番外:オヅノ君危機一髪(後編)
オヅノ君たちと友達になった次の日。同じところで練習していると、二人が岩場をチョコチョコとやって来た。昨日とは違い、コモンちゃんがオヅノ君を引っ張るようにして歩いてくる。
子供だけで来た所を見るに、きっとまた抜け出してきたのだろう。リヨンも少し困った顔をしている。
それでも、やはり普段と違う聞き手がいるのは満更でもないのか。少し小言を言った後は、気持ちよさそうに歌っていた。
後半になるとコモンちゃんもコーラスで参加。二人で楽しそうに笑っていた。
オヅノ君はしょうがないなあ。という表情。昨日も帰ってから怒られたと言うから、今日は一際だろう。何とかバレずに戻る方法を考えている。
昨日と同じで、小一時間で終了。3人を肩に乗せて群れの方へと向かう。
オヅノ君のためにも彼の作戦が成功することを祈りつつ別れた。
俺も帰ろうと思ったが、リヨンがなにやら難しい顔で練習していた岩場の方を見ていることに気が付いた。
『どうかしたか。』
その表情が気になったので声をかけると、リヨンはかぶりを振った。
『なんか、動いたような気がしたんだけど。気のせいだったみたい。』
そう言うと、ぴょんと空に舞い上がって滑るようにねぐらの方へと飛んでいく。
『あ、待てよ。』
俺も慌てて後を追う。
そのまま聖樹の所まで戻り、普段通りドリさんと話をしたりしているうちに、リヨンの「気のせい」は頭の片隅に埋もれていった。
その次の日も、俺たちは相も変わらず練習と修行に明け暮れていた。なにせ、他にたいしてすることがないのだ。
だが、どうも今日のリヨンは調子が悪い。
まあ、原因はハッキリしているのだが。
『どうした、ギャラリーがいないと調子が出ないか。』
俺が水を向けると、休憩中だったリヨンは素直に肯いた。
『そうだね。まだたったの2日だけど。やっぱり、誰かが喜んでくれると歌いがいがあるよ。』
オヅノ君とコモンちゃんの2人の姿はここにない。この2日間はこのくらいの時間には来ていたのだが。
『親御さんにバレて、抜け出してこれなくなったんじゃないか。引っ越してきたばかりでちょっと神経質になっているみたいだったし。落ち着いたら、また来るさ。』
なんだったら、こちらから悪魔山羊のねぐらに挨拶に行ってもいいだろう。
俺の言葉に、リヨンは肯く。
『うん。でも、この前の調子だと、族長はずいぶん頭が固そ……』
リヨンの言葉は地響きで遮られた。視線を向ければ、荒れ地をこちらに向けて進んでくる集団がある。悪魔山羊だ。
先頭にはオヅノ君の父であり、族長のガラードン。その後ろに5、6頭の雄が続いている。
ガラードンたちの険しい表情に、こちらも緊張する。良い予感は全くしない。
『お前たち、ここにオヅノとコモン、悪魔山羊の仔は来ていないか。』
その台詞で俺たちも何が起こったのか、おおよそを理解する。
『今日は来ていないが、まさか、いなくなったのか。』
ガラードンはこちらの質問に答えるつもりはないようだった。
『この2日間、ココに二人が出入りしていたことは分かっている。もし、見かけたらすぐに群れまで連れてきて欲しい。』
ガラードンや他の雄の態度を見るに、どうやら本当に切羽詰まっているらしい。
『もし、必要なら俺たちも探すのを手伝うが。』
『ありがたいが、それには及ばぬ。我らのことは我らが対処する。』
俺の申し出を断るガラードンの口調は頑なで、俺は二の句が継げなくなった。
その時だ。俺の隣で話を聞いていたはずのリヨンが、不意に明後日の方向へ振り向いた。
『リヨン?』
一瞬にして緊張を増したリヨンの目。俺が聞き返した時にはリヨンは既に動き出していた。
異変を察して俺も走り出す。ガラードンたちは呆気に取られている。
『悲鳴が聞こえた!!』
俺の疑問に、端的に答えるリヨン。
リヨンの言葉にガラードンたちも我に返った。背後から蹄の音が響く。
悲鳴って、誰のだ。俺がそれを尋ねるより早くリヨンは呪文の詠唱に入っていた。
【軽やかなる風の精霊よ。我がもとに立ち寄りて、疾風の加護を与えたまえ。疾風を纏う者】
『ロク、先に行く!!』
一言だけ残し、文字通り疾風のようなスピードで森の中へ突き進んでいくリヨン。それほどに余裕がないということか。俺も必死で走りながら練習中だった魔法を発動させる。
