01 庶子王女
石畳の街道と煉瓦の建物の並ぶ街に人のざわめきが聞こえる。見上げれば、よく晴れた青空が広がっている。ここはロズグラシア王国の西の街、ロンデニアだ。商業が盛んな街の一角で、一人の少女が休みなく働いていた。
栗色の髪を乱雑に一つにまとめ、農耕具を洗っている。緑の瞳は大きく、疲れを見せる素振りもない。家の奥から幼い子供の声がする。
「ああもう、またエリックったら何かしたのね」
彼女は家の中に入っていった。少ししてまた外で作業の続きをする。
「ルシーナ」
少年の声がした。ルシーナと呼ばれた彼女が顔を上げる。そばかすのある少年が立っていた。他にも数人いる。
「なによ、ライアス。いっつもいっつも暇なのね」
そう言って彼女は洗いかけの農耕具に目を戻した。適当にあしらわれたと思った少年はむっとしたようだ。おい、と声をかけた。ルシーナが再び彼を見た。
「いい加減にしてよ。私は忙しいって言ってるでしょ!あんたは今日は学校が休みかもしれないけど、私は仕事があるのよ!暇なら後ろの人たちに付き合ってもらえば?」
言い返す言葉を探し、黙ってしまった彼の後ろから、ふられちまったなと囃す声がする。罰が悪そうに彼は顔を赤らめると、聞こえるように舌打ちした。他の少年たちは少し離れたところで二人を見ている。
「別にお前なんか誘ってねーし!俺だってやることがあるのにわざわざ様子を見に来てやってんだよ、みなしごのためにわざわざな!」
みなしごと言われた時、ルシーナの手は一瞬止まった。それでも彼女は表情を崩さず、茶目っ気たっぷりに舌を出して見せた。
「あんたなんかに誘ってもらわなくても結構ですー!それともなに?また泣かされたいの?当ててあげようか。あんたさっきお守り落としたでしょ、赤い石がついたやつ」
ズボンのポケットに手を入れ、ライアスははっとした。ルシーナの言ったとおりだったのだ。急に不安げな顔になったライアスを見て、ルシーナは呆れた。農耕具を洗いながら、彼女は彼の方を見ずに言った。
「さっき遊んでた山の入口、そこの低い木が三本生えてるうちの真ん中に引っかかってるわよ。誰かに盗られてなければね」
ライアスはばつのわるそうな顔をした。
「またあの変な力かよ」
「変で悪かったわね。今度あんたがお金落としたって、教えてやらないんだから」
「い、言ったなお前!もう知らないからな!」
その時、別の声がした。ルシーナと同年代の少女たちが立っていた。
「またルシーナのことからかいに来たの!」
「何回来れば気が済むわけ!?」
「帰れ帰れ!」
少女たちにさんざんに言われ、少年たちは慌てて駆け去って行った。どうやらライアスはお守りを探しに山へ戻るらしい。そちらの方角へ行った。
大丈夫、とルシーナを優しく気遣う声がする。ありがとうと返し、彼女たちを見送り、ルシーナは再び作業に戻った。少女たちの話声がする。
『ねえ、今度の休日はどっか遊びに行こうよ!』
『いいね、市へ行ってみるのはどう?』
『なんかサーカスみたいなのが来るらしいよ!』
自分とは無関係な話だった。彼らは全員、この街の幼馴染だ。皆、学校へ通っている。ルシーナは一人、家事をしている。学校へは行っていない。もちろん、そんな子供は大勢いる。ただ、彼らの中でたった一人違うというのがどこか寂しく感じられた。そうして陽が沈むまで、彼女は働いていた。
ライアスに言われた変な力とは、予知夢を見ることができる能力だった。ルシーナ自身もよく分からないが、物心ついた頃にはもうその力はあった。といってもたいしたことはできない。頻繁に見るわけでもない。先ほどのようにどこで落し物をするかが分かることは稀だ。たまに急に悪くなる天気を言い当てると感謝される。育ての親のベンソン夫妻もこの力は知っていたが、あまり言いふらさないようにしていた。
日が暮れると、働きに出ていたベンソン夫妻が帰ってきた。家族揃っての夕食は毎日だ。
「悪いね、ルシーナ。毎日手伝ってもらって……」
ベンソン夫人の言葉に、いいんですと彼女は返した。
「私、今は本当に幸せですから」
そう言って微笑む彼女を見て、ベンソン夫妻はちらりと目を合わせた。
ルシーナとベンソン一家は血がつながっていない。彼女は七つの頃、金持ちの奴隷のようになっていたところをこの街の領主に助けられ、ベンソン夫妻に預けられたのだ。人はいいがベンソン夫妻のもとには金がなく、ルシーナは内職を手伝って稼いでいた。その傍ら、ベンソン夫妻の実子であるエリックの子守りもしていた。
「まあ、ルシーナがそれでいいならいいんだ。でも、無理はしちゃだめだ。学校へ行きたかったら、私たちがなんとかしてあげるから」
