10 祝砲 2
困惑するルシーナに、ヘイゼルが耳打ちする。
ルイス・ハミルトン。ロズグラシア王家の元第五王位継承者だ。彼はイライアスやアルモンドとは母親が違う。その母の扱いのことで国王ダグラスと揉め、王位継承権を放棄して母方の姓であるハミルトンを名乗っている。兄弟仲はいい方だ。現在は運輸局鉄道課の地方支部に在籍している。
「たまにはこちらにも顔を出しなさい」
「これでもなかなか忙しいのですよ、兄上。それに、たまの休みには領地で釣りをしたりしてのんびりとするのがたまらないのです」
そうやっている間にも、彼らの周りにはひとが集まってきた。皆三人になにか声をかけてもらえないだろうか、あわよくば取り入れないだろうかと舌なめずりしている。
アルモンドたちは慣れているようだがルシーナは戸惑っていた。ヘイゼルがそろそろ時間ですとルシーナに声をかけた。この後は市民への挨拶が控えている。休憩をとって化粧を直さねばならない。
アルモンドはルイスに簡単に挨拶をすると、ルシーナを連れてそこから去った。他の貴族たちが名残惜しそうにする。
「本当はナサニエルも来れたらよかったのだけれどね」
ナサニエルは第四王子の名だ。現在、レネートモンドへ留学している。ルシーナは文字の練習を兼ねてナサニエルに挨拶の手紙だけは出していた。
少し小さめの休憩室には、第一王子イライアスが待っていた。
「遅かったな」
「ええ、少し。ものすごい人でした」
イライアスとアルモンドが話す。
「それにしても、先ほどは…挨拶文を忘れたのか?」
イライアスがルシーナに問う。怒られるのではないかと思い、即座に彼女は謝った。ところがイライアスは怒るどころか笑ってルシーナを褒めた。
「最初にしては上出来だ。忘れても慌てず、堂々と話したのがよい。お前自身の言葉だから、なおさらよかった。兄として誇りに思う」
ルシーナに笑顔が戻る。
「せっかくうまくできたのだから、ルシーナ、何か欲しいものがあれば言ってごらんよ」
アルモンドがにこやかに尋ねる。でも、とルシーナは言葉を濁した。
「甘やかしすぎですよ、アルモンド様」
ヘイゼルが言う。何を、とアルモンドは彼を振り返った。
「せっかく妹が頑張ったんだぞ。それをせめて褒美の品をやるくらいよいではないか」
呆れたようにヘイゼルは何も返さなかった。
「あの、でも私は結構です。お気持ちだけで…」
兄たちがルシーナを見つめた。
「まったく、欲がないな。つまらん」
イライアスが呟く。ごめんなさいとルシーナは謝った。機嫌を損ねたかと思ったのだ。
「だが、よい心がけだ。王族だからといっておごるのはよくない」
イライアスがちらりと戸口を見た。その向こうにはたくさんの貴族たちがいる。今も彼らは高価な布地の服を着て、たくさんの料理を惜しみ無く食べ散らかしている。
王族は食事は別にとることになっている。ルシーナは軽く食べた後、少し寝ることにした。ほんのわずかしか眠れないが、先ほどの貴族に対する挨拶だけで疲れてしまった。
「すごい人ね…」
王宮のバルコニー近くの窓から外を覗き、ルシーナが呟く。市民が王女を一目見ようと集まっているのだ。今日は王宮の庭が一般にも開放されている。食事も出されていた。王宮からは人が溢れていた。王宮の前の広場をも埋め尽くすほどだ。
アルモンドに呼ばれ、ルシーナはバルコニーに出た。午後の日差しが彼女を照らす。わっと湧き上がる歓声に、ルシーナは思わず微笑んだ。万歳が聞こえる。
手を振ってごらんとアルモンドが話しかけた。こうですかとルシーナはぎこちなく手を振る。歓声がひときわ大きくなった。
「王女様は平民出身なんだって」
「なら、そこの領地は税がなくなるんじゃないか」
「思ったよりお若いのだねえ」
そんな声が聞こえた。
「税をなくすってできるんですか」
