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第4話:君の名は

 聖樹の根元に戻ると、巨大なクモが俺たちを出迎えてくれた。


 黒いボディに髑髏(どくろ)を思わせる真っ赤な模様。

 その柄からのイメージを覆すことのない巨大な毒蜘蛛。


 地獄蜘蛛(ヘルスパイダー)のピンクさんだ。その横にはドリさんもいた。


『あらー、やっと帰ってきたわ~♪アタシもう待ちくたびれちゃった!!』

 若干高めなこのテンション。

 それに合わせてワシャワッシャと動く八本の細い脚。


 普段ならそれとなく回避するところだが、今日は俺も彼女に用事があった。


『ピンクさん、こんにちは。ちょうどよかった。これからお伺いしようと思ってい…』

『わかってるわ~。みなまで言わないで!!私っ、ぜっんぶわかってるから~!!』


 駄目だ。すごいかぶせてくる。


『あっら~、その子ね。噂の赤ちゃんって!ん~、か・わ・い・い~☆』

『でしょ!!私もこの子は絶対美人になると思うんだよ。さすが、ピンクさんは見る目あるな~。』

 ここで赤ん坊に注意を向けたピンクさんに、突如として親バカを発症させたリヨンが合流した。


『いいわ~。創作意欲がビンビン来てるわ。任せて!!オムツでも産着でも晴れ着でも何でも作ってあげる。あ~みなぎってきた~♪』


 うん、まあ話が早くて助かった。

 元々、ピンクさんには衣類の製作をお願いするつもりだったのだ。

 引き受けてもらえるなら異論はない。


 キャッキャと話し始めたリヨンとピンクさんをとりあえず放っておいて、俺は別の問題を片付けることにした。


『ドリさん、これ見てくれよ。あの子の産着なんだけど、ココの部分。これって名前じゃないか。』

 そう言って産着をを差し出すと、ドリさんは俺の手元をのぞき込むようにして問題の刺繍を確認してくれた。


『ふむ、確かに名前の様じゃな。』

『おお!なんて書いてあるんだよ。』


 やっと赤ん坊の名前が判明したことに気分が盛り上がっている俺とは対照的に、ドリさんの顔に渋い表情が浮かんでいる。

 さりげなくリヨンたちから距離をとると、真剣な顔で俺に尋ねてきた。


『ロクよ。お前は本気であの子を育てるつもりなのか。』


 一瞬、何を言われたのか分らなかった。

 いや、意味は分かるのだが、精神的な虚を突かれて返答できなかった。

 ドリさんはそんな俺にかまわず言葉をつづける。


『妙に人間臭いお前さんのことじゃ。あの子を魔物の如くしたいわけじゃあるまい。しかし、人を人として育てるには、ココはあまりにも足りないものが多すぎるとは思わんか。』


 反論できなかった。

 俺たちは今日、食事だ、オムツだと散々右往左往した。

 ただ生きていくための条件だけ考えても、ここは人の町には遠く及ばないだろう。


 俺は考えた。

 たぶん、公正な思考じゃなかったと思う。

 あの子を、3年ぶりに接した人のぬくもりを手放したくない気持ちから穿った見方をしたはずだ。


 しかし、その視点は俺にある可能性を指し示した。


『駄目だ。人里には返せない。』

『何故じゃ。あの子の衣類はいずれも上等。つまり、裕福な家庭の生まれに間違いない。親類でも見つかれば豊かな生活に高い教育。ここでは得られぬものが多く得られるじゃろう。ワシ等にそれを奪う権利はないんじゃぞ。』


 ドリさんの言うことは完全に正しい。

 でも、俺も理由もなくあの子を返さないと言ったわけじゃないんだ。


『ドリさんの言う通りだよ。でも、あの子は俺が、俺たちが育てる。人里に返すのは危険な可能性がある。』

『危険じゃと。どういうことじゃ。』


 怪訝な表情のドリさんに、俺はいま思い至った仮説を説明する。

『最初から違和感はあったんだ。なんであんな辺鄙(へんぴ)なところで山賊が出たのか。そもそもあのコルダ車はどこへ行こうとしていたのか。あの子の母親と御者はズタボロにされていたけれど、単なる物盗りならあそこまでやる必要はないし、荷物に火をつけずに持っていくだろう。単なる山賊と考えるにはおかしいことが多すぎる。』


