番外:オヅノ君危機一髪(前編)
過去編、例によってミラを拾う前の話。前後編です。
『おっはよ~!!』
『おはよう、今日も元気だな。』
今日も朝から、リヨンがやってきた。振り返った俺は、彼女がちゃんと服を着てくれていることに安心する。
どうせ暇だからいいんだが、コイツも他に遊ぶ友達とかいないのだろうか。
いないんだろうな。まだこの辺に来て、そんなに時間も経ってないし。
あれ、でも俺もいないわ。この辺に来て、もう結構立つんだけど。
いや、ボッチとかじゃないよ。全然、違うよ。ほら、だって、俺ってアレだし。
……うん、この問題はまだ論じる時期ではない。後々の課題としよう。
しかし、リヨンはどう見てもまだ10代。それも前半だが、ここで一人暮らしすることを親御さんは了解しているのだろうか。ある日、突然に怒鳴り込んできたりしないよな。なんか理由がありそうで、深くは聞けていないのだが。
まあ、いいか。
『どうする、今日も練習か?』
ここのところ、ずっとリヨンの練習に付き合っているので、今日もそうだろうと思って聞いてみる。すると、案の定。ニッコリ笑って肯いてくる。
『うん、もう少しでバッチリきまりそうだからね。』
練習というのは、リヨンの歌のことだ。俺がリヨンの歌を誉めたのが初対面だが、その時に歌っていたのが、転生前の世界で言うところのロックを彷彿とさせるモノだったのだ。
で、俺は半端な知識を基にドラムとベース(ぽい音)でリズムをとり、ギターやキーボード(ぽい音)で旋律を奏でてはどうか。などとアドバイス。
それを聞いたリヨンがすっかりその気になって特訓を始め、俺は言い出しっぺの責任を取るべく練習に付き合っている。というのが、現在までの顛末だ。
とは言え、嫌なわけではない。楽しいことは楽しいし、どうせ暇を持て余しているのだ。
そんなわけで俺は今日もリヨンを肩に載せて、岩山に向かった。別に練習自体はどこでも出来るのだが、どうもドリさんはロックと相性が悪いらしく、近くで演奏すると苦情が来るのだ。
ところが、そろそろ森が途切れるというあたりでリヨンが突然低い声を出した。
『止まって、何かいる。』
岩石精と違って、人頭鳥の感覚は鋭敏だ。彼女の忠告に従って俺は足を止めた。
リヨンは俺の肩の上で感覚を集中するように軽く目を閉じている。
危険な魔物や人間の傭兵である可能性もある。俺も声を潜めた。
『ヤバそうなのか。』
もし、そうなら対策を考えなければならない。一旦退いてドリさんに相談、その後はここを引き払うか、戦うか。
そんなことまで想定した俺の質問だったが、リヨンは目を開くとゆるゆると首を振った。
『たくさんいるから驚いたけど、危険な相手じゃないと思う。』
『それじゃあ、このままいくけど。本当に大丈夫なんだな。』
危険な相手じゃないなら、話は違ってくる。もめ事を起こす気はないが、この辺りの先住者として一応の挨拶をしておいた方がいいだろう。
そう判断した俺は、慎重に歩を進めた。
森が切れ、荒れ地が現れる。木々に遮られていた視界が開けた時、思わず俺は立ち尽くしてしまった。
岩場の斜面中央に数十頭の山羊の群れが陣取り、さらに中でも体の大きい十頭ほどが太い角をこちらに突きつけるようにして、俺たちを取り囲んでいたからだ。
彼らの目には警戒心がアリアリと見てとれる。
もう少しで、リヨンに『話が違うじゃないですか!!』と文句を言うところだった。
それをしなかったのは、俺の正面に立っていた山羊が口を開いたからだ。その体は雄牛ほどもあり、青光りする黒い毛で覆われていた。
『俺の名はガラードン。この悪魔山羊の群れを率いている。お前たちはこの辺りに棲むものか。』
太く、堂々とした声があたりに響く。とりあえず話は出来そうだと、俺も名乗りを返した。リヨンは俺の背中に隠れるようにして、ガラードンたちを窺っている。
『俺は岩石精のロク。背中にいるのが人頭鳥のリヨン。この森に住んでいるものだ。』
俺の目をまっすぐに見据えたまま、ガラードンはわずかに肯いた。
『ゴーレムとハルピュイアならば、このような岩場に大した用事はあるまい。勝手な言い分で申し訳ないが、この辺りはしばらく我らのねぐらとして使わせてもらう。通り抜けなどもご遠慮願おう。』
言葉遣いは悪くはないが、口調には有無を言わせぬ頑強さが感じられた。
『ロク、行こう。』
リヨンが囁くようにして、俺を促す。正直、昨日までの練習場所を追い出されるようで面白くなかったが、俺にも異存はない。
