第148話:暗闇で目を覚ます
暗闇の中でミラは目を覚ました。
わずかに身じろぎするが、瞬間走った痛みにうめき声をあげる。
痛みのもとは頭、それに腕や背中。
息苦しさと締め付けられた手足の感覚から、自身がさるぐつわを噛まされ、縛り上げられていることを知った。
特に手は背中側で縛られていて、無理な体勢の元になっていたし、荒縄と擦れるせいで手首もじくじくと痛んだ。
絶え間のない波の揺れ。ジメジメと湿った空気。
淀んで濁った潮の香りと獣臭さが入り混じり鼻を突く。
(ここは、船の中?)
混乱しながらも、周囲の状況から判断する。
これでもいくつかの死線をくぐっているのだ。必要以上に取り乱したりはしなかった。
自身のおかれた不可解な状況に思いを巡らせば、すぐに一つの記憶がフラッシュバックした。
暗い通りに立ちふさがる男。突然の衝撃と意識の断絶。
そして、隣にいた幼なじみ。
(そうだ、シレンは?)
周囲に視線をとばすと、ほんの目と鼻の先に少年は転がされていた。
暗闇の中であなければ、目覚めてすぐにいることに気が付いただろう。
肩と肩が触れ合いそう、というか実際にくっついている。
表情までは判然としないが、どうやらミラと同じくさるぐつわを噛まされているらしく、意識はまだ戻っていないようだった。
「ん~、む~。むぐ~」
声も出せず、揺り起こすこともできず、結局、肩をぶつけながら唸り声をあげる羽目になった。
最初は何の反応もなかったシレンだったが、2度3度と繰り返すうちに目を覚ました。
とはいえ、状態はミラと同じである。
状況は全く好転することはなかった。
ただ、ム~ム~と唸り声をあげるイモ虫が1人増えただけである。
ちなみにミラはシャツと短パン(どちらも下着だ)、シレンに至っては短パンのみの恰好。
服、石剣、ナイフ、それに財布などは奪われていた。
そのまま、数時間。
いつしか夜が明け、船室の中にもわずかばかりの光が差し込みはじめていた。
暗闇の中で想像していた通り。二人が閉じ込められているのは縦横に区切られた狭い区画だった。
驚いたのは、同じ区画に手枷をはめられた奴隷たちが何人も押し込められていたことだった。
どうやらここは奴隷船らしい。
奴隷たちは厳重に束縛されて突然運び込まれてきた2人に厄ネタの匂いを感じ、狭いなりに距離をとっていたのだ。
頭上の甲板からは起き出したらしい船乗りたちの生み出すドタドタとした喧騒が響いてくる。
不意に、甲板から降りてくるトントンという足音。
続いて、男が2人。ヌッとミラとシレンを見下ろした。
小さな足音に似つかわしくない大柄な男たちだった。
港の道で自分たちを襲った男たちが思い出されて身構えるが、イモ虫状態のミラたちに何が出来るでもない。
男たちはミラたちの反応などお構いなしに、まるで荷物のように2人を担ぎ上げると甲板へと運んだ。
薄暗い船室から放り出され、朝の光に目がくらむ。
その間に手際よくさるぐつわが外されていた。
回復した視界に飛び込んできたのは、自身を囲む屈強な船乗りたち。
そして、彼らの中心でニヤニヤと笑う黒づくめの2人組。
「よう、気分はどうだ?」
黒づくめの内、太った小男が口を開く。
軽やかで、平静。まったくもって普段通りの口調。
「ベルウッドさん」
思わずこぼれたミラの声はかすれていた。
精神的な動揺というよりは、一晩中縛り上げられていたが故の肉体的な疲労のためだ。
「あんまり驚いているようには見えねえな。もしかして予想通りだったか。」
奴隷商人は肩をすくめる。
実際、ミラは予想していた。あくまで可能性の1つだったが。
「どうして、こんなことを」
奴隷商人はミラとシレンを見ながら返答をする。
「目の前に金貨の袋が落ちていたら、誰だって拾うだろう。違うか?なあ、“魔物を統べる者”ミラ・カーマイン」
冗談めかした口調。
顔には笑みさえ浮かべているが、視線はやすりの様にざらついている。
相手の言葉以外の反応から、情報を得ようとしている表情だった。