 ドリさんは頭がいい。まさに森の賢者って感じだ。だから俺の言いたいことにおおよその見当がついたのだろう。


『つまり、何か他の理由があると、そしてその理由とは』

 そこから後は俺が引き取った。


『特に傷がひどかったのは、母親と御者だ。二人は岩陰に隠したあの子を守っていた。賊の狙いは金でも品物でもなくて、あの子だったんじゃないか。殺すつもりか、さらうつもりだったかはわからないけど。

 もし、そうだった場合。今すぐに人里に返すのは危険だ。また、襲われるかもしれない。』


 沈黙が二人の間に降りた。

 ドリさんは俺の仮説を検討しているようだった。


『ワシはお前を正直者で、頭も悪くはないと見込んでおる。その話に嘘はあるまいし、お前がいうとおりであればその仮説もまったく見当外れということもなかろう。あの子が生きておることが分ればまた狙われる可能性はある、かもしれぬ。』


 軽々しく、口にする内容ではないということだろう。ドリさんは口調は慎重さがにじんでいる。


『分かった。あくまでお前が子供を育てるというのであれば、ワシもできる限り協力しよう。』

『ドリさん、ありがとう!!』


 思わず頭を下げた俺。

 しかし、ドリさんはそんな俺に一際厳しい視線を送ってくる。


『本当に分かっておるのか。人であれ、魔物であれ、親は自分の身命賭けて子供を守り育てる。やっぱり駄目でした。などといういい加減な覚悟は許されんのだぞ。』


 かなり高い位置にある俺の目を、射すくめるようにまっすぐに捉えるドリさんの眼光。俺は知らず背筋を伸ばしていた。


『わかってるよ。いや、本当はわかってないのかもしれないけど。あの子の親は真実、あの子のために自分の命まで使ってみせた。心底、すごいと思ったよ。同じだけの覚悟はまだないけど、それでも全力を尽くすことは約束する。だから、俺を助けてください。』

 俺はもう一度頭を下げた。


 頭を上げると、ドリさんは微笑(わら)っていた。

 それから俺に赤ん坊の名前を教えてくれた。


『ミラ』


 それがあの母親があの子に(のこ)した名まえだった。


………。


『さて、ここでミラを育てるとなると、色々考えておかねばなるまいな。』

 改めて、ドリさんが口を開いた。


 その横ではリヨンとピンクさんがミラの名前を連呼して猫可愛がりしている。

 リヨンは名前を付けたいと言っていたが、ミラという名前も気に入ったのか上機嫌のままだ。

 正直、俺もそっちに加わりたいがそういう訳にもいかない。


『とりあえず、食事はサリーさんに、衣類はピンクさんにお願いしたし、寝床は俺のところかリヨンのところに用意するつもりなんだけど。』

 普段、リヨンは聖樹の上層部に巣を作ってそこで寝ている。


 俺はといえば寝る必要がないので、暇なときは少し離れた原っぱでシャドーボクシングをしたり、瞑想や魔法の練習をしていたりする。


『ふむ、それならリヨンの巣をお前さんの根城に移させて、二人で面倒見るようにした方がいいじゃろうな。どちらか一人だけじゃと不安になるからの。主にワシが。』

 オーケー。もう少し信頼しろよとか、色々言いたいことはあるが今は甘んじて受けよう。

 寝床のことは俺にも異論はないからな。


 必死に言葉を飲み込んだ俺のことなど全く気にせず、ドリさんの言葉は続く。

 一度、面倒を見ると決めたらノリノリだ。すでに孫バカの気配が漂っている。


『しかしなあ、読み書きなんかはワシが教えるとしても、人語を操れるのがリヨンとワシだけというのはちと心配じゃ。ちゃんと言葉を覚えられるかのう。』

 なんだって、人語を操れるのがリヨンとドリさんだけ?


