20 茶会
「では、そのように予算を調整させていただきます、ルシーナ殿下」
机上で書類を揃えると、初老の男性がルシーナに微笑みかけた。彼は経済管理庁副長官のニコラス・パウエル侯爵だ。何の疑いもなく礼を述べるルシーナの後ろに、目つきの悪いヘイゼルがいた。
彼らはコルトギーズに伸ばす鉄道の予算を話し合っていた。すでにいくらか鉄道は伸ばされているものの、公共事業として不況になるたびに少しずつ進めているため、効率が悪い。今回は一気に鉄道敷設を完了させてしまおうというのだ。技師や業者、市民代表を交えて話し合われ、ふた月後には工事の準備は整う算段だ。現在、コルトギーズの最寄りの駅はアルモンドの所領の一つ、リストリアという街にある。そこからコルトギーズまで路線を伸ばす。その先にも駅を一つ作る予定だが、それはまだ先の話だ。
表向きは交通網を整備し、エメラルドの採掘と加工のための人員を確保することが目的だ。しかし本当は、対レネートモンドとして兵員を輸送する基地とすることだ。事実、この工事について話し合われる前に、レネートモンドから技術者の教育を目的とした視察が申し込まれた。当然のごとく、それはロズグラシア側に却下されていた。
ところで、と切り出したのはパウエル侯爵だ。
「先日は経管庁の者が、殿下に大変失礼をいたしました」
「あら、会議の前にも謝ったじゃありませんか。お互い様って」
ルシーナが笑顔を向ける。
「はい、お詫びといってはなんですが、是非殿下に召し上がっていただきたく、お菓子を用意させました。私の領地で採れるナッツを使ったものでして…。会議も長くなりましたし、お疲れでしょうから甘いものでもと思いまして」
それならと、ルシーナは喜んで承諾した。ヘイゼルは表情に出してはいないものの、不服そうだ。それを察したパウエル侯爵がヘイゼルに微笑みかける。
「公爵は何か私を誤解なさっているみたいですが、それは違いますよ。出世すれば、今までは仲良くしていたものを、急に手のひらを返す者もいますからね」
兄王子様方にもよろしくお伝えください、とパウエル侯爵はルシーナを見た。
「別に、あなたやお兄様から聞くようなひとではない気がするわ、パウエル侯爵って」
侯爵に誘われた茶会の帰りに、ルシーナがそうこぼした。ヘイゼルは結局立場を近衛兵とし、侯爵が出すお茶やお菓子に手をつけようとはしなかった。ルシーナがパウエル侯爵に気を許してしまったわけでもない。なにしろ、あの兄たちが口を揃えて警戒しているのだ。だが他にパウエル侯爵を表だって悪く言うひとはいない。疑心暗鬼になってしまいそうだ。
「私は…殿下に危険がなければ、侯爵に構ったりはいたしませんが」
眉間にしわを寄せ、ヘイゼルが呟く。
「私にはあの男に悪魔の陰が見える気がするのです。疑わしきは罰せず、といきたいところですが、疑わしきを排除するのが私の役目ですから」
ヘイゼルの家族は、パウエル侯爵に関わったせいで亡くなったらしい。だが、パウエル侯爵が直接関わったという確証はない。それだけで侯爵を排除しようとするヘイゼルのやり方は、ルシーナにとって疑問でしかなかった。それに、いつだってヘイゼルはルシーナよりも兄王子たちの言うことをよく聞くのだ。
どうかしましたか、というヘイゼルの問いに、ルシーナは素っ気なく別にと答えただけだった。
パウエル侯爵は経済管理庁の副長官室に戻っていた。秘書の男が蝋で封のされている手紙を彼に差し出した。侯爵がルシーナと茶会をしていた間、受け取ったものらしい。差出人は書かれていない。封蝋には蝙蝠の翼を持ち、王冠を被った馬の紋章があった。
「偉くなったものだ。寄せ集めの烏合の衆が、悪魔の騎士などと…」
手紙の封を切りながら、侯爵が独り言を言う。手紙を読み進めるにつれ、侯爵の表情は険しくなっていった。読み終え、侯爵は秘書も目を通したあとで、手紙を燃やすよう命じた。
何か良くないことでもありましたか、と秘書が訊ねた。侯爵がじろりと秘書を睨んだ。失礼しました、と即座に秘書が謝る。
「ハットバートだ。奴め、せっかく協力してやったのに王女の誘拐に失敗したのを謝りもせず、新たな計画に着手するつもりらしい。計画を作ることしかできない若造のくせに…。私なら…私なら、奴より上手くやってのけるのに」
ですが、と秘書が口を開いた。
「ハットバート様の新しい計画の方が、成功率は上がるのではないでしょうか」
握りしめられた侯爵のこぶしが震えている。その通りだ、と侯爵が苦々しげに言う。
「気にくわん。ただ、その一言に尽きるのだ。若造風情が、この私を駒としか見なしていない…それが気にくわんのだ!」
見たくはないか、と侯爵は秘書に笑いかけた。何をでしょう、と秘書が答えた。
「ハットバートの奴よりも私の方が上だという証拠だ」
秘書がくすりと笑った。
「何も聞かなかったことにしましょう。私は命令だけを聞き、主に忠実である存在ですから」
パウエル侯爵が静かに笑みをたたえた。




