危険な来客2
全てを見透かされるような視線に怯えながら、早くこの話題が終わって欲しいと願う。だけど、宮森様のやんわりとした追求は止まらない。
「俺は経験ないけどさ、記憶喪失って本当に全部忘れちまうんだな」
「え、ええ……私の場合はですけど、覚えてるのは名前だけで……」
「それなら日常生活についてはどうだ?」
「日常生活?」
「言葉は通じるようだが、例えばコレの名が『花瓶』だという事はわかってるんだろ?」
テーブルの上に飾られている花を指差す宮森様に何を当たり前の事を、と思いながら肯首する。
「という事は自分の住んでた場所、家族、友人と身の周りの環境だけがすっぽり抜けてるわけだ」
「……ええ」
「随分都合の良い記憶喪失なんだな」
「…っ!……そ、そうですね、」
ここまでくれば鈍い私にも理解できる。この人は完全に私を疑っている。甘い言葉で翻弄し砕けた態度で気を許させた後のこの尋問、全く油断していた私には旨い言い訳など思いつく訳もなくひたすら相手の質問にそうですねと肯定するしかできない。
「記憶を取り戻そうとは思わなかったのか?」
「思いました……でも、」
記憶を戻す、つまり元の世界に帰りたいと初めの頃は思っていた。でも出来なかった。いや、正確にはしようとしなかった。理由はひとつしかない、忠之さんの側があまりに居心地が良くてずっと近くに居たくて私は帰る方法を探す事をやめてしまったのだ。
「思い出せなかっ、いえ、私はそれを放棄しました……」
「へえ。理由は……まあ、言わずもがなだな、そんなに忠之が好きか?」
「……っ、」
直球の質問、というより断定の言葉に息を飲む。忠之さんの事が好きか、だなんてそんなの好きに決まってる。きっと普通に聞かれていれば私は赤い顔を縦に振るだろうけど、今は責められているような気がして素直に返事する事ができない。
「…………まあどっちでも良いか、俺は……、ん?」
「失礼します。お茶をお持ちしました」
「おう鈴ちゃん、今日は無理言って悪かったな」
「いいえ、とんでもございません」
視線だけはそらすまいと終始上に向けていた顔を思わず俯かせてしまった時、室内にノックの音が響いた。
入室してきた鈴ちゃんを宮森様は見知っているようで軽い挨拶を交わしている。
倒れた日以来鈴ちゃんとはまともに話していないが、正直今は鈴ちゃんの登場が心底ありがたかった。
「それより、お二人ともお掛けになられませんか?」
小動物のように首を傾げて席を勧める姿はあの日私に悪態をついたのが嘘みたいに可愛らしい。だが、その鈴ちゃんの言葉に私はお客様に席を勧めもせずずっと立ち話をしていたのかと言われたようで恥ずかしさに顔を伏せる。
「じゃあ失礼するよ、吉乃さんも座るか」
「はい……気が利かず申し訳ありませんでした」
「いや、俺も少しいじめ過ぎたしな」
「……いえ、そんな事は、」
「吉乃様、宮森様が何かご無体を……?」
「へっ?」
「おいおいっ、鈴ちゃん勘弁してくれよ」
宮森様の言葉に何か勘違いしたのか、鈴ちゃんは心配そうに尋ねてくる。内心はそんな風に思ってないはずなのに、本当に心配してますっていう顔を向けている彼女はまさしくお人好しで心優しいヒロインそのものだ。
「申し訳ございません!でも忠之様が以前その、宮森様には気をつけるようにとおっしゃってましたので……」
「はあ……あの野郎、鈴ちゃんにまで変な事話してんのか。心配しなくても俺だって命は惜しいからな、吉乃さんに何かするわけないって」
「……っ、そ、そうでございますか。さしでがましい事を申しました」
深く頭を下げる鈴ちゃんの顔に一瞬苦々しい表情が浮かんだのを私は気付く事はなかった。
その後、給仕を終えた鈴ちゃんは退室してしまい再び宮森様と二人っきりになってしまったのだが、宮森様は何故か愉しそうに鈴ちゃんの出ていった扉を見ている。
「いやぁ、なかなか面白い事になってるな」
「何の事です?」
「好いた男が人気あり過ぎても困るよなって話だよ」
頬杖をつきながらニヤニヤ見てくるこの男は本当に色々と鋭すぎる。この数分のやり取りで鈴ちゃんの気持ちまで見抜いたというのか。会話をすればするほど全てを暴かれそうで自然と私から発する言葉が少なくなってしまう。
「……どうでしょうか」
「ふーん、まあ俺は忠之が悪女に溺れようがメイドに入れ込もうがどうでも良いけどな」
「……は?……えっ、えっ?」
「どうした、忠之をたぶらかすな!とでも言われるかと思ったか?」
「い、いえ……たぶらかすなんて!でも、あの……私の事疑っていたんじゃ……、あっ、でも今悪女って…?」
「あのなぁ、俺も忠之もいくつだと思ってる?29だぞ。いまさら女関係なんかにいちいち口出しなんかするか」
だったらさっきまでの態度はなんだったのだろう。どうでも良いと思ってるならなんであんなに私を追い詰めるような物言いをした?
