さんの所まで駆け寄るとグレーの背広の裾を掴み声をあげた。
「違いますっ!宮森様は何もしてません!!だからっ、そ、その刀を下ろしてください!!」
後ろから必死に声をかけるも、忠之さんは刀を下ろすことも後ろを振り返ることもない。
「や、やめて下さい!お願いしますっ!!」
背広の裾をシワになるほどグイグイ引っ張っているが忠之さんの体が揺らぐことはなく、むしろ止めようとすればするほど忠之さんの体が強張るような気もする。
「……だったら、これは何だ?」
宮森様に突きつけた刀はそのままに視線だけを後ろに送りながら、もう片方の指で私の目元を拭った。
「こっ、これは……っ」
「こんなに目を真っ赤にさせて……可哀想に、あいつに辱しめを受けたのだな?今成敗してやるから待ってろよ」
私に触れる手は優しいのに言ってる言葉は物騒きわまりない。
「は、辱しめなんて、受けてませんっ!!私が勝手に泣いただげで宮森様は悪くありませんからっ!!」
「吉乃さん、それ、逆効果だから……」
剣先を突きつけられて目線しか動かせない宮森様がぼそりと呟いた言葉の意味はわからなかったが、私の目元を擦る忠之さんの指がピクッと動きを止めた。
「……随分仲良くなったみたいだね」
「えっ?いえ、そんな事は……っ」
「そんなに一生懸命庇うなんて、こいつの事気に入ったの?」
「……はっ?」
いつの間にか忠之さんの攻撃の対象が私に移ったようで、彼の手にあった日本刀は抜き身ながらも下におろされており、忠之さんの体は完全にこちらを向いている。先程までの恐ろしいまでの怒気は感じられないが、自分をじっと見下ろしている顔は今までに見たことのないほどの無表情。
構えてないとはいえ抜き身の刀を持った忠之さんにそんな顔を向けられている私は自然と顔が強張り手の震えが止まらない。彼が私を害するとは思えないがこんな雰囲気の忠之さんを見たことのない私は口を開くこともできなかった。
「おいっ、忠之!」
「お前は黙ってろ」
宮森様が忠之さんのただならぬ雰囲気に声を上げるも一蹴されてしまう。だがその時私の様子に気付いたのか、わずかばかり眉を下げて忠之さんは困ったような顔をした。
「なあ正直に言ってくれ、こいつに何かされた訳じゃないなら何で泣いてるんだ?」
「そ、それは……」
少し表情の戻った忠之さんにほっとするも、今の質問にどう答えたら良いのかわからず言葉が出てこない。
私が泣いていたのは宮森様の言ったことが起因しているとしても、結局は自分の不甲斐なさ、薄情さ、情けなさに気付いた事による涙だ。だけどそれを説明するには私の出自素性を話さねばならない。つまりこの世界の人間ではない事を彼に明かすという事だ。
宮森様からも散々本当の事をさらけ出せと言われたが、どうしてもまだそれを話す勇気がない。
「吉乃」
急かすように名を呼ばれても今の私にはどうする事もできない。
下手に誤魔化した所でそんなの忠之さんにはばれてしまうだろうし、これ以上彼に偽りは言いたくない。
「……吉乃。はぁ……、……わかった」
いつまでも口を開かない私に焦れたのか、忠之さんはため息を吐きながら日本刀を鞘におさめると私から目をそらし、そのまま私の横を通り過ぎて行ってしまった。
「えっ……忠之さん……?」
「言いたくないならそれで良い。吉乃、怖がらせてすまなかったな、僕は部屋に戻るよ」
振り向きもせず扉に向かって歩き出す忠之さんの背中がどんどん遠くなっていく。
「……待って、待って下さい!!」
初めての拒絶に先程の比ではないぐらいの震えが私を襲う。忠之さんに背を向けられる事がこんなに辛いなんて知らなかった。それだけ彼はいつも私を見てくれていた事にこんな時になって気付くなんて。
「忠之さん!!」
「!?」
考える余裕もなく駆け出した私はその勢いのままぶつかるように彼の腰に抱きついた。
「ごめんなさいっ!謝りますから、お願いっ……忠之さん、行かないで下さい……」
「…………う、うん……、あ、あの、そうか……」
「忠之さんっ、許して……」
「……っ!うっわ、わ、わかったから……その、」
平素だったら恥ずかしくて絶対にできないが今は忠之さんに見捨てられなくない思いだけで渾身の力で忠之さんにしがみつく私は真っ赤な顔でしどろもどろになっている彼に気付く事なくひたすらに許しを乞うていた。
「わ、わかった……わかったから、ちょっと手を離してくれないか?」
「!!……は、い……、」
とうとう忠之さんに見限られてしまった。
私はどこに行っても結局はこうやって捨てられるのか――。
絶望に襲われた私は仕方なく忠之さんの体に巻きつけていた腕をゆっくりと離し、密着していた体を起こそうとしたのだが……、「これで良し」と、なんと忠之さんは180度体を回転し素早い動きで私の腕を再び自らの体に巻きつけた。
「えっ!?」
「これで吉乃の顔が見えるな」
そう言って見下ろす顔はいつもの忠之さんで、優しく私の髪を撫でる手の温かさに思わず泣きそうになってしまう。
「忠之さん、怒ってないんですか?」
「……怒ってないよ。ごめんな、少し悔しかっただけだよ」
「悔しい?」
「だって僕の知らない所で吉乃と克己が親しくなるなんて面白くないじゃないか」
「別に親しくなんか……」
「おいおい、吉乃さんよ、そりゃないぜ」
「わかってるよ、あいつはどうしようもなく軽い男だが弁える所はちゃんとしているからな。吉乃に手を出すなんてしないのはわかってたよ」
「チッ、だったらさっきのアレは何なんだよ」
「……僕のいない隙にこそこそ入り込んだネズミを少し凝らしめてやろうと思っただけだったんだがな、まさか吉乃が泣いてるなんて思わなくて頭に血が登ってしまったんだ。怖かったか?ごめんな」
「俺の方が怖かったわ!」
「でももう二度とこいつの前で泣き顔なんか見せるのは駄目だぞ。その時は本当に止められないかもしれないからな」
「…………」
ちょいちょい口を挟んでくる宮森様も最後の台詞には流石に口を閉ざしてしまった。
そして、私は気付いてしまった。結局私が泣いた理由はうやむやのうちにもう訊かれていない事を。
私は今までこうやって忠之さんの優しさに包まれていたんだ。それを思うとまた涙が出そうになるから、私はそっと忠之さんの胸に顔を埋めた。




