表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
1/21

プロローグ

 

 ………………?


「――きゃっ!」

「おっと、ごめんね。起こしちゃったかな」


 夢うつつのまま、ふと人の気配を感じてはっと目を覚ますとそこには、私が驚いた拍子に膝から落としてしまった本を拾いながら少し困ったように眉を下げながら微笑む秀麗な顔があった。そして、私の頭上からずいっと顔を近づけてくる彼は仕事終わりなのかネクタイを少し緩めているのが色っぽくて、思わず私は頬を赤く染めてしまった。


「ふふっ、どうしたの?こんなところでお昼寝しちゃったから風邪でも引いたのかな、顔が真っ赤だよ」

「っ! ごめんなさい……忠之さんはお仕事してらしたのに、私ったら……」


 すっかり油断しきったきっと残念過ぎる寝顔を見られてしまったかと思うと、あまりの羞恥に思わずうつむいてしまった。


「いいんだよ、そんな事気にしないで。僕も吉乃の可愛い寝顔を堪能できたしね。ふふ、だけど残念だったな、もうあと少しだったのになぁ……」

「? な、何がですか?」

「……さあ?それより本当に風邪を引くといけないから中に入ろうか」

「はい」


 やっぱり見られてたんだ、口でも開いてなかっただろうかと頬を擦りながら私は差し出された忠之さんの手を取り立ち上がった。そして、自然な動作で私の腰に手を回した彼はテラスの窓を開けて部屋の中へ促すように歩きだした。



 さっき忠之さんが何を言っていたのかよくわからなかったけど、いつも優しい忠之さんがこんな風に話をそらす時は何度聞いても絶対教えてくれないのはわかっていたから、私は黙って彼と共に部屋の中へ入った。

 こんな風に忠之さんの性格を多少なりと理解できるようになったのは、やっぱり彼に拾われてこの屋敷に住むようになってから3年も経ったからだろうな。



 部屋の中ではすでにお茶の用意がしてあり、メイドのセツさんが淹れてくれた紅茶を飲みながら私は3年前の出来事を思い出していた。





 その日、私は自分の部屋で引っ越しの為の荷造りをしていた。そして、押し入れの奥で見つけた昔好きだった少女漫画を読み直していたはずだった。


 なのに、ふと気づくと私は何故か屋外で一人佇んでいた。


 思い返すと、あの時漫画を読みながら強烈な眠気に襲われたのは何となく覚えているが、なぜ次の瞬間に外に突っ立てっているのか。まるで夢遊病者のように寝ながら移動したのだろうかとも考えたが、それにしては周りの風景に違和感を感じる。

 木立に囲まれたこの場所は森のようにも、林の中のようにも見えるがうちの近所にこんな場所があっただろうかと考える。いや、あったかもしれないがそんな事じゃなくて。そう、言うならばそこに漂う空気が私の知っているものと違うのだ。


 状況が理解できずにフラフラと歩き出した私は不注意にも走ってきた自動車に引かれてしまった。

 そして、その時の自動車の後部座席に乗っていたのが、この神田忠之さんなのである。


 その後病院で目を覚ました私はそのレトロな雰囲気と空気感にこれ以上ないほどの違和感を感じて、思わず自分の名前しか分からないと記憶喪失を装ってしまった。

 しかし、驚く事にそれを聞いた忠之さんは「行くとこがないならうちに来る?」と、一部の反対意見をまるっと無視して私の衣食住の面倒をみてくれようとした。


 そして、そんな忠之さんの好意に甘えた私は図々しくも3年間もこの屋敷に居座り続けてしまったという訳である。






 だけど、そろそろ私はここから出て行かなくてはならない。


 だって、私は知ってるから。


 もうすぐこの神田財閥のお屋敷にやってくる新人メイドと御曹司である忠之さんが身分違いの恋に落ちる事を。








 タイトルは忘れてしまったが、直前に読み返していたあの大好きだった少女漫画の世界観がいま私がいる場所と、とても類似しているのに気づいたのは何時だったろうか。始めにおかしいと思ったのは車に引かれて気を失った後目が覚めた先にあった男性の顔を見て「この人忠之さんそっくり」と思った時だった。


 神田家で暮らしている内に忠之さんはあの忠之さんであり、その年齢から今が原作が始まる3年前だという事もわかってしまった。


 はじめ夢かと思っていたがいつまでたっても覚めないし、そのうちに私は好きだった漫画の世界を楽しもうなんて暢気に考えるようになっていた。


 だけど忠之さんは漫画で見た以上に優しくて(原作内では初めの頃はもっと辛辣だったはず)、彼に恋心を抱いてしまうのはあっという間であった。


 今3月だから、桜の季節にやってくる主人公と忠之さんが出会うのはもう一月もないだろう。二人が次第に惹かれ合っていく様を間近で見るにはもう私の忠之さんに対する想いは育ち過ぎてしまった。





 もしかしたら主人公の鈴ちゃんは来ないかもしれない。

 来たとしても忠之さんと恋に落ちるかどうかもわからない。

 だってここは漫画に類似しているとはいっても実際に皆この世界で確かに生きている人達だから。



 だけど、たとえ鈴ちゃんが現れなかっとしても私はこのままここにいても良いのだろうか?