「……、なんのことですか?」
「フッ、なかなか大したポーカーフェイスだが、どうにも年季が足りてないな。まあ、安心してくれ。万が一、俺の勘違いだったとしても、その時は普通に奴隷として売り払ってやる。どちらにしても損はしねえ。」
まったくもって安心できないことをニヤ付きながら言うベルウッド。
半ば観念した気持ちでミラは質問を投げかけた。
「なぜ、私がミラ・カーマインだと思ったんですか。」
ベルウッドはまるでお得意さんにサービスするような口調で応じる。
「タレコミさ。この間、ファーンから買った犯罪奴隷からな。お前さんも商談にいただろう。」
倉庫の1つを改造した牢屋。そこで目にした3人の奴隷の事が思い出される。
「奴隷のうち1人がな。ファーンの連れてた猫族のガキは金貨千枚の賞金首だと言うじゃねえか。最初はデタラメだと思ったんだが、妙に説得力があることを言い出してな。なんでも、奴は13年前にお前さんを見たことがあるらしい。」
13年前。元傭兵の犯罪奴隷。
記憶はない、13年前など、リヨンは未だ生まれたばかりの赤ん坊だったはず。
それでも、心がざわついた。
連想したのは、リヨンやロクから聞いた“彼らと自分の出会いのエピソード”。
「言っていたぜ。髪の色こそ違うが、顔が母親にそっくりだと。貴族の女とたかをくくっていたのに、しつこく抵抗されて手こずったからよく覚えているとな。」
予想外の場所で立ち上がってきた過去に、ミラの顔色が変わる。
その様子になにがしかの確信を得たのだろう。
ベルウッドは周りの船乗りたちにアゴをしゃくった。
「聞きたいことは聞いた。間違いない。2人とも船室に放り込んどけ。」
ミラたちを甲板まで運んできた男たちが再度2人を担ごうと近づいてくる。
「触らないで!」
ミラが機先を制するように声をあげる。
【海神龍の瞳を証として命ずる。普遍なる水の精霊よ。我が思いに寄り添いて……、】
続いて詠唱
「コイツ!」
船乗りが怒声をあげて、腕を振り上げる。
「やらせるかッ!」
それまで甲板の上に這いつくばっていたシレンが跳ね起きる。
手足を縛られているから、体ごと肩をぶつけていく。
不格好極まりないが、それでも船乗りを邪魔することには成功した。
船乗りとシレンがもつれるように甲板に転倒する。
【……、遍く全てを彼方へと押し流せ。大津波】
その隙に、詠唱は完成した。
「ヤベえ!!」
船乗りたちが危機を察すると同時。
怒濤が逆巻き、甲板上の全てをなぎ倒し、押し流した。
流れ込んでくる海水に船室の中の奴隷たちが悲鳴をあげ、甲板の縁やロープにつかまり損ねた船乗りたちが水流とともに船から放り出される。
数秒の後、甲板の上で無事なのはミラだけだった。
ベルウッドは濡れネズミの青息吐息で甲板の縁に捕まっており、他の船乗りたちも同じような有り様。
シレンは手足を縛られていたが、海に投げ出されることなく。運よく帆柱の根元にひっかかっていた。
海水を飲んだのか。しこたまむせているが、なんとか生きてはいそうだ。
「次はもっと大きな波を呼びます。この船を沈めるくらいの大きな波を。」
断固たる覚悟。少なくとも、そう聞こえるようにミラが言う。
「水の魔法は前情報になかったぞ。ちくしょうめ。魔法具も魔石もなしにこの規模の魔法。お前さん、本当に人間か。…いや、“魔物を統べる者”だったな。」
ベルウッドの言葉にはまごうことなき驚きがあった。
それでいて、過度な恐れや混乱が感じられないのは流石といえる。
しかし、他の船乗りたちは別だった。
先程までは余裕綽々でミラを見下ろしていた船乗りたちが、今や化け物を見る目を少女に向けていた。
「私たちを解放してもらいます。まずはシレンのロープをほどいて、それからシレンにナイフを持たせて。私のロープはシレンにほどかせるから。」
次に言葉を発したのは、ベルウッドでも、ミラでもなかった。
「あんまり、大人を困らせるもんじゃないぜ。お嬢さんよ。」
