22 糸の花
レネートモンド王子アレクシスからの誘いに承諾した数日後、ルシーナは王都の隣街の孤児院を訪問していた。
孤児院では子供たちに刺繍や代筆、農作業のやり方を教え、働き手のない村へ養子に出している。国から補助も出るが、それだけでは足りない。作った野菜は日々の糧とし、刺繍や編み物、代筆の仕事を請け負って足しとしていた。
王女の訪問とあり、孤児院の前には人だかりができていた。
刺繍をする子供に混じり、ルシーナはハンカチに花の刺繍をしていた。ロンデニアにいた頃、よくやっていたものだ。家族はどうしているだろう。弟のエリックもだいぶ大きくなっただろう。
「王女様、じょうず」
ルシーナの手元を覗きこみ、子供が褒める。口々にきれい、かわいいと言葉が飛ぶ。
「コツがあるのよ。縫い幅を同じにするの」
こんなふうにね、とルシーナがやってみせると、歓声があがった。
「確かにお上手でしたね」
孤児院を後にし、ヘイゼルがルシーナに話しかけた。そうねと彼女が答える。
「よく内職でやってたからね」
彼女は孤児たちからプレゼントされたハンカチを見た。花の刺繍がしてある。白地に赤い糸が映える。途中で同じ赤糸がなくなったのだろう、一部が濃いめの赤糸になっている。縫い幅の不揃いさに未熟さが滲む。それでもルシーナは嬉しかった。
「ねえ、今度ロンデニアに帰れるのって、いつになるの」
おもむろにルシーナが言う。ヘイゼルがちらりと彼女を見た。
「今はまだご自由になさることはできません。ですが、いつか必ずできます」
困ったように彼は言った。少し意地悪だったかとルシーナは思案した。急にロンデニアが懐かしくなった。だから、言ってみただけだ。期待していなかったといえば嘘になるけれど。
午後はこの街の東隣にある街の病院を訪問した。ここは、死を待つ者はがりが入院している。皆、長期に渡って入院しており、杖をついたり車椅子を使わなければ移動できない老人ばかりだ。
事件が起きたのはその病院だった。ルシーナが突然消えたのだ。ルシーナは週刊紙や雑誌の記者たちから取材を受けていた。彼女が疲れて少し休みたいと言い、病院の一室に一人にした。ヘイゼルたちが目を離したほんの一瞬の間の出来事だった。戸口に立たせていた二人の近衛兵は、どちらも腹から刺されて息絶えていた。ヘイゼルはすぐさま病院の門を閉じた。記者や患者、医師も出入りはできない。
「ついていませんな、ブンヤの目の前でとは。今度ばかりは隠せません」
小隊長であるモルトン少尉がささやく。ヘイゼルたちは病院をくまなく捜索していた。その間も記者たちは口々に質問を浴びせてくる。紙面のトップ記事はこれになるに違いない。ヘイゼルは忌々しく思った。近衛兵の失態が知れることよりも、己自身の危険を先見できなかったルシーナに非難が寄せられることが心配でならない。やはり平民だったから。人違いではないのか。好き勝手な憶測で、あの王女はいったいどれほどの不安を抱えてしまうことだろう。ルシーナが気がかりで仕方ない。
「ともかく、今は捜索に専念しろ」
そう言ったとき、捜索していた近衛兵が駆け寄ってきた。ルシーナが孤児院でもらったハンカチが落ちていたという。場所は、普段あまり使われないという物置きの近くだった。ルシーナがいなくなってから、病院の門はすぐに閉ざした。人目につかずに抜け出せるわけがない。だとしたら、まだこの中のどこかにいるはずだ。いつかの二の舞を演じることのないようにしなければならない。
ここにいる患者は一人では動けない者ばかりだ。一人一人にカルテがあり、何人もの医者の目をごまかして長期入院するのは難しい。怪しい者が紛れているとしたら、医師か記者の中にいる可能性が高い。ヘイゼルは、医師と記者たちの身元を洗うよう命じた。
しばらくして、近衛兵が記者の男一人を逮捕した。週刊紙の腕章をしていた。情報部が警官隊に要請し、医師や記者の家を同時に差し押さえ、捜査したらしい。その男の家からはベルガエの騎士に関係があるとみられる手紙が見つかった。封蝋に、蝙蝠の翼を持ち王冠を被った馬が描かれていたそうだ。
殿下をどこへやったとヘイゼルが尋ねる。男は額に脂汗を浮かべ、黙っていた。自白剤を打ち、尋問の用意を整えた頃、モルトン少尉が走って戻ってきた。ヘイゼルに耳打ちする。
「ルシーナ様を発見いたしました」
ヘイゼルが胸を撫で下ろす。小声で言わなくても、と彼は付け加えた。
「実は…殿下が眠らされたまま、医療機器の箱に押し込められておりました。どうやらこの病院には図面に載っていない地下道があるようで、その近くに箱が置かれていました。恐らくその地下道から連れ去るつもりだったのでしょうな」
ルシーナは兵に起こされたが薬が抜けきっておらず、ぼんやりしているという。だが、ただ眠たいだけのようなので心配はいらないという。
「それで思い出したのですが…」
モルトン少尉が続ける。
「この病院、設計の段階からパウエル侯爵が深く関わっております」
「経管庁の副長官か」
ヘイゼルの問いに、モルトン少尉がうなずく。
「地下道はどこへ続いている」
「それは調査してみなければ分かりませんな」
その時、尋問を行っていた近衛兵から報告があった。自白剤のせいで情報は途切れ途切れにしか手に入らないが、確かにニコラス・パウエル侯爵と言ったという。
「兵を回して、パウエル侯爵を逮捕しますか」
モルトン少尉が訊く。ヘイゼルは眉間にしわを寄せたまま、首を横に振った。
「今は殿下をお守りすることに集中しろ。それに、現行犯でなければ我々に侯爵を逮捕する権限はない。あとは司令部に任せておけ」




