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19 暗陰 4

 ヘイゼルは丸二日の間、目を覚まさなかった。軍病院に連れて行かれた彼は、手当てを受けて少し安静にするよう医務官に言われた。

「それでは困る!殿下の安全を守ることこそ任務だというのに!」

 面倒くさそうな顔をして医務官は彼をたしなめた。

「すでに二日もお側を離れていながら、何をおっしゃいますか。あなたは頭に怪我をしているんですから、今きっちりと身体を休めて治しておかねば、今後任務を続けられなくなりますよ」

 言い返す言葉もなく、ヘイゼルはベッドに寝転んだ。眠っている間、亡き父と兄たちの夢を見た。彼らは今の己に何と言葉をかけるだろう。

 今後も任務をなどと、我ながら馬鹿げたことを言ったものだ。ヘイゼルは思案した。王女を奪われておきながら、何も処分がないわけがない。今後も近衛兵としていられることはまずないだろう。

 しかしその考えは、午後になってやって来た近衛局長によって否定された。ヘイゼルに罰や処分はないと言う。

「イライアス様方は今回の誘拐を無かったことになさるおつもりだ。情報統制もされている。起きなかった件で中佐に罰を与えたら怪しまれるからな」

 ただし、と彼はつけ加えた。

「クランバート中佐には軽度の職務怠慢傾向が見られ、近衛局から処分として減給を言い渡す」

 それだけ言うと、彼は去っていった。残されたヘイゼルの口元に、自嘲気味の笑みがあった。彼は腕で目を覆い、大きなため息をついた。

 その時、廊下が騒がしくなった。女の声がする。耳をすませば声はこちらに近づいて来ており、どうやらルシーナのようだ。静かにと諭す声はヘイゼルの副官、マルク少佐だ。声はヘイゼルの部屋の前で止まった。そっと扉が開く。どうぞと声をかけると、扉は勢いよく開いた。

「ヘイゼル!二日も寝てたから心配したのよ!」

「そこは意識が無かったと言い換えてください、王女よ」

 マルク少佐が小声で言う。ルシーナは改めてヘイゼルに向き直った。そしてしおらしくする。

「身勝手なことをしてごめんなさい。関係のない人までたくさん巻き込んでしまったわ。あなたに怪我までさせてしまって」

 しゅんとしてしまった彼女にヘイゼルは慌てた。警護という任務である以上、怪我をする可能性は分かっている。むしろ任務の際にできた傷は、軍人にとって勲章に他ならないとヘイゼルは伝えた。それに、ベルガエの騎士に繋がる情報も手に入れた。商人のふりをしていた運び屋たちは連行し、拷問にかけてさらに情報を引き出している。

 ベルガエの騎士の話を出したところで、ルシーナがその話をしに来たと言った。

「夢を見たのよ」

 夢ですか、とヘイゼルとマルク少佐が同時に尋ねた。

「あんなにはっきりとした夢は初めてだったわ。ただし、先見の夢ではなかったけれどね」

 ルシーナが見たのはベルガエの騎士についてだった。まず、今回の誘拐を企てたのはリアム・ハットバートだ。彼は誘拐が恐ろしくうまくいけば、あのまま運び屋たちに待ち合わせ場所までルシーナを連れてこさせるつもりだった。しかし予想通り軍が追ってきて、さらに運び屋たちに気付いてしまった。リアム・ハットバートはあらかじめ軍がルシーナを帰すルートをいくつかしぼり、天候や地面の状態、動員数から使われる道を考え、待ちぶせしていた。その際選ばれたルートは経済管理庁から流出していた。近衛局員の一人が経済管理庁への報告書の中にルートを教える情報を混ぜ、さらに経済管理庁の者でリアムと通じている者が教えた。そこから漏れたのだとルシーナは言う。

 ヘイゼルもマルク少佐も、信じがたい様子だ。先見の夢ではないため、ルシーナも自信はなさげだ。

 通じている者の名は分かりますかとマルク少佐が尋ねた。分からないとルシーナは答えた。

「ただ、近衛局員の方は栗色の髪で鳶色の目、右頬にほくろがあったの。経済管理庁の人は赤っぽい髪色で緑色の目をしていて、左のひとさし指の腹に傷あとがあったわ。何かで切ったみたいな傷あとが」