【硬化】
俺たちの様子に事態を察したのか。ガラードンも何らかの魔法を発動させたようだった。隣を走る巨体が一瞬、淡い燐光を放った。
極力、樹木を傷つけないようにしつつも、全力で森を突き進んでいくと、不意に争いの物音が届く。次に俺の視界が急に開けた。
目の前にはコモンちゃんを庇う様に立つリヨン、それを囲む5人の人間。
リヨンの右肩から流れる血に、一瞬にして頭に血が上る。(ゴーレムだから血はない。という指摘は受け付けない。)
『おらぁあああああ!!』
問答無用で右腕を薙ぎ払う。標的はリヨンの一番近くにいる鎧を着こんだ男だ。
「グハアアアッ!!」
叩き潰さなかったのがせめてもの慈悲だ。吹き飛ばされた男は後方の切り株に激突して、動かなくなった。
「な、レックスっ?!」
仲間を気遣う素振りを見せるもう一人の男にも、間髪入れずに左拳を繰り出す。しかし、今度は不意打ちではない。バックステップで避けられてしまう。
だが、そこにガラードンが突っ込んできた。男は激しく突き上げられ、宙を舞うと地面に強かに打ち付けられた。
残る敵はあと3人。男が1人に女が2人。身なりからして傭兵だろう。状況から見て、悪魔山羊を狙ってこの山に来たということか。
顔面に軽い衝撃を受け、見れば足元には矢、離れたところにいた女が放ったらしい。
いい腕なんだろうが、硬化まで発動した俺にダメージを与えられるほどじゃない。
傭兵たちの顔には既に戦力差を悟った悲痛な表情が浮かんでいる。
オヅノ君の姿を探せば、短剣を持った男の足元に網でグルグル巻きにされて転がされていた。
ガラードンたちもそれに気が付いたらしい。迂闊に動けば、彼が害されるかもしれない。
じり、とした硬直状態が場に生まれる。
その均衡を破ったのは意外な声だった。
【いと静けき緑の精霊よ。我が声に耳を傾け、静寂を乱す輩に戒めを与えたまえ。束縛する緑の手】
同時に男の足元から緑の蔓が、まるで燃え上がるような勢いで伸びてきて、瞬く間に男を束縛した。
声、それに発動した魔法の種類。ドリさんに間違いない。
結構、山から下ってきたとは思っていたが、ドリさんの勢力圏に入っていたとは気が付かなかった。
傭兵たちが呆気にとられた隙をついて、デモンズゴートのうちの1頭が女を1人組み伏せる。
残った女の判断は早かった。踵を返すと包囲の乱れた場所へ向かって駆け出す。
同時にいつの間にか手にしていた真っ赤な輝石を後方、オヅノ君とガラードンのいる辺りに向けて放り投げた。
【力ある石よ。なされた刻印に従い、今こそその力を示せ。点火】
輝石の周囲に火花が走る。硬質な輪郭の中で魔力が充実し急速に高まっていく。
『みんな、にげろ!!』
俺はそう叫ぶと、輝石の上に飛び込んだ。そのまま自分の体で地面に輝石を押し付ける。
瞬間、体の芯まで振動が襲い、火炎が俺の視界を遮った。
『うわあああああぁ、熱っ……くねー全然熱くねえ見た目ほど熱くねえわ。』
うん、熱くなかった。まあ、俺の体は石だしね。大して痛覚もないし。体の異常が分かる程度の痛覚っぽいモノはあるんだけど。
『ロク、大丈夫?痛いとこない?』
近づいてきたリヨンが心配そうに言う。俺は平気だと笑って見せた。(表情はないけど)
精々、胴体表面に小さなひび入ったのと焦げたような黒い色が着いたくらいだ。そう言うと、リヨンも安心したようだった。
『無茶しないでよ。アレがもっと強力な魔法石だったらどうなってたか分らないよ?』
そうか、アレが魔法石というのか。
魔力を宿した魔石に魔法の術式を刻印することで、専門家以外でも魔法を使えるようにしたもの。
基本的に使い捨てで、しかも結構高価らしいから、傭兵たちの切り札だろう。
そうこうしているうちに、女を追っていった一団が戻ってきた。結局、最後の女も逃げ切れなかったらしい。グッタリした様子でぞんざいに引きづられて来た。
とりあえず、状況がひと段落したところで負傷者の治療を行う。幸いにも重傷者はなし。
リヨンの右肩の傷も大きくはあるが深くはない。ドリさんからもらった薬草を貼り付けるだけで治療は済んだ。
それに加えて、ドリさんには傭兵を全員縛り上げてもらう。武器は取り上げて保管しておくことにした。何かに使えるかもしれない。
