もとの世界での傷
夢を見ていた。
「悪い。吉乃、別れてくれないか」
――え?
「お姉ちゃんごめんね」
――なんであんたが謝るのよ。
「俺、美伽ちゃんと付き合うことにしたから」
――はっ!?何言ってんの?この子は私の妹なんだよ!
「わかってるよ!でも好きになっちまったんだから、しょーがねえだろ!?」
――好きに、っていつから!?
「……初めてお前ん家に来た時、美伽ちゃんを紹介してもらっただろ?………一目惚れだったんだ」
――そんなの半年以上前じゃない!ずっと裏切ってたの!?
「違うよ!俺はお前と付き合ってたし、美伽ちゃんに惹かれてはいたけど、それは気の迷いだと思い込もうとしたさ!でもやっぱり無理だったんだよ……」
――なんで?私達この2年の間、仲良くやってきたじゃない……、私の事嫌いになったの?
「そういう事じゃないんだ、吉乃がどうとかじゃなくて俺が今好きなのは美伽ちゃんだって事なんだよ。確かに姉から妹に乗り換えるなんて外聞が悪い事ぐらいわかってる。でも、もう自分の気持ちに嘘はつきたくないんだ!」
――嘘って。私と付き合ってたのはほとんどが嘘だったの!?貴方から好きって言ってくれたんじゃない!旅行だって行ったし、デートだっていっぱいしたじゃない!!
「お姉ちゃん止めて!!私が悪いの!私が雅樹さんの気持ちに応えなければ良かったの!」
「美伽ちゃん!?」
「でも私も自分の気持ちに嘘つけなかったの……。お姉ちゃんごめんね、私も雅樹さんが好きなの」
「美伽ちゃん……!」
――やめてよ……、やめて……。私だって雅樹の事好きなのに!美伽お願い、雅樹を取らないで……。
「お前こそやめろ!」
――!!
「それが重いって言うんだ。いい加減気づけよ!」
――そんな………、
「とにかく、俺たちはもう付き合ってるし一緒に住む事にしたから」
――!? そんな…、東京に就職して私と同棲するはずじゃ……!!
「美伽ちゃんがいるのに、そんな事出来るわけないだろ!俺は春からこっちに残って親父の家業を継ぐ事にした。美伽ちゃんも一緒に手伝ってくれるんだ」
――あんなに実家の仕事を継ぐのを嫌がってたのに?
「……美伽ちゃんが居てくれるからな」
「雅樹さん……」
――嫌よ!やだやだ!!雅樹が東京で就職するって言うから私も頑張って向こうで内定取ったのに!
「悪いが、吉乃はあっちで頑張ってくれ。俺たちはここで頑張るからさ」
――嘘よ!!みんな嘘でしょ!?ねえ、お願い……、嘘って言ってよ……。
―――なんで今まで忘れてたんだろう?
この時代にやって来る直前、大学時代付き合ってた恋人を妹に取られたんだった。
悲しくて、辛くて、信じたくなくて、寄り添う二人の前で私一人で泣いて喚いて醜態を晒したんだっけ。その割りにすっかり忘れているなんて私もたいがい薄情だな。
「吉乃……?目を覚ましたのか!?」
「……忠之さん……?」
「良かった!丸一日も目を覚まさないから心配したんだぞ」
……そうか、この人がいたから。
「大丈夫か?どこか苦しいところはないか?」
優しいこの人がいつもこうやって甘やかしてくれるから、私は嫌なことも忘れていられたんだ。
「吉乃?」
「……大丈夫です。あなたがいてくれたから私は大丈夫、忠之さんがいてくれるなら辛いことなんか何もない……」
「吉乃…………ああ、そうだ。僕がずっと守ってやるから安心してここに居れば良いんだ」
どうしてこの人はこんなに嬉しい事を言ってくれるんだろう。隠し事ばかりの私は優しくしてもらう資格なんてないのに。
どうやら私は鈴ちゃんと話している途中で倒れてしまったようだ。横で心配そうな顔を向けている忠之さんは今までずっとついていてくれたんだろうか。
「忠之さん」
「ん?」
「ありがとう」
