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26 火種

 雪がちらつき、辺りが白に覆われることが多くなった。ルシーナも王宮の生活にかなり慣れ、特に不自由はなくなってきた。この頃になるとごく稀に、ヘイゼルはルシーナがロンデニアのベンソン夫妻と手紙をやりとりするのを許した。

 ルシーナが領地として任されたコルトギーズは鉄道敷設が進んでいる。エメラルドの産出場というのもあり、金に物を言わせて工事を早急に進めている。もともとコルトギーズから先に伸ばす予定だった駅からは線路が完成していたので、あとはコルトギーズ駅の近辺を整えたら良いという具合だった。

 そんな中、レネートモンドが再びロズグラシア領エピルス地方の返還をするよう示してきた。エピルス地方は、ロズグラシア王国がレネートモンドの前身から独立した際に割譲された場所だ。ロズグラシア政府が国教を強要したため、もともとロズグラシア政府への反発が強かったエピルス地方での反発は一層強まった。しかし、領土を削りたくなかったロズグラシア王国はこれを無視し、エピルス地方の返還はあり得ないとした。

 ルシーナとヘイゼルは勉強の合間に休憩をしていた。ルシーナは地図を広げ、コルトギーズを見た。

「早急に路線を完成させてほしいとアル兄様に言われたわ」

 ルシーナが小さく息をついた。コルトギーズですかとヘイゼルが問う。

「最近は雪が降るから、どうしても工事が遅れるらしいの」

 物資や人員の到着が遅れたり、食糧が不足したりしているらしい。一度の輸送料を増やしたり、輸送の頻度を上げるべきかルシーナは悩んでいた。そしてそのための予算をどう調達するのか。悩みは尽きない。

 その時、電信が鳴った。ヘイゼルが出る。ヘイゼルの部下からだった。コルトギーズの市民代表から手紙が届いたのだと言う。

「どうしてもっと早く連絡を寄越さなかったんだ!」

 ヘイゼルがきつい口調で言う。『工事を止めなければ王女に災いあり』という紙が工事現場にふた月にわたって置かれていたのだ。それなのにヘイゼル達には伝わっていなかった。それが、と部下が言う。

「最初は工場関係者が誰かのいたずらと思ったらしく、無視していたようなのです。しかしあまりに頻繁にメモが置かれるので、市民代表が相談し、こちらに電信を寄越したようです」

 ルシーナはヘイゼルがきつい口調になったのに驚き、彼を見ている。彼女に余計な心配をさせないため、ヘイゼルは少し声を抑えた。

「それで、イライアス様方は何とおっしゃったんだ」

「ルシーナ殿下の警護をきびしくしたうえで、工事は続行するとのことです」

 思わずヘイゼルは頭を抱えそうになった。レネートモンドとの緊張が高まっている今、鉄道敷設を中止するのは避けたいという兄王子たちの考えは分かる。しかし、警護に回せる人員には限りがある。常に気を張り、いつ緊張が解けるか分からないままルシーナを守り続けるのは無理がある。

 部隊の副隊長であるマルク少佐はこのことを知っているのかとヘイゼルが尋ねる。すでに伝えてあると電信の向こうで返事があった。マルク少佐は第一王子イライアスの言うことだからと、それに賛成しているらしい。仕方ない。他にどうすることもできないのだ。ヘイゼルにも分かっていた。

 ルシーナの横の椅子に腰かけた時、彼の眉間のしわを彼女が小突いた。

「…なんですか」

 ヘイゼルが少しばかり不機嫌な声で言う。

「いけないのよ。そんな顔をしていると、幸せが逃げてしまうわ。それに、年をとったらそこにばかりしわができてしまうわ」

 しばらく黙り、そうですねと彼が答えた。そしてルシーナに礼を言う。大きな目をますます大きくして、彼女はヘイゼルを見た。なんですかとヘイゼルが再び問う。

「いつもらしくない。疲れてるんじゃないの」

 そんなことありませんよとヘイゼルは答えた。しかしルシーナは引き下がらない。

「だってそんなに目の下にクマをつくって、大丈夫なわけないじゃない」

 武官でありながらもヘイゼルは内勤が多く、ましてや陽射しの弱い季節でもあり、ヘイゼルは日焼けをしていない。濃いクマが余計に目立つ。ルシーナが王宮に連れてこられた時よりも、最近ははるかに疲れているようだ。

「あなたがいなかったら、困るのよ」

 唐突な言葉に、ヘイゼルはどう答えていいのか分からないようだった。

「ロンデニアからここに来たときも不安だらけだったけど、ここの生活にも少しは慣れてきたわ。…いつも、ヘイゼルがいてくれたからかもね。お兄様たちの言うことばっか聞いてて、私の言うこと全然聞いてくれないから、最初は嫌だなって思ったけど。でも、いつもそばで助けてくれたじゃない。今、ヘイゼルがいなくなったら、元の不安だらけに逆戻りになる…。それはもう嫌。私の前からいなくならないでほしいの」

 ルシーナが吐き出すように喋る。ヘイゼルはじっと聞いていた。口元を片手で隠すようにしている。目が泳いでいた。

「そんなことをおっしゃると…」

 ヘイゼルはまだ喋っていたが、ルシーナには聞き取れなかった。妙な沈黙を掻き消すようにルシーナは声を大きくした。

「とにかく、あなたには感謝してるってこと!今までも、これからもね」

 ヘイゼルの赤い瞳が落ち着きなく揺れ動く。まばたきの回数が増えた。

 少し、動揺していないか。…まさか。ヘイゼルは自問自答した。ヘイゼルの家、クランバート家は古くから王家を守り続け、いつしか王家の剣と言われていた。王族にとってもクランバート家にとっても、その関係は当たり前だった。クランバート家に生まれた者は男女関係なく王族に仕える。身を呈して守り、助けるためだけに幼い頃から学んでいた。それを、今さら感謝など。

 そうは思っても、ヘイゼルの心臓はなぜか大きく鼓動する。心なしか頬も熱い。赤い瞳が目を止めるところを探して揺れ動く。

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