ルシーナがアルモンドに尋ねる。先ほどの誰かの言葉は彼にも聞こえていたのだろう、アルモンドは苦笑した。
「それは無理というものだ。税は国に納付するだけの額が地区ごとに決められていて、それを加味したうえで領主が決めるんだ。ヘイゼルに習わなかった?」
たしかそうだったかも、とルシーナは額を掻いた。
「その国に納付する税金の額を最終的に決める権限を持つのが、パウエル侯爵だ」
アルモンドが言う。イライアスがルシーナの隣に来た。
「あまり深くお前が考える必要はない、ルシーナ。パウエル侯爵はお前が気にかけるほどの者ではない。それより見ろ」
三人が観衆を見る。
「今は、お前が尽くすべき者たちの顔をしっかり見ておくんだな」
はいと返事をし、ルシーナは歓声に応えた。人々を見ていると、ふと数人に目がとまった。他の者たちと違い、楽しそうではない。手を振ってもいない。真剣な、心配そうな面持ちでルシーナを見ている者たちがいる。
「お父さん…と、ライアス!」
ベンソン氏とライアスがいる。他にもロンデニアの友達がいた。アルモンドとイライアスを呼び、ルシーナはそれを伝えた。
「彼らに会いたいかい?」
アルモンドが尋ねる。もちろんですと彼女は答えた。アルモンドはひとを呼び、彼らを連れてくるように言った。
「一般の参賀が済んだら彼らに会ってもいいよ。ただし、ロンデニアにいた頃のようにとはいかないけれどね」
王都ローアイズの区長たちがルシーナに挨拶し、中央区の区長市民代表として祝辞を述べた。王宮の鐘がまた一つ鳴る頃、ようやく一般市民へのお披露目が終わった。眼下にはまだまだたくさんの人がおり、ルシーナの退席に残念がる声も多かった。
屋内に戻ってきたルシーナに、侍女が準備ができましたと伝えた。ロンデニアから来た者たちとの面会だ。日頃使われる謁見の間は、現在使用中らしい。そのため、別の部屋を使うという報告だ。彼女は王宮の端にあるこじんまりとした睡蓮の間へ連れていかれた。
睡蓮の間はヘイゼルの指揮のもと、すでに護衛の兵で固められていた。蟻が這い出る隙もない。ベンソン氏やライアスたちは、その部屋の中で小さくなっていた。
ルシーナが一歩部屋へ踏み込むと、彼らの表情が変わった。今までとは違う雰囲気に、思わず息を飲んでいる。
「ルシーナっ!」
ライアスが立ち上がる。途端に兵の銃口が彼を向いた。ライアスが驚いて硬直する。
「ヘイゼル、やめさせて!」
ルシーナがヘイゼルに詰め寄る。だが彼は冷たい態度で口を開いた。
「殿下のお許しもなく、立ち上がるな。ここにおわす方をどなたと心得るか。貴様らとは違うのだぞ」
「ヘイゼル!」
ルシーナが叱責し、ようやく彼は黙った。ライアスがゆっくりとしゃがむ。ヘイゼルは銃を向けるのをやめさせた。
「兵を退出させてくれないかしら。こんな中で友達と会いたくないから」
ルシーナの頼みを、できませんとヘイゼルははねのけた。でも、と彼女は食い下がったが答えは同じだった。
「殿下に万一のことがあれば私を含めここにいる兵は、殿下をお守りしなかった、職務を放棄した罪で背反の疑いありとして親族もろとも拷問されます。ご容赦を」
ルシーナが黙った。
「他に何もなければ、お好きにお話をなさってください。我々には守秘義務がありますから」
ルシーナは言い返さなかった。すっかり重苦しくなった雰囲気を吹き飛ばすように、彼女はベンソン氏たちに笑顔を向けた。
「あのっ、ひ、久しぶりね!」
ベンソン氏たちはすっかり緊張しているようだ。
「ロンデニアからなんて遠いのに……ありがとう」
そこでようやくベンソン氏が口を開いた。
「あの、殿下にはお久しく……」
「そんなこと言わないでよ」
ベンソン氏の言葉をルシーナが遮った。しかしあなたは、とベンソン氏が言う。彼女は唇を噛んで震えていた。




