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23 黄色い罠

 ヘイゼルたちから王女誘拐の連絡を受け、軍の情報部が動いた。その日の夕方には、邸宅にいたパウエル侯爵のもとに兵が派遣された。しかし、侯爵はすでに亡くなっていた。ちょうど兵が到着する直前に、何者かに殺されていたらしい。邸宅が荒らされていたことから、強盗の仕業ということになった。

 週刊紙や雑誌の話題は、王女の誘拐と侯爵殺害事件の二つで持ち切りとなってしまった。近衛兵への批判が強く、ルシーナへの風当たりはさほど強くないようだ。ヘイゼルは胸を撫で下ろした。

「ベルガエの騎士の仕業と見て、まず間違いないだろう。手の込んだことをする連中だ」

 イライアスが真剣な表情でつぶやく。ベルガエの騎士たちは慎重だ。ひとたび疑われたパウエル侯爵を邪魔と思い、消したのだろう。少なくともイライアスたちはそう思っていた。

 ルシーナは明るい陽射しが差し込む部屋にいた。アルモンドとヘイゼルの姿もある。陽射しと反対に、ルシーナの表情はどこか堅かった。夢を見ました、と彼女は話した。

「キイロカエデが散るなか、白い馬が…レンデーラ神の馬だと思うのですけれど、黒い霧に捕らえられ、もがいていたのです」

 先日レネートモンド王子アレクシスがルシーナを誘ったとき、キイロカエデを見せたいという口実だった。それに、歴代の神官が見る夢において黒は危害を加える者を示す。アルモンドが眉をひそめた。ルシーナのレネートモンド行きはやめた方がいいのでは、とヘイゼルがささやく。 

「一度の夢で、レネートモンドにそれが通用するかどうか…」

 悩ましげにアルモンドが言う。レネートモンド側は納得しないだろう。かつてロズグラシア王国がレネートモンドの前身であるランカネル王国に併合されていたとき、ロズグラシアの民が信じていた神は否定された。夢に頼るなど愚かしいと言われ、その考えは独立を回復した現在でも揺らがない。

 結局、ルシーナのレネートモンド行きは決行されることになった。ロズグラシア王宮では勉強漬けの彼女の息抜きを兼ね、レネートモンドの人々に野次馬は遠慮するようアレクシスが促したという。これで警備は多少やりやすくなるはずだ。


 世界がほんのわずか色づく季節になった。キイロカエデは何よりも先んじて紅葉する。朝夕の温度の変化に敏感で、キイロカエデが色づくと秋がやってくると言われるほどだ。

 今回アレクシスが招待したところは、彼の領地のなかでもロズグラシアに近いエルスラートという場所だ。キイロカエデの名所であり、王族の領地とあって治安も良い。

 ルシーナは馬車から外の景色を見ていた。山裾に、ところどころキイロカエデの木が見える。緑の中にあり、とても目立つ。

「レネートモンドの人たちに、思ったほど敬遠されてはなさそうだったわね。安心したわ」

 先程休憩した街を思いだし、ルシーナが楽しそうに喋る。レネートモンドの人たちはルシーナを温かく迎えてくれた。その歓迎に陰は見えなかった。むしろロズグラシア王族がレネートモンドを訪問することは珍しいので、喜んでいたようだ。

「小さい頃から王家で育った方がどんなふうに考えてらっしゃるかは分からないけれど、私は平民のことなら分かるわ。国がどうとか、詳しいことは分からないもの。ただ日々を楽しく過ごせたら…隣の国の人とだって、仲良く暮らしたいと願うものよ。王族がとかは関係ないのかもしれないわね。きっと、皆安心して暮らせることが何よりの願いなのね」

 そう言うルシーナの横顔を、ヘイゼルはじっと見つめていた。彼は何も答えなかった。

 まだ陽があるうちにエルスラートに着くことができた。ルスラートの街の門ではアレクシスが待っていた。野次馬は来るなという命だったが、民衆が少し集まっていた。馬車から降りたルシーナに歓声があがり、皆が手を振る。ルシーナもそれにこたえた。