まだ忠之さんに全てを話す事はできないけど、今自分ができるのは心配をかけてしまった彼に最高の笑顔でお礼を言うぐらいだ。
「!!……お、おう……あ、いや、その、なんだ……」
「?」
何故か急に狼狽えはじめた忠之さんは口を手で押さえて明後日の方向を向いてしまった。
「ごほんっ!と、とにかく、まだちゃんと寝てるんだぞ」
「もう大丈夫です、よ…………はい、おやすみなさい……」
睨まれてしまった。こんな時の忠之さんはやっぱり少し恐いです。
確かに鈴ちゃんが言っていたように私が存在する事で物語が変わってきているのかもしれない。だけど、私がいなくなれば全てが元通りになるかと言えばとてもそうとは思えない。鈴ちゃんは私が元の世界に帰れば忠之さんは当然のように振り向いてくれると思ってるようだが、それはちょっも違うんじゃないかとも思う。その考えはあまりにも傲慢だ、だってここにいる人達は皆自分で考えて動いているんだから。
私も鈴ちゃんと話したことでやっとその事に気付けたから偉そうな事は言えないが、この世界で生まれ育った鈴ちゃんに何故それがわからないんだろう。
思うに、鈴ちゃんは今までの私と同じ様に原作に縛られ過ぎているのではないだろうか。更に言えば《設定》と口にした彼女が本当に忠之さんの事を好きかどうかも疑問が残る。好きでなくてはならないとでも思い込んでいるんだとしたら、そんな虚しことはないと思うのだけど。
もし私が今消えたとしても鈴ちゃんと忠之さんが結ばれるかどうかはわからない、逆に私が元の世界に帰らなくても忠之さんが鈴ちゃんを好きになって原作通りのシナリオに進む可能性だってあるのだ。
鈴ちゃんには完全に敵認定されるし、結局私がここに居る意味はわからずじまいのままだけど、不思議とこれまで思い悩んでいた事が嘘みたいに心が軽い。
この先どうなるかわからないが、少なくとも自分はバグだなんて思いたくないし、言わせないぞと密かに誓ったのだった。
「もう少しだ……もう少しでお前に、」
忠之さんの髪を撫でてくれる手の温もりが気持ち良くて、あれやこれや考えていた私は段々と眠気が襲ってきて瞼が自然と落ちてきた。だがその時、何かボソボソと呟く声に反応して再び私は目を開けた。
「……忠之さん?今、何て言ったんで…………ええっ!?」
私の額にかかる前髪をそっとかき分けながらじっと私の顔を見下ろす忠之さんはいきなり顔を近付けてきたのだ。
突然の出来事に焦って目を瞑ってしまった私は額に柔らかい感触がしたのを感じて目を開けると、そこにはもうすでに顔をあげてしまった忠之さんがいた。
「(今のってキ、キス……?)たっ、忠之さん……っ!」
「ははっ、顔真っ赤だ」
忠之さんにキス(おでこだったけど)されてしまった……。
この前は指を舐められたし、今日はでこちゅーされた……。
「……吉乃?お、おいっ!」
急に距離感が近くなり始めた事に嬉しさより恥ずかしさが勝ってしまった私は真っ赤になってしまった顔を隠すようにシーツに潜り込んだ。
「すまない!吉乃……怒ったのか?」
「…………」
「……そんなに、嫌だったのか……」
シーツごしに聞こえてきた沈んだ声に慌てて顔だけ出すとそこには情けなく眉をさげる忠之さんの顔が……なかった。
そこにいたのはイタズラが成功したみたいに楽しそうな笑顔を向けてくる忠之さんだった。
「本当にお前は可愛いね」
「!!」
頭をポンポンされながらそんな事を言われた私は今度こそ顔から火が出るのではないかと思うほど顔を熱くしてしまった。
「~~~っ!寝ます!」
「くくくっ、……ああ、おやすみ」
全く男に免疫がないわけではないのに、たかがおでこにチューされて可愛いなんて言われただけでこんなにも心臓がドキドキするなんて。
またもやシーツの中に舞い戻った私は頭に再び感じた柔らかい感触に撃沈したのだった。