傭兵たちを簀巻きにし終えた後で、オヅノ君たちの事情聴取が始まった。聞いているのは仁王立ちのガラードン。
コモンちゃんは安心したのか泣きじゃくっているが、オヅノ君は割合に冷静だった。顔は青ざめているが、言葉はしっかりしている。
ガラードンは俺とリヨンも同席していることには何も言わなかった。
簡単に言うと、ことの顛末はこういうことだった。
オヅノ君とコモンちゃんが俺とリヨンの所へ行こうとして森の中を歩いていると、不意に投網を投げつけられた。オヅノ君が庇ったおかげでコモンちゃんは難を逃れたが、今度は傭兵たちに囲まれて万事休す。
そこにリヨン、続いて俺とガラードンが助けに来た。
リヨンの傷は男につかまりそうになっていたコモンちゃんを庇った時に負ったらしい。
ドリさんが教えてくれたところによれば、仔山羊を捕獲した後で、探しに来た親山羊を罠にはめて仕留めるのはデモンズゴート狩りのスタンダードな手口とのこと。
ノコノコと群れからはぐれたオヅノ君たちは、おあつらえ向きの獲物だったわけだ。
ガラードンは話を聞いた後、短い言葉を発した。
『オヅノ、自分がなにをしたか分かっているのか。』
静かだが、厳しい声だった。オヅノ君は一度肩をビクリと震わせたが、意を決して正面から父の顔を見た。
『はい、かるはずみなことをしてしまいました。ごめんなさい。』
ガラードンの返答は今度も短い。
『分かっているのならいい。今日のことを忘れるな。』
オヅノ君はその言葉に深く肯いた。それで終わりかと思ったが、ガラードンが最後に少し付け加えた。
『よく、コモンを守ったな。無事でよかった。』
投網からコモンちゃんを庇ったことを言っているのだろう。厳めしいが優しい声だった。
その声に緊張が解けたのか、オヅノ君の目から涙がこぼれ落ちた。
なんだ。結構いい親父じゃん。
結局、傭兵はドリさんに強烈な幻惑魔法をかけてもらって、街道沿いに捨ててくることにした。生かして返すことにガラードンは良い顔をしなかったが、結局は折れてくれた。
まあ、ドリさんが「下手をすれば頭がパーになるレベルで魔法をかけた。」といったのも納得してくれた理由の一つではあろう。
最後にガラードンは俺たち三人に深々と頭を下げた。
『今日は俺たちの子供のために戦ってくれてありがとう。悪魔山羊は受けた恩は忘れない。いつでも頼ってくれ。』
その言葉に、俺とリヨンは戸惑ってしまう。そもそも、原因の一旦はオヅノ君たちの脱走を黙認していた俺たちにあるような気もする。正直、いたたまれない。
それでも、一つだけ言っておきたいことがあるのを思い出した。
『それなら、一つだけお願いがあるんだが』
そう切り出すと、ガラードンは「何でも言え」とばかりに見返してきた。
『すぐにじゃなくてもいいから、二人にまたリヨンの歌を聞きに来てもらいたいんだ。良い観客がいないと、どうにもコイツの調子が出ないらしくて。』
リヨンを指さしながら、そう言う。リヨンが照れたような顔をした。
『わかった。二人にはお前たちが楽しみに待っていると伝えておく。その時は、俺も同席させてもらうとしよう。』
そう言うと、ガラードンは踵を返した。その口元がわずかに上がっているように見えたのは俺の気のせいだろうか。
その2日後、練習をしていた俺たちは、3つの影がこちらに近づいてくるのに気が付いた。コモンちゃんが待ちきれないとばかりに飛び出して来る。それを見て苦笑するオヅノ君と顔をしかめるガラードン。
リヨンが顔一杯に笑顔を浮かべて、それを出迎えた。
~その後のオヅノ君~
自分の未熟を知ったオヅノ君は、この後本格的なトレーニングを開始。
そうやって力をつけつつも、この失敗を忘れすにいることで、実力はあるが慎重で謙虚な有望な族長候補へと成長する。
もちろん、女の子にも人気で、幼馴染、よその族長の娘(ツンデレお嬢)などによる熾烈なヒロインレースが繰り広げられる(予定)。
その辺りを描写すると結構面白くなりそうな気もするけど、ラブコメ(山羊)は作者の手に余るため、多分書かれることはない。
本編にコモンが登場しないのは、単に描写がないだけでモブとして普通にいます。
※次回から、新章に入ります。