「長旅でお疲れでしょう。今日はひとまず城でお休みください」

 そう言うとアレクシスは、ルシーナを自分の馬車に乗せようとした。ヘイゼルがそれを止めようとした。しかし、アレクシスは微笑みを向けた。

「警護の面は問題ありません。ここには今日のために、我が国でも優秀な近衛部隊がおります。城まではもう少しですし、お任せください」

 ルシーナも賛同しているようだった。ヘイゼルは引き下がるしかなかった。街の中心部にある城を目指し、アレクシスの馬車が走り出す。その後ろに、空っぽの馬車がついて走った。


「アレクシス殿下はいいお方ね。道中も私が暇にならないように、街を紹介してくださったの」

 うっとりとルシーナが喋る。ヘイゼルはわずかに胸が痛むのを感じ、首をひねった。

 ルシーナにあてがわれた部屋は、不自由のないよう整えられていた。テーブルには花が飾られ、香も甘い香りのものが焚かれている。食べ物もいつでも自由に注文することができるという。ヘイゼルたち警護の者の部屋は、ルシーナの部屋がある塔と同じ場所にあった。

 翌日、空は澄み渡り、城からでもキイロカエデが山に映えているのが見えた。病院で誘拐されそうになった事件以来、彼女は王宮から出ていなかった。そのせいか、この行楽をとても楽しみにしていた。もう少し落ち着きを持ってくださいとヘイゼルに注意されるほどだ。

「満喫していらっしゃるようで何よりです。あなたの笑顔が見られて良かった」

 アレクシスが微笑む。ルシーナも微笑み返した。キイロカエデは紅葉してから葉が落ちるまでの期間が長い。観賞用としては便利だ。まだ道に落ちている葉はほとんどなく、見上げれば青と黄が目に映る。

「ときに姫君、私はあなたにお会いできて本当に神に感謝しているのですよ。今日私があなたをレネートモンドに招待する勇気をくださったのも、今年のキイロカエデがいつにもまして鮮やかなのも、まるで神がそう仕向けたような気がするのです。それならば、この先もあなたとの縁が深くあれと願ってしまうのですよ」

 きょとんとした後、ルシーナが何かを誤魔化すように笑う。奇妙な間が空いてしまった。

「神ですか。私にはよく分かりませんけど…面白いことをおっしゃるんですね。この先もお互いに隣国として歩んでいけたら素敵です」

 彼女はそう屈託なく話した。アレクシスはルシーナによく分からないと言われたせいでぽかんとしていたが、すぐに話題を変えた。そんな彼の目の端にヘイゼルが映った。そして、不思議そうにした。なぜそんなに眉間にしわを寄せているのかと問う。

「不安があるというわけではないのですが…」

 夢の内容を話すわけにもいかない。もし、アレクシスがベルガエの騎士と結託していたとしたら一大事だ。ヘイゼルをなだめるようにアレクシスが続けた。

「いえ、分かりますよ。あれだけ可憐な姫を常に見守るあなたですから、いつしか不埒な虫がつくことが心配になったのでしょう」

 えっ、とヘイゼルが間抜けな声を出した。アレクシスは構わず、一人で喋っている。

「ですが安心しなさい。私は決して姫に一時の思いを持っているわけではないのです。どうやら姫君はそういうことにはかなり疎いようで、先程は流されてしまいました。あなたからこのことを、兄王子たちに伝えてもらいたいのですよ」

「そ、それは…私には荷が重すぎるのではないかと…」

 ヘイゼルがたじろぐ。

「では、よろしく」

 ヘイゼルの肩をぽんと叩くと、アレクシスはルシーナの方に歩いて行ってしまった。

「隊長、顔色が悪いですよ」

「大丈夫だ…」

 心配する部下を口先であしらい、彼は二人を見た。何が心配なのだろう。何が不安なのだろう。今まで感じたことのない焦りがヘイゼルを襲った。

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