別に、ほかの場所でもいいんだし、わざわざもめ事を起こすこともない。
まあ、群れの中には仔ヤギなんかもいるみたいだったしな。
俺たちは静かにそこを後にすると。ぐるりと迂回して、峰を一つ挟んだ反対側。隣の谷へと移動した。
俺たちの住処からだと少し距離があるが、それ以外の条件は前の練習場所とほぼ同じだ。
早速、練習を始めたリヨンの声をBGMにして、俺も瞑想と魔法の訓練を開始する。最近、ようやく固有魔法の“硬化”が安定して発動できるようになってきたのだ。
成果が出ると訓練も楽しい。
瞑想を行い魔力を感じ取り、それから魔法を発動させる。それを繰り返す合間にリヨンにアドバイスする。
そんなことをしばらく続けていたら、不意にリヨンの歌と演奏が止まった。
失敗したとか、行き詰ったとかではない様子だったし、休憩にはまだ早い。不思議に思った俺が顔をあげると、リヨンが言った。
『なんか、見られてる気がする。』
俺はにわかに緊張し、何があっても対応できるように身構えた。
リヨンはキョロキョロとあたりを見渡した後、ちょっと離れたところにある岩にジッと視線を固定した。
『そこにいるのは分かってる。10数えるうちに出てきなさい。1、2、3…』
リヨンが不意に岩陰に向かって呼びかけた。「どうした」と聞こうとしたら、「任せて」とばかりにウィンクを返してくる。
そのままゆっくりとカウントを進めると、8まで言ったところで小さな影が2つ、岩の後ろから転がり出てきた。
『ご、ごめんなさい。』
開口一番、そう言ったのは2つの影の少しだけ大きい方。黒毛に所々白い斑のある毛並の仔山羊。多分、男の子だ。
もう一頭は明るい茶色の毛並に胸元だけ白いワンポイントの女の子。男の子の影に隠れるようにしている。
対するリヨンは笑顔だ。二人を怖がらせないようにだろう。俺は笑顔とか無理なので、精々存在感を消すように努力する。(俺は石。どこにでもある小石。単なる路傍の石にすぎぬ。)
『別に怒ってないわよ。でも、どうしてこんなところに。お父さんたちは知ってるの?』
『ううん、たんけんだから、いってない。それで、おねえさんのうたがきこえて…』
男の子の言葉に、リヨンは首をわずかに傾げる。どうしたものか、考えているんだろう。
俺はその様子を「なんか、お姉さんぶるリヨンって新鮮だな。」などと思って見ていた。
そのとき、それまで一言もしゃべらなかった女の子が意を決したように口を開いた。
『あの、おねえちゃんのうた、とってもすてきだった。だから、わたしたちここまできたの』
この一言の効果はてきめんだった。リヨンの顔がだらしないくらいニッコニコになっている。
『そっかー。それじゃあ、しょうがないな。特別にもう少しだけ、歌ってあげる。でも、それが終ったらお父さんたちの所へ帰るんだよ。私たちが送って行ってあげるから。』
リヨンがもう一度歌いだす。女の子は目をキラキラさせてそれを聞いている。
男の子も嬉しそうに聞いているが、どちらかと言えば女の子の付き添いらしい。
リヨンのロックの魅力が分るとは、将来がしんぱ…、楽しみな女の子だ。
それから小一時間ほど練習しただろうか。子供たちを群れに送っていくことになった。
リヨンが俺の肩に乗ると、二人も恐る恐る登ってくる。
男の子はオヅノ、女の子はコモンと言う名前らしい。コモンちゃんの方はリヨンにべったりだが、オヅノ君は俺とも結構話をしてくれる。
まだ小さいのにしっかりしていて、聞けば先程俺たちと話をしたガラードンという族長の息子らしい。次期族長か、と思ったらそう言う簡単なものではないとのこと。
『ぞくちょうは、いちばんつよくかしこい、おすがなるものですから。』
とはオヅノ君の台詞。どうやらそこは実力主義のようだ。
先ほどの今でガラードンと顔を合わせるのは流石に気まずい。それに誘拐犯の疑いをかけられても嫌なので、群れのいるところまで行かず、その近くで二人とは別れることにした。
『また、あしたもいっていい?』
上目遣いに訪ねてくるコモンちゃん。リヨンが笑いながら、
『お母さんに言ってから来るんだよ。』
と、言う。
それを聞いた二人は少し難しい顔をした。まあ、許可をとるのが難しいんだろう。
とはいえ、子供だけでフラフラと出歩くような真似を推奨するわけにもいくまい。
俺たちは手を振って、群れの方へと歩いていく二人を見送った。
あんまり、怒られないと良いけど。
リヨンと2人、そんな心配をして笑いあった。