09 祝砲
よく晴れた日、国中から王都に人が集まってきた。ルシーナ王女の国内の貴族、民衆への正式なお披露目が行われるのだ。
朝早くからルシーナは起こされていた。この日のために仕立てていたドレスを着る。薄い黄色のドレスだ。侍女が化粧をほどこす間、ヘイゼルは部屋の戸口に自ら見張りに立っていた。といってもこの部屋までの各所に兵を配置してある。ヘイゼルはただの案内役も同然だった。暇そうにしている。
今日は兵も礼装だ。他国の近衛兵は赤の派手な軍服に金ボタンといったきらびやかなものが多いが、ロズグラシア近衛兵は黒い軍服だ。銀のボタンが光る。黒のつばつき軍帽には、いぶし銀の顎紐とロズグラシア王家の紋章である双頭の鷲の徽章がついている。銀と黒を基調としており、荘厳さの方が勝る。ヘイゼルは将校用の礼装だった。彼も黒の同じような軍服だった。礼装用の黒いマントを羽織り、恩賜の長剣をさげていた。その隙間から銀の豪華な飾緒といくつかの勲章が見える。白革のベルトには銀製のバックルがついており、ここにも双頭の鷲がいた。
鏡越しにルシーナが彼を見ると目が合った。ルシーナがくすっと笑う。どうしましたかとヘイゼルが尋ねた。
「だってなんだか面白いんだもの」
「それは、私が変ということですか。礼装は規則ですのでお許しください」
違うわとルシーナが笑う。
「変とかじゃないんだけど、ただ、なんというか…。ううん、なんでもない」
ルシーナはまだにこにこしている。ヘイゼルは眉をひそめた。
「ねえ、私どうかしら?」
彼女は化粧の済んだ姿をヘイゼルに見せた。その場で一周する。
「どう、とは?」
「だから、可愛く見える?」
ヘイゼルは少し考えた。
「決して不細工ではありません。可愛いと思うかどうかは、個人の価値観によります」
ルシーナが黙る。
「あなたの価値観だったら?」
今度はヘイゼルが黙った。
「悪くはないです」
彼はあくまで冷静に答えた。そう、とルシーナが呟く。
「むしろ、そうですね。まあ…その…いい、と思います」
ヘイゼルはそう言ってそっぽを向いた。ルシーナがふふっと笑う。
王宮の鐘が五回鳴り響く。毎日時を知らせている音だ。祝砲が響いた。それと同時に第一王子イライアスによって挨拶がされた。大広間に通された貴族たちが一斉に彼を見る。王族のみが使える扉の前で、ルシーナは全身に冷や汗をかくのを感じた。震えがくる。せっかく覚えた挨拶も忘れそうだ。反対に、ヘイゼルは隣で堂々と構えている。こんなことは慣れているのだろう。
「ルシーナ、そろそろだ。でも、気をつけてね」
アルモンドが小声で話しかける。ルシーナにはうなずき返すので精一杯だった。何にどう気をつけるのか分からない。
「ヘイゼル、頼んだ」
承知しましたと彼は答えた。まるで些末な演劇の打ち合わせのようだった。
扉が開く。ルシーナは全身に視線を浴びながら、前へ進み出た。イライアスが待っていて、彼女をエスコートする。ヘイゼルは他の数人の近衛兵とともに後ろを歩く。
視線が痛い。はっきりとは聞こえないが、ひそひそと話す声が聞こえる。
「あれが王女?」
「なんでも、庶子だとか。平民階級で暮らしていたそうよ」
「本気で言ってるのか?」
「本当に神官になるのかしら」
「あんな小娘が…」
足が震えて、歩けているのかすら定かでない。
ちょうど全員から視線が注がれる位置でイライアスが立ち止まる。挨拶をするよう彼は促した。ルシーナは一礼して口を開いた。ところが頭が真っ白になって、何を言っていいのかが分からない。
まずい、このままでは自分一人どころか王家に恥をかかせてしまう。
鼓動が早くなる。心臓の音が回りの音を掻き消していく。
「皆さんはじめまして。ルシーナ・ロズグラシアです。長らく別の場所で暮らしていましたが、国王陛下をはじめたくさんの方のご助力のもと、皆さんに会うことができました」
イライアスが驚いて彼女を見ている。アルモンドとエリオットも驚きを隠せていない。なにしろ、兄たちに添削までしてもらった挨拶とは違うのだ。
「まだまだ至らないところはありますけれども、神官としてもこの国のために力を尽くしてまいりますので、どうぞよろしくお願いします」