 ありがたいとこに忠之さんはもとより、旦那様も奥様も私の事をまるで本当の娘の様に可愛がって下さっている。最後まで私がこの屋敷に住む事を反対していた忠之さんの弟の和之さんも最近ではだいぶ態度が柔らかくなってきた。

 だけどやっぱり私は家族じゃないし、そのうち忠之さんにお嫁さんがいらっしゃるかもしれない。忠之さんに山のような縁談が来ているのは知っている。それはそうだろう、この神田財閥は歴史は浅くとも現在の国の中で一、二を争う大財閥なのだから。しかも忠之さんは大変な美丈夫な上、とてもお優しくて、尚且つ仕事もできる(今は会社の一つを任されているそうだ)のだから、年頃の娘がいる名家の方々にとってはこれ以上ない縁談相手だろう。

 その時私のような女が同じ屋敷に住んでいたら、きっと相手の方も良い気はしないと思う。



 だから、どちらにしても近いうちに私はここを―――、



「―――乃、……吉乃?吉乃!」


「っ!!は、はいっ!」

「大丈夫?本当に風邪を引いてしまったんじゃないか?」

「~~~!!」


 いつの間に席を立ったのか忠之さんは私の横から心配そうな顔で覗きこんでいた。そしてあろうことかなんと自分の額を私の額に合わせてきたのだ。

 熱の有無を確認するだけとわかってはいても大好きな人の顔がキスするほど近くにある事にさっきから私の心臓は激しく高鳴ってしかたない。

 私は恥ずかしさのあまり忠之さんの顔を直視できなくて、ギュッと目を瞑っているのだが、なかなか額の温もりが消えることはなかった。





「兄貴!何してんだよ!」

「!!」

「…チッ、」


 突然現れたのは真っ赤な顔で声をあげる和之さん。彼が乱入してきた事により忠之さんの気配はすっと離れてしまったが、…気のせいよね?あの忠之さんが舌打ちするなんて。


「和之、何の用だ?」


 いつまでも呆けた顔で固まっている和之さんに焦れたのか忠之さんが声をかけた。


「あ、ああ。親父が兄貴呼んでこいってさ」

「……そうか。しかたない……吉乃、熱はないみたいだけど、もう今日は部屋に戻って暖かくしてるんだよ。わかった?」

「は、はい…」


 私の頬に手を添えながら流し目を決めてくる忠之さんに私はドギマギしながらただ返事するしかできなかった。





「……多分あれ、また縁談じゃないか?」

「えっ?」


 私の気持ちを知ってか知らずか、忠之さんが出ていった扉を見ながら和之さんはぼそっとそう呟いた。


「わざわざ親父から話があるんだ、大本命かもな」

「…………」


 そういえば漫画の中では忠之さんには婚約者がいたっけ、確か何百年も続く名家のお嬢様だったような――。


 やっぱり着々と原作の始まりに近づいているんだろうか。


「……大丈夫か?」

「……何がですか?」

「いや……まあ、その、なんだ。あんまり気にすんなよ」


 おかしな人。そんな事言うくらいならお見合いの事なんて言わなきゃ良かったのに。


「……部屋に戻りますね」

「あ?ああ、送る」

「クスッ、ありがとうございます」

「何だよ」

「いえ」


 思えばこの人も優しくなった。3年前は私の事をわざと動車にぶつかって神田家に入り込んだ性悪女って言ってたもんな。確かに客観的に見るとそっちの方があり得る。

 そう思うと、すんなり私を受け入れた忠之さんや旦那様達は暢気過ぎるのではと心配になってしまう。


 そういえば漫画では初めのうち鈴ちゃんに優しくしていたのは和之さんの方だったっけ。





 この世界は大正時代風の設定なので、身分違いの結婚など言語道断。それがなぜ大財閥の跡取りである忠之さんがメイドの鈴ちゃんと結婚できたのかと言うと、実は彼女は公家の流れを汲むさる華族の生き残りだったから。家族は皆強盗に殺害されてしまったのだが、なんとか逃げ延びた当時3歳の鈴ちゃんは当時使用人だった夫婦に守られて市井で庶民として育てられたのだ。身分の違いに悩んだ鈴ちゃんは一度は忠之さんの前から姿を消そうとしたのだが、その事実がわかって二人は無事結ばれたのである。



 結局は身分に合う人と結婚するんだ。


 勿論それは私ではない。


 そもそも私の片思いでしかないんだし――。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