 マルク少佐とヘイゼルが顔を見合わせた。早速あたってきますと言うとマルク少佐は警護に代わりの者を寄越し、退出した。

「もし、殿下のおっしゃることが真実であれば、殿下は先見の力だけでなく、後見の力もお持ちだということになりますね」

 珍しいことなの、とルシーナが尋ねる。後見の力は聞いたことがなかった。ヘイゼルがうなずく。

「神官に現れるのは先見の力が主です。しかし、後見の力が現れた方も中にはいらっしゃいました。しかし滅多になく、一番最近の例でもまだロズグラシア王国がランカネル王国に吸収されていた頃の王族の一人がそうであったというほどです」

 先見の力が未来を予知するものであるのに対して、後見の力は過去を見る力だ。予知して行動することによって未来は変わることもあるが、過去を変えることはできない。後見の力があった神官は、過去を何一つ違わず見ることができたらしい。もしルシーナの力も確かなものであれば、これは大きな証拠となりうる。

 少しして、マルク少佐が息を切らせてやってきた。廊下を走るなという衛生兵の声がする。入室するやいなや、大変ですと彼は言った。

「殿下のおっしゃったこと、まことでございました。しかし、その二名はもはやこの世におりません。近衛局員の方は殿下が連れ去られる直前に職を辞しておりました。その後、故郷に通じる山道で崖から転落死しております。経済管理庁職員は出張中に滞在していた町で強盗に遭って殺害されたようです」

 ヘイゼルが眉をひそめる。周到なことだと彼は呟いた。

「これ以上はまだ分かっておりません。引き続き情報部と協力して捜査します」

 マルク少佐は報告だけ済ませると、足早に去っていった。

「だいぶうなされてたわ」

 少佐の足音が聞こえなくなった頃、ルシーナが呟いた。

「夢を見たんです」

 遠い目をしてヘイゼルは答えた。

 子供の頃から病気にかかると必ず見る夢がある。暗闇の中、ヘイゼルを捕まえようとする血塗れの手からひたすら逃げる夢だ。足もとには血が水溜まりのようになっており、しぶきがあがる度に不快な楽器のような音色が響く。振り返ると、父や兄たちが亡くなったときの姿のままそこにおり、恨めしそうにヘイゼルをじっと見据えるのだ。いつもそこで目が覚める。

「私の不甲斐なさに、兄たちは失望しているのかもしれません。自分が生きていたらこんなことにはならなかっただろうと言われているような気がしてならないのです」

 伏し目がちに話すヘイゼルの横で、ルシーナはおおげさにため息をついた。

「考えすぎよ!普段から難しいことばかり考えてるから全部難しく考えてしまうのよ。あなたの家族はそんな人たちなの?違うでしょ。あなたのすること、見守ってくれてるはずよ。恨むなんてばかばかしいわ。世の中って案外単純なところもあるのよ。こんがらがった世界しか知らないあなたより、私の方がうんとよく知ってることもあるのね」

 本当にさようですねとヘイゼルは小さく笑った。

「つい先程、エピルス地方のことでイライアスお兄様はレネートモンドと話し合いの場を設けることを決められたわ。私にも早いところ鉄道を伸ばすようにとのご命令よ。今度、予算編成のことで経済管理庁と会議があるわ」

 ヘイゼルが眉をひそめた。経済管理庁と聞いて、パウエル侯爵のことを思い出したのだ。

 その眉間のしわをルシーナは指で押した。

「過敏になってるの?でも、そのときまでには復帰するようにとのアルモンドお兄様からのご命令よ、クランバート中佐」

 ヘイゼルはその呼びかけに対してほんの少し、目を見開いた。

「というわけで、鉄道敷設の書類とか予算のこととかお願いしたいんだけど。マルク少佐は訓練で頻繁にこちらには来れないってことだったし」

 ルシーナが一枚の紙を取り出した。そこには、鉄道敷設に必要な書類のリストが書かれていた。どうやらヘイゼルの副官であるマルク少佐が、リストのほとんどを書いたようだ。紙を受けとり、ヘイゼルは小さくため息をついた。

「殿下のおかげで、休暇中も暇をせずにすみそうですよ」

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