21 誘い
午後の優しい風が吹く。天気の良い日だ。そんな日にも関わらず、ルシーナはヘイゼルと王宮の一室にこもり、芸術史の授業を受けていた。書物ばかりではルシーナが飽きてしまうので、王宮にある美術品を集めて行われていた。
「殿下は幼い頃、修道院にいらっしゃったと聞き及んでおりますが…」
ルシーナのあまりの無知さに、ヘイゼルが思わず呟く。仕方ないでしょとルシーナが返した。
「興味ないことにはほんとに無関心だったのよ、小さい頃は」
その落差の激しさは、修道院の大人からも呆れられるほどだった。宗教に関しては、ルシーナは全く興味がなく敬虔でもなかった。
どこの国でもそうだが、芸術には神話が深く関係する。ルシーナは出てくる神の名前やモチーフなど、ほとんどをヘイゼルに聞き返していた。
「ねえ、これは何?」
ルシーナが指したのは、絵画に描かれた黒い馬だった。王冠を被り、蝙蝠の翼がある。背中にはヤギの骨の面を被った男を乗せている。
「これは、悪魔ベルガエの馬です。名前は分かりません。神話自体にはあまり登場しないので知名度は低いですが、ベルガエのモチーフでもあります。口から火を吐くそうですよ」
ふぅん、とルシーナが興味なさげに言う。
黒い馬に乗る男は、遠くを指差していた。ふと、昨夜の夢を思い出した。女の石像が、壁にかかった世界地図の一点を指していた。そこはレネートモンドだった。ヘイゼルに話してみると、よく分からないといったふうに首をひねられた。ルシーナ自身、よく分からないのだ。当然と言えば当然の仕草だ。
ルシーナは絵画に目を戻した。ならこっちは、と彼女は白い馬を指した。黒い馬と対になる格好で描かれている。
「たまにレンデーラと一緒にいるのを見るわ」
白い馬には白鳥の翼が生えていた。赤い宝石と金細工の額飾りをし、豊かな黄金のたてがみをなびかせる。背中には黄金の杖を持った女性を乗せている。栗色の髪に、小さな白い葉のついた枝でできた冠を被っている。最高神オルランディーネの子にして木々の女神、レンデーラだ。ロズグラシア王家はレンデーラの血を引くとされている。
「それはレンデーラに仕える馬です。オルランディーネが、末娘であるレンデーラを支えるよう命じたそうです。あまり絵画に描かれてはいませんが、レンデーラのモチーフで、忠誠と慈愛の意味を持ちます」
またもやたいして興味がなさげな返事が返ってくる。
ふと、ヘイゼルはベルガエの騎士のことを思い出した。近頃はベルガエの騎士も鳴りをひそめている。リアム・ハットバート以外にも軍が特定している主要な人物は何人かいるが、諜報部はいずれも動きなしとしている。日々の事件は絶えないものの、どれもベルガエの騎士と関わりはなさそうだった。
ルシーナがらみで起きた事件で捕らえた者は、拷問にかけてみたが目新しい情報は手に入らなかった。リアム・ハットバートに関することも、パウエル侯爵に関することも、よく分からないままだ。
ついぼうっと考えていると、ルシーナが彼の袖を引っ張った。扉口に、女官が立っていた。第一王子イライアスが二人を呼んでいるのだと言う。わざわざ授業をしている時に呼び寄せるとは、よほどのことがあったのだ。そう思い、二人は足早に向かった。
イライアスのもとには、すでに第二王子アルモンドと第三王子エリオットがいた。
「レネートモンドのアレクシス王子から手紙が届いた」
イライアスが言う。
「ルシーナ、お前にだ」
「私に、ですか」
三人の兄王子たちは深刻そうな顔をしている。
「悪いが先に読ませてもらった」
それは構いませんとルシーナが丁寧に答える。そして、どうしたのかと尋ねた。
「国王陛下の誕生会の席で、アレクシス王子と踊ったそうだね」
努めて明るい口調でアルモンドが言う。はい、と彼女は答えた。
「アレクシス王子が、あなたをレネートモンドに招待したいそうだ。真意は分からない。手紙には、ルシーナをレネートモンドで個人的にもてなしたいだけだと書いてある。レネートモンドでは、これからキイロカエデが見頃になる。それを見せたいとのことだ」
場所も王都ではなく、ロズグラシア王国に近いアレクシスの領地を指定しているらしい。
「ならば、良いのではないでしょうか」
ルシーナがちらりとアルモンドを見る。兄たちは難しい顔をしていた。
「まだルシーナ一人で行かせるのは心配だ」
エリオットが言う。礼儀作法、言葉遣い、全てにおいてルシーナはやっと形になってきたところだ。うまくレネートモンドの言葉も喋れないのに、一人でやっていけるだろうか。しかし、それならヘイゼルがいる。そんな彼女の思惑を読み取ったかのように、イライアスが口を開いた。
「個人的に気にくわん。証拠はないが、奴は腹の底では何かを企んでいる気がする」
それだけで、とルシーナは眉をひそめた。まるでパウエル侯爵と同じだ。身の安全のためには致し方ないことかもしれないが、わけもなく疑ってしまうのが王族なのだろうか。
「それに、ベルガエの騎士だ。警護に連れていける人数も限りがある。そこを狙われるとなると、今度こそ何があるか分からない。レネートモンドで起きたなら、立派な外交問題だ」
レネートモンドとは外交がうまくいっておらず、何かあれば最悪の場合、戦争にまで発展するかもしれない。
「だから、あなたに決めてもらおうと思って」
ルシーナの目を見てアルモンドが言う。
「そっ、そんな…。国の命運を左右するかもしれないこと、私は…。私は、お兄様方がいいとおっしゃるようにしますから」
それではだめだとイライアスが首を横に振る。
「王族の言動は、いつだって国を左右するものだ。今回、アルモンドとエリオットと話してみて決めかねた。だからお前に託す」
そんな、と彼女はもう一度呟いた。
「どちらを選んでも構わない。何かあれば、私たちは必ず駆けつけるよ。だって、大切な家族だからね」
安心させるようにエリオットが頬笑む。
でしたら、と彼女は震える声で答えた。
「レネートモンドに、行ってみたいと思います」
イライアスは少し不服そうだ。彼女は夢の内容を話してみた。もしかしたら、先見の夢だったのかもしれない。近頃は見ていなかったのに。
イライアスがふぅっと息を吐いた。そして、ヘイゼルを見た。
「一度ルシーナに任せると決めたのだ。分かった、そのように返事を送ろう。よいな、ヘイゼル」
もちろんです、と彼はうやうやしく一礼した。