『ドリさん、今のどうゆうことだ。俺たちの言葉ってやっぱり人間の言葉と違うのか?』

 いやまあ、考えてなかったわけじゃないんだ。

 人間同士だって言葉が違うことがあるのに、お互い敵対する魔物と人間なら同じ言葉を話している可能性の方が低いだろう。

 なにぶん、人間と会話をしたことがないので分らないが。


 しかし、俺の質問に対するドリさんの答えは俺の予想の斜め上だった。

『なに言っておるんじゃ。言葉も何も、お前なんぞそもそも声も出とらん。』

『はぁ~!?どういう事だよ。いま、俺とドリさん話してんじゃん!!』


 訳の分からないことを言うドリさんに、思わず声がデカくなる。

 あ、ミラが泣いちゃった。

 ゴメンよ。静かにするから許してくれよ。

 そして、リヨン。そんな怖い顔で俺を見るなよ。わざとじゃないんだ。


『まさか、知らなかったとは。お前さん、相変わらず妙なところで無知じゃな。まあ、ワシが詳しく説明してやるから、ちょっと落ち着かんかい。』

 あきれ顔で言うドリさん。俺もひとまず座りなおした。


 ドリさんがカクカクシカジカと説明してくれる。それを俺は真面目に聞いた。


『あ~、なるほど。つまり、魔物同士は魔力を媒介にして意思の疎通ができるから、俺もそれでみんなとやり取り出来てる。けど、人間は基本的にそこまで魔力の素養がないから意思の疎通が出来ないんだな。』


 考えてみたら、ガラードンやピンクさんの体で人間の言葉を話すのは構造的に無理がある気がする。

 さらに言えば、俺なんか岩の塊で肺も気管も声帯も何もないんだから話せる道理がないのだ。


 なんか、落ち込むぜ。


『まあ、人間の中でも素養のあるものはある程度理解できるかもしれん。ミラもさっきのお前の声に反応していたように見えたし、素養はあるかもしれんが。あまり期待は出来んな。』

『でも、ドリさんとリヨンは話ができるんだろ。その方法は俺は使えないのか?』


『難しいと言わざるを得んな。と言うのも、ワシはこの聖樹を媒介にしておってな。風で葉が揺れる音の中から欲しい音を増幅したり、選り抜いたりして言葉にするんじゃ。リヨンの方はもっと身もふたもないぞ。普通に話せるだけじゃ。そもそもハルピュイアは歌を歌い、男を誘う。なかでも人族はお得意じゃからな。言葉なんぞ群れの中で徹底的に教わるんじゃな。』

『そうかあ。』


 どちらも俺には出来そうもない。なんてこった。

 うなだれてがっくりと落ち込んでいる俺。

 しかし、ドリさんは腕を組んでしきりに何か考えていた。


『……、ハルピュイアか。う~む、理論上は。だが、』

 なんだ、何を考えているんだドリさん。

 まさか、何か方法があるのか。期待してもいいのか。ドリさ、いやドリえもん。


『おーい、リヨン。ちょっとこっちに来てくれるか。』

 俺の期待を一身に受けたドリえもんは、顔をあげるとリヨンを呼んだ。

 呼ばれたリヨンはミラを抱いたままこちらにやってくる。もちろんピンクさんも一緒だ。


『なに、どうしたの?』

 首をかしげるリヨン。それに対してドリさんは今の俺とのやり取りをウンヌンカンヌンと説明する。

 リヨンの方はミラをあやしながらフムフムと肯いていた。


『つまり、ロクが言葉を話せなくてスネてるんだね。』

 いや、そんな。客観的に見ればその通りなんだけど、もうちょっと表現に手心というか。

 大の男が拗ねてるって、ねえ。

 格好がつかない。


『それでじゃな、リヨンにはすまんのじゃが、ロクのために羽根を一枚もらえんか?』

『え~、羽根を?』

『そうじゃ。ハルピュイアの羽根には魔力に反応して様々な音を発する性質がある。それを利用してやれば人の声に似た音を出す道具を作れるかもしれん。』


 おお、そういうことか。

 つまりは魔力式の人工声帯。いいじゃないか。


『お前が羽根を大事にしてるのは知ってるけど、頼むよ。この通りだ。』

 なおも悩んでいる様子のリヨンに俺はそう言って頭を下げた。

 リヨンはそれをみてニコリと笑った。


『ロクのお願いじゃ、しょーがないなあ。そのかわり、今度は私のお願いも聞いてよね。』

『ああ、俺にできることならなんでも言ってくれ。』

 俺もそう言って笑い返した。


 話は分かっていないだろうが、和やかな雰囲気を察したのか、ミラがキャッキャと笑う。


 そんな風に最初の一日は過ぎていった。


 まあ、この後もう一度サリーさんにミルクをもらいに行ったり、おしめを替える必要が出来た時に、もう代わりに使えるものがなくて途方に暮れたり、夜中に突如泣き出したミラを抱えて俺が右往左往したりということがあったけれど。


 とりあえず、なんとか新生活は始まったのだった。

リヨンの服もピンクさんのお手製です。

ピンクさん、雌なのか、オネエなのか。

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