秋月の呼び方
「あ、心太」
空き教室でうとうとしていた僕に、莉音が話しかける。隣には悠希もいた。
時間を見ると、いつもより大分遅い時間。1組も2組も、終礼が長引いたのだろうか。
「放課後使ってクラス会議しててさ。楓は委員会の日でしょ。1組2人は来てると思ったんだけど、心太だけだったんだ」
「寝てたからこんな時間なの気が付かなかった」
「ならよかった。さみしい思いしてるかと思ったよ」
「してない」
確かに起きていたらさみしかっただろうけど、と思ったが口にはしない。
黙って会話をききつつ、たい焼きを食べていた悠希が、思い出したかのように言う。
「さっき楓に会ったとき、伝言預かった。『この前言ってた本、図書室に入ったよ』だってさ。」
「あ、本当に?伝言ありがと」
「お前本とか読むんだな」
「人並みにはね。ちょっと僕図書室行ってくるよ」
「わかったよー。また帰ってくる?」
「多分ね」
2人に手を降って教室を出た。莉音がんばれ、と心の中で応援しておく。
窓の外を見ると日が沈みかけていた。図書室が施錠される時間が近づいてくる。僕は廊下を走った。
**
図書室に入ると、電気はついておらず、薄暗く、夕焼けで染まっていた。人はカウンターに図書委員が1人いるだけで、随分と静かだ。
「秋月?」
名前を呼んでも反応はなかった。近づいて見ると、どうやら眠っているようで、静かな寝息を立てている。
「寝てる…」
僕がそう呟いて、近くの椅子に座ろうとしたとき、突然秋月は目を開けた。
そして、僕をみた。まだ眠そうな目で、僕を見ていた。
「待ってた」
そう呟いて、秋月は手を伸ばす。目には涙を貯めていた。笑顔しか見せない秋月は、泣くときも笑うのか。
オレンジ色の図書室で涙を浮かべる秋月は、とても幸せそうに見えた。
「秋月、僕だって。寝ぼけてる?」
伸ばされた手を取ってぶんぶん振り回すと、目が覚めたのか、しばらくぼんやりした後、顔を真っ赤にして机に突っ伏してしまった。
「来てたなら、すぐ起こしてくれたらよかったのにー…」
「起こすのも悪いかなと思って」
「寝顔見られるほうが恥ずかしいから!」
そういって秋月は頬を膨らます。はじめてだ、笑っていない彼女を見るのは。
「ちょっと、何で笑ってるの」
「今日の秋月はいつもより人間らしい」
「…あれー。ちょっと寝ぼけてたみたい」
そういって笑った彼女はいつも通りだった。やっぱり僕はまだ、本当の彼女を知らない。
何かを隠している、そう感じる。その何かを、どうしても暴きたいと思った。
「ねぇ秋月、悲しくないのにどうして泣いてたの?」
悲しいことがないのに泣くのは不思議だね。
「幸せな夢を見てたの。嬉しくても泣きたくなるんだね」
秋月は背を向けてそう言った。回り込んで表情を見ようとすると、手で遮られる。
「もう図書室閉めちゃうね。あ、そうそうこの本貸し出し手続きしてあるから持っていっていいよ」
頼んでいた本を受け取る。秋月の表情はやっぱり笑顔。どうしてそこまで表情を隠すのか、不思議で仕方がない。
僕たちは2人で図書室を出た。向かう先はいつもの空き教室。
「私鍵返してくるから、先に行ってて」
「鞄持っていってていい?」
「あ、うん。ありがとう」
隠している何か、それを僕に見せてくれるつもりはないのだろうか。
僕はもしかして、秋月に嫌われているのかもしれない。
そう思いながらも、僕は1人教室に向かった。
**
「おかえり」
教室に戻ると、そこには悠希しかいなかった。
「あれ、莉音は?」
「先生に呼ばれてった。雑用させられるらしい」
「手伝ってあげればよかったのに」
「プリンのことしか考えてなかったんだよ」
そう言った悠希の前には、食べ終わったプリンの容器があった。
「嫌いなお菓子は?」
「辛いやつ」
「コーヒーとか飲める?」
「あれは苦いだろ」
これだから、悠希は面白い。にやにやしていると睨まれた。
「それはそうと、心太…その、」
「何?」
めずらしく悠希の歯切れが悪い。悠希はしばらく、あー、その、なんだ、と言い淀んでいたが、
「ハルがこの前言ってただろ、その、お前の好きな人が…楓だとか」
「あぁ、あれは多分、悠希を動揺させたかっただけだと思うよ」
なるほど、それを気にしていたらしい。
僕がそう言うと、見るからに安心した様子。
「ならいい、気にするな」
「むしろ僕、秋月に嫌われてる気がするし」
「は?いや、ないだろそれは」
信じられないというような顔で否定される。
「ん、呼んだ?」
そのタイミングで秋月が帰ってきたらしい。
「呼んでないよ、秋月って僕のこと嫌いなのかなって話」
「なんでそうなるの!?」
心底驚いたという顔をされる。なんだ、そんな顔もできるんだ。
そう思ったけど口には出さず、首を傾げる。
「だって、唯一苗字呼びを求めてきたし」
「名前の呼び方は親しさに関係ないよ」
「ずっと笑ってるし」
「もっと関係ないよ」
「なら名前で」
「それはだめ」
即答された。これで嫌われてないとは思えない。
「まだだめ」
「まだって」
「でも嫌ってない、嫌ってないよ!」
やっぱり、秋月はよくわからない。
それでも、今みたいに必死に否定してくれるあたり、そこまで嫌われてるわけでもないのかもしれない。
笑顔でない秋月のほうが、なんとなくしっくりきた。