ベルウッドの弟、ジェイドだ。
その手には大振りのナイフ。切っ先はシレンの首元に突きつけられていた。
それを見た瞬間。ミラは詠唱を開始した。
【海神龍の瞳を証として命ずる。普遍なる水の精霊よ。我が思いに寄り添いて、遍く全てを彼方へと押し流せ。】
「おい、やめろ!脅しじゃないぞ。」
気色ばむジェイド。
力が込められた切っ先が浅く皮膚をさき、シレンが小さく声をあげ血が一筋流れ出す。
「私だって、脅しじゃありませんよ。」
ミラは淡々と断言した。
詠唱は完了し、後は発動させるだけ。
充実した魔力が空気を張り詰めさせる。
ミラの左目、赤色の虹彩に散りばめられた青い星が瞬くような光を放つ。
「私は誰も殺したくない。けど、もう躊躇うことはしないと決めたんです。それしかないなら、全てを犠牲にしても生き残ってやる。」
「テメエ…」
「やめろ。ジェイド、俺たちの負けだ。」
張り詰めた空気の中。あっさりと、ベルウッドが白旗をあげて見せた。
「兄貴」
「クールになれよ。別に元手がかかってる話でもない。イモ引くのは面白くねえが、本当に船を沈められでもしたらたまらねえ。意地を張る場面でもねえのは分かるだろう。」
「…分かったよ。」
ジェイドがナイフをシレンの喉元から離し、そのまま手足のロープを切る。
「痛ゥ~」
シレンは凝り固まった手足を回しながら立ち上がった。
首元の傷の痛みに顔をしかめながら、ジェイドからナイフを受け取るとミラのもとへと駆け寄った。
「ミラ、すまない。助かった。」
小声で礼を言いつつ、少女の手足の束縛を断ち切る。
「ありがとう。魔法の維持に集中したいから、あとの交渉はお願い。」
立ち上がりながら、ミラが言う。
強力な魔法を発動寸前で維持するのは、強弓を引いた状態で維持するようなもの。
精神力も体力も必要とされる。
襲撃と拉致、そして束縛されての一夜を経たミラの余力もそれほどはないはずだった。
急いだほうが良いと判断したシレンはベルウッドたちに向き直る。
「俺たちの服と荷物を持ってきてくれ。あとは小舟をこちら側に回してもらう。」
一度損切りすると決めたからか、ベルウッドは素直に肯いた。
「ジェイド。言われたとおりに、あと食料も余分に積んでおいてやれ。」
奴隷商人の弟はあきらめたように肩をすくめた。
「了解。」
まもなく、食料を積んだボートが降ろされ、2人の荷物(と言っても服以外は石剣、財布、それにナイフくらいのものだが。)が準備された。
いつまでも下着姿は嫌だが、流石にこの場で着替えるわけにもいかない。
まずはシレンが梯子を伝って荷物と一緒にボートへ乗り移る。
ボートの状態、食料の量。それに水中にベルウッドたち配下の船乗りが潜んでいないかを確認する。
「ミラ、大丈夫だ。行こう。」
「わかった。」
ミラが梯子に足をかけた時、ベルウッドが軽く手をあげた。
「なかなか、面白い交渉だった。次に会う機会を楽しみにしてるぜ。」
これで逃げられる、と少しばかり気が緩んでいたのか。
ミラのポーカーフェイスが破れた。
現れたのは心底嫌そうな顔。
それを見たベルウッドが笑い声をあげる。
「ハッハァ。いい顔だ。すましたポーカーフェイスよりもよほどいいぞ。」
その声を聞きながらミラは半分飛び降りるような勢いでボートに乗り込んだ。
「シレン、しっかり掴まって。もう、限界」
「え?」
シレンが聞き返すのとほぼ同時。
【大津波】
ミラが魔法を解き放った。
「うわぁああああああああ!!」
シレンが思わず悲鳴をあげる。
突如現れた大波が2人の乗った小舟を持ち上げて、奴隷商船から遠くへと運び去っていく。
余波だけで奴隷商船も揺れに揺れ、歴戦の船乗りであっても甲板をゴロゴロと転がる有様だった。
ただ一人、笑っているのは商船の主、ベルウッドだ。
「コイツはすげえ。本当に船の1隻や2隻は沈められたかもしれねえな。」
半ば呆れたような奴隷商人の笑い声に見送られる形で、ミラとシレンは奴隷商船から脱出した。