ルシーナは深々とお辞儀をした。たてまえだけの拍手が起こる。
その後、まずは家柄が高位の貴族から挨拶をしていった。皆、似たような笑顔を彼女に向けた。心地いいものではない。高位でない貴族や一代限りの貴族の称号を持つ者は、全員が入りまじって行われる歓談の席で挨拶がされる。
皆が立って好きに喋ったり軽食をとっているなか、ルシーナは色々なひとに声をかけていった。もはや誰に会って誰に会っていないか分からない。あまりに自分が場違いな気がして、立ちくらみしてしまいそうだった。
その間も、ヘイゼルはおとなしく彼女から一歩下がったところで辺りに目を光らせていた。
「殿下、お疲れのようですな」
初老の男性が水の入ったコップを差し出す。
「あ、ありがとうございます」
ルシーナは素直にコップを受け取ったが、後ろからヘイゼルがそれを取り上げる。
「ヘイゼル!」
たしなめても彼は平気そうだ。つんとした態度でコップを部下に渡す。
「あなた、失礼だと思わないの」
ルシーナがにらむ。疲れもあったのか、いらいらした感情が募るのが分かった。
「思いません」
対するヘイゼルも態度を変えない。
「王族に得体の知れない食べ物を平然と渡すなど考えられません。規則により、これはこちらで処分いたします」
ルシーナが眉をひそめた。男性が笑う。目元のしわがいっそう深くなる。
「よい番犬をお持ちですな」
「えっと、あなたは…?」
男性がきょとんとした。すぐにまた笑顔に戻る。
「侯爵ニコラス・パウエルと申します。先ほどご挨拶申し上げたのですが、お忘れのようですね」
ルシーナが慌てて謝ると、構いませんよと彼は笑った。ヘイゼルが背後で緊張しているのが分かる。今にも剣に手をかけそうな雰囲気だ。
「一度にこれだけの人数にご挨拶なさるのですから、私のような特徴のない人間など忘れて当然ですよ」
返答に困っていると、アルモンドがやって来た。
「探したよ、ルシーナ」
彼は侯爵とルシーナの間に割り込んだ。まるで侯爵から守っているようだった。
「パウエル侯爵、すまないが我々は話がある。失礼するよ」
アルモンドはルシーナを連れて歩いた。
「あの、お兄さま」
ルシーナが呼び掛けると、彼は歩みを止めた。
「ルシーナ。この世界にはたくさんの人がいる。誰もが必ずあなたに優しく、公正で、よい人間とは限らない」
彼女は兄を見上げたまま無言だ。
「パウエル侯爵。優れた人柄で多くの者から信頼され、現在経済管理庁副長官の職に就いている」
「いい人じゃあないですか」
いい人ね、とアルモンドが呟く。どうかしたのですかとルシーナが尋ねた。
「あなたに害がないのなら構わない。が、私たちは軍の諜報員を彼のもとに送りこんだことがあって、いずれも事故死に見せかけて暗殺された。私たちは彼のことは信用していない」
ルシーナが言葉を失う。アルモンドは彼女の困惑した表情に気づいたようだ。
「すまないね、こんな話、祝いの席でするべきじゃなかった」
「私たちって、誰ですか」
アルモンドがルシーナを見つめた。
「さっき、私たちは信用していないっておっしゃいました。お兄さま以外にどなたがいらっしゃるのです」
アルモンドが黙る。
「第一王子イライアス様、アルモンド様、エリオット様、第四王子ナサニエル様、第五王子ルイス様です。他に陸軍情報局上層部が主です」
小声でヘイゼルが答えた。アルモンドがにらむ。ヘイゼルは罪悪感すら見せない。
「いずれお知りになることです」
アルモンドが小さくため息をついた。
「まあいい。そうそう、話があるというのは本当でね。ルシーナ、会わせたい者がいる」
周囲の視線を浴びながらついていくと、そこには一人の貴族がいた。焦げ茶の髪に鳶色の目をしている。彼はルシーナを見ると、微笑んだ。
「先ほど挨拶すればよかったのにね、どうしても気後れすると言って行かなかったんだ」
アルモンドが笑う。
「はじめまして、ルシーナ。ルイス・ハミルトンです」
ルシーナも丁寧に挨拶を返した。隣でアルモンドがおかしそうにしている。
「はっきり言いなさい、ルイス」
「ええー」
ルシーナがきょとんとしている。ルイスが口を開いた。
「元ロズグラシア第五王位継承者です」
「第五王位…ええっ!」
ルシーナが目を丸くした。