「勘違いしないでくれよ、俺はあんたが忠之を騙してるとは思ってないからな。そもそもこんな分かりやすい奴に忠之が易々引っ掛かるとも思えんしな」
「……そんなに分かりやすいですか?」
「そうだな、せめて鈴ちゃんぐらい演技力はつけないとな」
「!?」
心中を悟られないように一生懸命顔平静を装ったつもりだったが、どうやらこの人の前では無駄な努力だったらしい。今でもあれは何かの間違いだったんじゃないかと思うほど鈴ちゃんはヒロインのままだというのに、それを見抜くような人に私なんかが敵うわけがない。
「……精進します」
「ほどほどにな」
微かに笑いながらそう言って、コクッとカップのお茶を一口飲むと宮森様はおもむろに立ち上がり、私から背を向けて窓際に立った。
「なあ吉乃さん、あんた忠之がどんな仕事してるか知らないだろ?」
「はっ?……え、ええと、会社の1つを任されておられるとしか……あの、それが何か?」
なんで今そんな事を聞いてくるのかわからないが、振り向いた宮森様の表情からは全く真意が窺えない。と言ってもこの期に及んで私ごときが宮森様の心の内を計る事などできるわけなく、正直に答えるしかなかった。
「そうだ。だがその会社は神田財閥の主幹を担う分野でな、そこが倒れると財閥の存続にも影響を与えるだろう重要な立ち位置なわけだ。まあ、あいつはいずれ神田財閥当主となるんだから当然と言えば当然だがな」
そうだったんだ。3年もお世話になっていたお家の事なのにそんな事も知らなかったなんて。忠之さんが大変な仕事をされているのはわかっていたつもりだったけど、そんなに重要なポストに就いている事など知らなかった。よく考えればわかる事なのにずっと屋敷の中で自適に過ごしているだけだった自分が恥ずかしい……!
「別に女のあんたが詳しく知る必要もないし、忠之もあえて教えようとは思わないだろうよ」
うつむく私の心中を察したのか、なんでもない事のように言う宮森様はだがな、と続ける。
「男って奴はどんなにキツい仕事の時も女に弱音は吐かなくても、癒しは求めるもんだ」
彼は一体何が言いたいのかさっぱりわからない私は黙って聞くしかない。
「家を一歩出れば男には七人の敵がいるって言うが、忠之の場合は今現在だけじゃなくてこの先もずっと七人どころか両手両足の指使っても足りない程の敵が出てくるんだろうな」
それはそうだろう。これだけ巨大な財閥なのだ、敵どころか大きすぎる責任までもが忠之さんに襲いかかってくるのは予想に難くない。
「吉乃さん、あんたそんな男を支えていけるか?次の日からまた頑張ろうって思えるように癒しを与えてやれるか?」
「!?」
「悪いけど、今のあんたじゃ無理だと思うぜ」
「……!!」
今度こそ本当に言葉が出なかった。




