03 国王と王子たち
早朝、ルシーナは侍女に起こされて目をこすりながら支度をしていた。朝のうちに国王への謁見が控えている。嫌だといってもこればかりは王子たちも逆らうことはできない。昨日ヘイゼルと覚えた口上を頭の中で復習しながら、彼女は朝食をとった。
「ルシーナ。大丈夫?」
心配してくれたのは第二王子アルモンドだ。彼女は謁見の間の前で待機していたが、顔面は蒼白で膝が震えている。
「だって、私、一生無縁の方だと思っていましたし。ど、どうすればいいのか……」
声も震えている。視線も落ち着きがなく、いろんなところを見ている。
「大丈夫だよ。私も兄上もエリオットもついている。もし何かあったらちゃんと助けてあげるから」
はいと彼女は答えたが、上の空だった。
扉が開き、謁見を許可される。進み出て、彼らは右手を胸に当てて敬意を表した。静かに礼をする。
侍従長が国王にルシーナの謁見であることを告げた。ダグラス国王が顔を上げる。しわがあり、白髪は長く波打っている。顎の髭を撫でながら、彼はルシーナを見た。決して太りすぎていない体は、貫録を見せる。ルシーナを見据える彼の目は鋭かった。
「顔をあげよ」
国王の威厳に満ちた声がする。しかし、どこか優しいものだった。ルシーナが顔をあげる。彼女は傍目にも分かるほどに震えていた。
「ルシーナ。久しいな。お前が生まれて一週間して会ったのが、最初で最後だった。再会できて嬉しく思う。随分大きくなったものだ。顔は少し母に似たかな。うん、目元がよく似ている。声を聞かせてはくれまいか」
ルシーナは深くお辞儀をした。顔が火照る。
「あ、ありがたきお言葉です。お目にかかれて光栄です、親愛なる国王陛下。わ、私は、これから、王女として……せ、精一杯日々、努力して……努力してまいりますので……」
震える声が部屋に響く。そこまで言って、彼女は黙り込んでしまった。荒い呼吸が聞こえる。顔が赤い。どうしたのかと王が不思議そうにした。代わりに口を開いたのは、第一王子イライアスだ。
「王よ。ルシーナはあなたに会えた喜びのあまり、言葉が出ないようです。変わって私が申し上げます。王女には王族に相応しくすべく、これから我ら兄弟が指導します。どうか温かく見守り、時にはお言葉をかけていただければ励みになりましょう。この国のために、必ず役立てますよう共に力を尽くしてまいります」
王が満足そうにうなずいた。
「ルシーナのことはお前たち兄弟に任せた。可愛い妹をしっかり導いてやるように」
三人の王子が揃って返事をした。
「全てはつつがなく、仰せのままに」
退室を命じられ、彼らは外へ出た。扉の外へ出て安心したのか、膝の力が抜けきったルシーナは女官に支えられている。
「ごめんなさい。あんなに頑張って覚えたのに……」
がっかりして彼女は言う。気にするな、とイライアスが言う。
「最初にしてあれだけ言えれば上等だろう。いきなり引っ張ってきて、ろくに休息も与えず悪いことをした」
そうだよ、とアルモンドが微笑む。
「ルシーナはよく頑張ったよ。そうだ、少し時間があるからお茶にでもしようか」
まだ頬を赤くして震えているルシーナが、少しだけ嬉しそうにする。その様子を見て、イライアスとエリオットが賛同した。
「アルモンド様。本日はルシーナ様はこれから作法の授業があるのですが」
ヘイゼルが困ったように言う。するとアルモンドはなんと、と声を出した。
「せっかくルシーナがあれだけ頑張って、見ろ、ヘイゼル!彼女はもうくたくたに疲れているじゃないか。それをまだ座らせて、昨日から一切の休息も取らせずにもう授業をしようというのか。君には慈しみの心が欠けている。もう少し我らが妹を気遣う姿勢を見せてもらわないと、そんなので私の護衛を務めていたなど、笑いものにしかならない!近衛兵とは常に紳士であるべきなのだよ」
「えええっ!?」
そうだそうだ、とエリオットが冷やかす。
「なぜ私が……」
ヘイゼルが頭を抱える。
「ということだから、お茶の準備を頼んでもいいかな」
アルモンドがヘイゼルをちらりと見る。逆らいようがないのだろう、彼はしぶしぶ承諾した。
