18 暗陰 3
樽の蓋は簡単に開いた。乱暴に蓋を取り払い、ヘイゼルは灯りを持ってこさせた。はたしてそこにはルシーナがいた。樽の中にうずくまるように入れられ、眠っている。
「殿下!」
ヘイゼルが呼び掛ける。ルシーナは深く眠っているようで、起きる気配はない。兵に命じてアルモンドに知らせた。その間、商人の男たちは顔色を悪くして様子を見ていた。
駆けつけたアルモンドはルシーナを見て胸を撫で下ろした。目立った怪我はない。薬で眠らされているだけのようだ。すぐ傍ではヘイゼルの命令により、商人たちの尋問が始まっていた。
「アルモンド様。奴ら、全く情報を喋りません。誰が企てたのか、これからルシーナ殿下をどうするつもりだったのか、全て知らないの一点張りです。どこへ殿下を運ぶ予定だったのかすら喋りません。どうか、真実の水の使用許可を願います」
兵がアルモンドに報告する。真実の水とは自白剤のことだ。少し考え、アルモンドは使用を許可した。
その時、ルシーナが小さく呻いて目を覚ました。ヘイゼルがすぐさま駆け寄り、ルシーナの肩を支えた。まだ状況が飲み込めていないルシーナに、体調は悪くないか、どこか怪我をしていないかを尋ねる。
ルシーナがなんとか普通通りに振る舞えるようになった頃、真実の水の用意ができた。兵が商人たちの口を無理矢理開かせようとする。何をしているのとルシーナが尋ね、ヘイゼルは事態を説目した。
「それにしたって、こんなひどいやり方しなくっても…!」
ルシーナがそう食って掛かった時、兵が全員に真実の水を飲ませたらしい。商人の目が虚ろになってきた。ひどく酒に酔った様子に近くなる。兵たちが一つ一つ丁寧に質問し、商人たちは途切れ途切れに答えた。
商人の格好をした男たちは、よその町で仕事にあぶれていたらしい。そんな折、荷物を運ぶだけという簡単で高給な仕事を見つけ、疑う暇もなく仕事を引き受けたという。夜が明けたらレネートモンド付近の待ち合わせ場所にルシーナの入った樽を置き、依頼人がルシーナを手に入れる算段だ。依頼人は、リアム・ハットバートと名乗ったという。
その名に聞き覚えは、とアルモンドがヘイゼルに尋ねた。ヘイゼルは心当たりがあるという。ベルガエの騎士の一人だった。ヘイゼルの兄たちが遺したメモにその名があったのだ。
「この暗闇だ。危険を冒してまで監視をつけるとは考えられない。こいつらになりすまし、待ち合わせ場所に向かう。リアム・ハットバートとやらを捕らえる」
アルモンドが指示する。アルモンドが直接指揮をとり、ヘイゼルはルシーナを連れて王宮へ帰ることになった。
「お兄様は大丈夫なの?」
帰りの馬車の中、不安げにルシーナがきく。ご安心をとヘイゼルは答えた。
「アルモンド様は優れた判断力を持つお方です。いくらお若いとはいえ、テロリストごときにひけをとる方ではありません」
雨が降り始めた闇の中、馬車が泥をはね飛ばして走る。
しばらく走ったところで馬車が急停止した。衝撃でルシーナが体を壁に打ちつける。何事かとヘイゼルは外に向かって尋ねた。近衛兵以外の複数の足音がする。ルシーナに声を出さないよう言い、ヘイゼルは剣を抜いた。戦っている音が聞こえる。ルシーナはすっかり怯えていた。
その時、馬車がひときわ大きく揺れた。兵たちがヘイゼルを呼んでいるのが聞こえる。馬車の扉が勢いよく開く。一瞬で敵味方を区別し、ヘイゼルは剣で敵を倒した。どこかの軍の者ではないようだ。
「殿下、私のそばを離れないようにしてください」
ルシーナは恐怖でうなずくこともままならなかった。
ヘイゼルの剣が攻撃を受け止める。それを弾き返し、彼は乗り手を失った馬を見つけた。ルシーナを庇いながら馬へ近づく。
「がっかりしました、クランバート公爵」
突如、よく通る声がした。馬の陰に男がいた。コートを着ており、中肉中背といったところか。帽子を目深にかぶっているうえ、無表情な道化師の面をつけている。
誰だとヘイゼルが尋ねた。男は小さく笑ったようだった。
