第9話:赤子に続いての拾い物
ことの始まりはドリさんの一言だった。
「どうやら、森に人が迷い込んだようじゃ。」
授業の終わったころを見計らって、ミラを迎えに来ていた俺とリヨンはその言葉に色めき立った。また、いつかみたいな傭兵かもしれない。
ドリさんは聖樹の周囲の森の状況を半径数百メートルにわたって感知できるのだ。
「傭兵か狩人かな。私、サリーさんたちに知らせてこようか。」
リヨンが今にも飛んでいきそうに羽根を広げる。この山奥に普通の人間は滅多にやってこない。たまに来たとしても、道に迷った狩人かデモンズゴート狙いの傭兵が精々だった。
傭兵というのは、言ってみれば何でも屋。戦争があればもちろん戦場に出るが、なければ町から依頼を受けて魔物を退治したり、利用価値の高い魔物を狩って生計を立てたりする奴らだ。
以前にもガラードンたち、デモンズゴートを狙ってやってきた傭兵を身ぐるみ剥いで街道のはずれに捨ててきたことがあった。
「いや、どうも様子がおかしい。人数は一人じゃ。それにひどく衰弱しておる。今にも倒れそうじゃな。」
俺とリヨン、おまけにミラは顔を見合わせた。
見つけた時、すでに男は意識を失ってうつぶせに倒れていた。
結局、俺が一人で見に行くことにしたのだ。万が一何かの罠だとしても、俺だけなら何とかなるだろうという判断だ。
首筋の服をつまんで男をひっくり返す。日焼けした肌にこげ茶色の短髪。背は高い方だろうが、かなり痩せていて目の下には隈もできていた。
どうやら、体調不良は演技ではなさそうだ。そう判断した俺は男を小脇に抱えてドリさんのところへ戻ることにした。
リヨンとドリさんは聖樹から少し離れた場所で、俺を待っていた。ミラはリヨンの背後に隠れるようにして、様子をうかがっている。
「あ、ロク。大丈夫だった?」
心配そうに尋ねてくるリヨンに頷き返して、地面に男を横たえる。顔色は悪いが、生きてはいる。
「ふむ、病気ではないし、過労かの。休んで、食事をすればマシになるじゃろう。大した武器は持っておらんし、戦士の体つきでもない。狩人や傭兵の類ではなさそうじゃな。」
ドリさんが顎を撫でながら分析する。それには俺も同意見だ。
「だけど、どうしよう。街道沿いに放り出してくる?」
そう言ったのはリヨンだ。まあ、妥当なラインではある。捨てる前に、ドリさんに回復魔法でも唱えもらえば十分親切だろう。
だが、ドリさんがその意見に異を唱えた。
「まあ、待て。コレは利用できるかもしれんぞ。」
何を言い出したのか分らない俺たちはドリさんに更なる説明を求めた。
「つまりじゃな。以前からお前の言っておったあの計画。ミラに人間の友達を作ってやるのにこの男を利用するんじゃよ。」
ここまで言われて俺はピンときた。確かに、これは俺がずっと待ち構えていた状況に近い。
「なるほど、この男を助けてやって好印象を得る。その後で町との橋渡しを務めてもらうってことか。」
「そういうことじゃな。普段なら問答無用で逃げ出すか攻撃されるが、この状況なら話もできよう。そのうえ、命の恩人となればおおよそ無下には扱うまい。」
聞けば聞くほど、いいアイディアに思えてきた。一つ問題なのはこの男がとんでもない下衆だったりした場合に、恩を仇で返すようなことをしてくるかも知れないということだが、よく目を光らせておけばいいだろう。
「それじゃあ、小屋に連れて行って看病するよ。そうすれば、目覚めても聖樹の場所はばれないだろうから。」
「そうしてくれると助かる。何かあったらリヨンをよこしてくれ。」
何でも聖樹の葉は貴重な薬になるらしく、存在が明らかになると傭兵がワンサカ来て厄介なことになるらしい。普段は擬態によって周囲の木に紛れているとはいえ、ばれるリスクはできる限り小さくしておく方がいい。
そんなわけで、俺は男を抱えてリヨンとミラともに小屋へと向かった。