王室御用達のブランド茶器が運ばれ、ブランド物の紅茶が淹れられる。香りは思わずため息が出るような上品さだ。庶民には手の届かないものばかりだ。茶菓子は宮廷料理人が作ったもので、一つ一つが小さな宝石のように愛らしい。もちろん、味はどこの店よりも格段においしい。
「ルシーナ、今度はこちらのお菓子を食べてみて。砕いたピーナッツがアクセントになっていてとてもおいしいんだ。私はこれが好きでね」
アルモンドがお菓子を勧める。ルシーナは先ほどから兄王子たちにたくさんの茶菓子や紅茶を勧められ、断わり切れずに全て食べていた。もちろん、物珍しさもあって決して嫌なことではなかった。むしろどれに手をつけていいのか分からなかったので、兄たちのお節介はありがたいほどだ。
「そうそう、あなたの正確な身体のサイズが分からなかったから、まだあんまりドレスがないんだ。明日にでも人を呼んで新しいのを作らせようか。好きなだけ作るといい。お金は私たちが払ってあげる。もちろん国庫からじゃなくて、ちゃんと私たちのお金からだ。心配はしなくていい。毎日違うドレスだって着られる」
「アル兄様、ドレスだけではなくて髪飾りだって要りますよ。女性なのですから。ルシーナの栗色の髪に似合うやつが必要です。ネックレスも指輪も、イヤリングも、それに化粧道具だってもっと揃えるべきです。ルシーナの好みだってありますよ」
「そうだ、今度宝石商が来たときはルシーナに会わせるか」
兄王子たちは好きに話している。
「あ、あの、私はそんなに……」
そんなに服があったって、とても着れやしない。庶民の感覚が身に着いたルシーナにとって、それはぜいたくを通り越して浪費でしかなかった。服など多くても四着しか持ったことはない。だが、兄たちは彼女に良かれと話している。話の腰を折るのも失礼に思えた。それに、上流社会ではそれが普通なのかもしれない。ましてや王族となれば、他の貴族にひけをとってはならないのかもしれない。そう思うと、ルシーナは強くは言えなかった。
それを牽制したのはヘイゼルだった。
「失礼ですが、王子よ。ルシーナ殿下が困っていらっしゃいます。そのように服があったとて、ルシーナ殿下は喜ばれていないようですよ。何よりも殿下のお気に召すものが一番だと私は思います」
その一言で兄王子たちは黙った。すっかり勢いをそがれたようだ。
「あの、お気遣いはすごくありがたいんです!でも、いきなりこんな暮らしになって、正直とまどっているというか……。その、私は今まで服もそんなに持ってなくておしゃれもしたことがなくて、してみたい気持ちはあるんですけど、無駄遣いはよくないっていうか……」
しどろもどろにルシーナが話す。アルモンドが頭を掻いた。
「いや、悪かった。私たち自身、急に妹ができて少し興奮していてね。なにしろ今まで男兄弟ばかりだったものだから。やはりこういうのはルシーナに喜んでもらえるものが一番だね。でも、何かあったら言うんだよ。遠慮はいらない。欲しいものがあれば買ってあげるし、あなたの要望は聞いてあげたい。だって、あなたは私たちの大切な家族だからね」
そう言ってアルモンドが微笑む。家族という言葉に、ルシーナが笑顔をみせた。
「だから、何があっても私たちはあなたを守るよ、ルシーナ」
突然に真剣になったアルモンドに、ルシーナがきょとんとした。イライアスが口を開く。
「この国のことは知っているだろう。隣国レネートモンドとあまりうまくいっていない。だからこそ王女が必要とされているのも事実だ。もし万一のことがあれば、ルシーナ、お前も神官として戦場へ立つ義務が発生する」
そんな、とルシーナが青ざめる。
「もちろん、大切なのはそうならないよう会談を重ね、言葉でやり取りすることだ。それは私たちの務めだし、尽力するつもりだ。だが、先見の力がある以上は刺客が送られる可能性だってある。注意するに越したことはない」
イライアスが言う。すると、ヘイゼルが跪いた。
「王子よ。だからこそ、私は命をかけて王女をお守りします。誓って」
彼は右手を左胸に当てている。赤い瞳で王子たちを見据える。王子たちは頷いた。
「妹を、どうか頼んだよ」
アルモンドが優しく言った。