「あなたのお父上とご兄弟から深い親交がありまして、私のことはご存知かと思っておりましたが」
ヘイゼルが顔をしかめた。リアム・ハットバートの名前が頭をよぎる。思い出していただけましたかと男が言う。
「私はあなた方が『ベルガエの騎士』と呼ぶ者の一人です。ロズグラシア軍が勝手につけた名前とはいえ、驚くほど似合うこの名前を正直気に入っておりますよ」
リアム・ハットバートが喋っている間、ヘイゼルは剣を構えたままだった。リアムが剣を抜いた。次の瞬間、ヘイゼルは剣で攻撃を受けていた。重い一撃に耐え、彼はルシーナを守りつつ周囲を見た。勝ってはいる。が、明らかな優勢でもない。ルシーナを庇いつつ戦う彼は、むしろ劣勢だ。頬に大きく切り傷をつくり、赤い瞳は敵だけを睨む。
「コネリー・クランバート。アール・クランバート、シリル・クランバート、バジル・クランバート…」
次々と出てくる名前に、ヘイゼルは表情を固くした。いずれも彼の父親と兄たちの名前だった。
「特に父親と次男には手間をかけさせられましたよ。殺してしまうには惜しい者たちでしたが、おとなしくこちらの言うことに従ってもらえなかったので、全員始末するはめになりました。クランバート家の者は赤目が特徴的ですからね、探すのも遊ぶのも面白かったです。が、王家の剣もあなたで最後になるでしょう」
リアム・ハットバートはヘイゼルを挑発しているかのようだった。かかって来いと言わんばかりに剣先をずらして隙をつくる。ヘイゼルはその挑発には乗らなかった。すると、リアムがため息をついた。つまらなそうにしている。
「残念です。かのクランバート家の最後の一人がまさかこの程度とは。あなたの父親や兄たちが見たらなんと言うでしょうか。…あなたにも見せてあげたかったですよ。家族の命乞いのために頭を地面に擦り付けるコネリー・クランバートの惨めさを。自ら毒を飲むアール・クランバートの手の震えを。骨を砕かれたときのシリル・クランバートの叫び声を。泣きながら這いずったバジル・クランバートの死に様を」
剣を握るヘイゼルの手に力が入る。それでも彼は挑発には乗らなかった。拍子抜けしたようにリアムが小首をかしげた。
「とんだ腰抜けです。さっさと王女を捕らえてしまえば良かった」
ヘイゼルは歯を食いしばって怒りを堪えた。そして尋ねた。
「運び人との待ち合わせ場所に行かなくて良かったのか。それとも初めからこちらをつけていたのか」
どちらでもありませんとリアムは否定した。
「近衛兵と情報部が動いた時点で、運び屋から王女殿下を連れ戻されるのは計算済みでした。なのであなた方が使うと思われる道を教えてもらい、狙いを絞って待っていたんです。なかなか熱心だと思いませんか」
リアムは一人で笑った。誰に教えてもらった、とヘイゼルが尋ねた。それは言えませんよと再び笑い声がする。
リアムは耳をすませた。取引の予定があった場所からこちらへ向かって馬の蹄の音がする。襲ってきた暴徒共は姿を消していた。彼は踵を返した。その隙をついて、ヘイゼルが剣を突きだす。リアムはあっさりと避けると、ヘイゼルを蹴飛ばした。地に落ちたヘイゼルをさらに踏みつける。ヘイゼルも彼の足を捉え、リアムを転ばせた。ヘイゼルがその足を短剣で刺した。くぐもった声が聞こえた。手近な石を握ると、リアムはそれを投げた。鈍い音がしてヘイゼルが倒れる。
「クランバートめ…!」
そう呟き、リアムはルシーナの腕を握り、連れ去ろうとした。ルシーナが悲鳴をあげたとき、馬の蹄の音と銃声がした。
アルモンドたちだった。リアムはルシーナを連れ去るのは不可能と判断したのか、暗闇に紛れた。数人の兵がそのあとを追いかけたが、銃声とともに呻き声がした。
「ルシーナ、無事だったか!」
アルモンドが馬から飛び降り、確認する。ルシーナは目に涙をためて兄を見た。
「で、でもっ、クランバート公爵が…」
腰が抜けているルシーナは、ヘイゼルが倒れた場所を示した。アルモンドが灯りを持ってこさせる。辺りを照らすと、血に濡れたヘイゼルが倒れていた。