男を小屋の中に寝かせながら、リヨンにスープを作るように頼む。ミラたちの昼食兼、男が目を覚ました時の食事だ。
その間、俺は男が妙なことをしないように見張っておく。と言っても、相手は寝ているわけだが。
ミラは俺の膝の上に乗って、男をまじまじと観察していた。
「ねえ、ロク。どうして、このひとをたすけるの?」
そう尋ねる口調には少しばかり非難する色があった。
「倒れていたからね。放っておくのは可哀想じゃないか。」
俺がそう言うと、ミラは違うというように首を振った。
「でも、ひとはネェネたちをおそうでしょ。まえにきたひとたちは、みんなでおいはらったじゃない。」
確かに、以前来た人間と言えば数組の傭兵だけ。そして、そいつらは皆で死なない程度に痛めつけた後、街道沿いに放り出しておいた。
ドリさんの魔法で、かなり強めに記憶を混乱させたうえでだ。
その時と比較すれば、ミラが不思議に思うのも無理はなかった。俺は少し考えて、言葉をまとめてから口を開く。
「確かに、人の中にはホルンちゃんたちデモンズゴートを狙う奴らがいる。でも、みんながみんな悪い奴らじゃないはずなんだ。」
子供に説明するのはいつだって難しい。難しいけど、できるだけ自信をもって話さなきゃいけない。だって、俺はミラの父親代わりだから。
「デモンズゴートの中にも意地悪な子はいるだろう?それに、ミラも人間だけど、皆と仲良しだ。魔物が良くて、人が悪いんじゃないんだ。良い魔物と良い人がたくさんいて、少しだけ悪い魔物と悪い人がいるんだよ。」
俺の言葉を咀嚼しているように、ミラは小さく首を傾げた。
「このひとは、いいひと?」
そう言って寝ている男を指さす。今度は俺が首を傾げる番だった。
「うーん、分からないな。森の中で倒れてただけだから。でも、良い人だったら助けてあげたい。悪い人だったら、皆でやっつけちゃえばいい。目を覚ましたら、この人と話をしてみよう。」
「うん、そーする。」
納得できたのか、ミラは元気よく肯いた。
男が目を覚ましたのは、それから2時間ほどたってからだった。途中から退屈したミラとリヨンが小屋の外で合唱をはじめたのだが、その大音量にもめげずにグウグウと眠っていたのだ。
他の二人が外で歌を歌っていたため、男が目を覚ました時に小屋にいたのは俺一人だった。
「う、うう」
男がうめき声をあげたので、俺は顔を覗き込む。瞼がぴくぴくと動き、今にも目を覚ましそうだったので声を掛けた。
「おい、大丈夫か。」
男の目がうっすらと開かれた。最初はぼんやりとしていたが、次第に焦点があってくる。
「うわぁあああああああ、ま、魔物だあああ!!」
絶叫。そりゃそうだ。目を覚ましたら至近距離で魔物が覗き込んでいたら、誰だって絶叫する。
俺が迂闊だった。
「落ち着いてくれ。別に危害は加えない」
「ひぃいぃっぃぃいいいいいい。」
駄目だ。完全にパニックだ。途方に暮れる俺、とそこに騒ぎを聞きつけたミラとリヨンが顔を出した。
ミラは目を血走らせた男の姿に怯えているが、リヨンは状況を見て取るとすぐさま歌いだした。
荒ぶる風もその動きを止めるような穏やかな歌声。固有魔法【呪歌・凪の歌】
人や魔物の心に作用するハルピュイアの固有魔法の中で、心を鎮める唄だ。それを聞いているうちに男も落ち着きを取り戻した。
とは言っても、その眼には警戒心がありありだ。まあ、いきなり打ち解けられても怪しいことこの上ないが。
「お前たち、なんなんだ。俺を一体どうするつもりだ。」
「別に何もしない。倒れていたから連れてきただけだ。腹減ってないか。もし、よければスープがあるが。」
「って、ゴーレムが喋ってる!!」
今さらそこに驚くのかよ。コイツ、面倒くさいな。
結局、男が落ち着いて俺たちの話を聞くようになるには、もう小一時間必要だった。