その言葉に、ルシーナは笑顔で返した。
その夜遅く、ベンソン家のドアを叩く音がした。何事かと、この家の主人であるリチャード・ベンソン氏が出ていく。そしてひぇっと情けない声をあげた。次にベンソン夫人が出ていき、またも情けない声を発する。ルシーナは恐る恐る外を覗いた。
戸口の前には馬車と兵士、そして豪華な服を着た三人の男が立っていた。皆、まだ若い。その一団の端に、この街の領主がいた。ほとんど空気と化している。
「ルシーナという娘がいると聞いた」
三人の中でも一番貫録のある男性が言う。深緑の服を着ており、金髪碧眼だった。
「わ、私です」
か細い声でルシーナが手を挙げる。三人の目がルシーナを見た。
「本当にお前ルシーナか?」
あまりに堂々たる物言いに、ルシーナは声が出なくなった。
「まあまあ兄上。そんな言い方をなさっては怯えているではありませんか。それともなんです、私の側近の情報が信じられないとおっしゃるのですか」
次に口を開いたのは、またも金髪碧眼の男性だ。最初の男性よりは優しい顔と声をしている。
「あのう……何か私にご用でしょうか」
三人は目を見合わせた。すると、今まで黙っていた男性が深く礼をした。黒髪がさらりと揺れる。
「お迎えにあがりました、ルシーナ内親王殿下」
「……え?」
ルシーナが呟く。
再び彼が顔を上げた時、冷たい赤い瞳が見えた。
「ここで話すのも馬鹿らしい。とにかく王宮へ来てもらうぞ、妹よ」
最初に話した男性が言う。ルシーナは思考が停止しそうな頭で考えた。
「……ええっ!?」
やっと出てきたのは、驚いた声だけだった。
「あの、待ってください、ちょっと。私は普通の一般庶民で、もう訳が分からないのですが……王宮なんて……」
馬車の中でぶつぶつとルシーナは喋る。顔色も悪い。
「私、何か悪いことでもしましたか?」
その一言に、一番優しい顔をしている男性が吹き出した。
「まあ、気持ちは分からなくもないよ。ルシーナ。自己紹介が遅れたね。私はアルモンド・ロズグラシアという」
「アルモンド・ロズグラシア……ロズグラシアって、ええっ!第二王位継承者様……!?」
倒れそうな表情をしてルシーナが叫ぶ。
「正解だ。こちらは私の兄、イライアス・ロズグラシア。そしてこっちの黒髪のが、私の側近のヘイゼル・クランバート。彼は公爵だ。私の警護を任している。文武両道でね、非常に優秀な武官だ」
イライアスはこの国の第一王位継承者だ。ルシーナの顔色はますます悪くなっていく。アルモンドが微笑む。
「いきなり訪ねて悪かったと思っているよ。私たちですら、未だに信じられないからね。まさか、妹がいたなんて。ねえ、兄上」
イライアスは何も言わなかった。ずっと窓の外を見ている。
「で、でも……私は奴隷だったって養父に聞きました」
アルモンドがヘイゼルに目配せした。
「ルシーナ様は庶子です。母君は王宮で働く侍女でした。懐妊と同時にあなたの母君は仕事を辞めて故郷へ帰り、すぐにはやりの病で亡くなったようです。その後は父君、ダグラス王の命によって修道院に三歳まで預けられ、その後、とある人物に買われて転売され、数年前にロンデニア領主により解放なされたのです。私はダグラス王に命じられ、長いこと捜索し申しあげておりました。ご存知と思います、ロズグラシア王族の血に連なる女性は先見の力があります。そのような経験はございませんか」
黒髪を綺麗に一つに束ねた彼は、まっすぐにルシーナを見つめて喋った。よく言えば生真面目そうな、しかし不機嫌そうな顔だ。赤い目にひきずられそうになりながら、ルシーナは話を聞いていた。
思い当たる節はある。予知夢の力だ。しかし、他にも占い師のなかには予知夢を見るひともいるという。人違いの可能性はまだ消せない。
ヘイゼルは話し続けた。
「王后陛下が昨年お隠れになり、ロズグラシア王家の血を引く女性が絶えました。国の重要な政や対外戦争の際には、先見の力も使われてきました。王族に女性が絶えるのは一大事なのです。早急にルシーナ様をお探しし、お戻りあるようにとの陛下からの勅命でございます」
「本当に私なんですか?」
不安になり、ルシーナが尋ねる。そうだよ、とアルモンドは頷いた。そしてペンダントを取り出した。金の台座に青い宝石が据えられている。台座の裏には双頭の鷲の紋章が彫ってあった。紋章をルシーナに見せる。
「これはロズグラシア家の紋章だ。ロンデニア領主が持っていたんだ。あなたを解放した時に売人から手に入れたらしい。時が来れば申し出るつもりだったとか言っていたけれどね」
王家の紋章など、一般庶民が持っているわけがない。決定的な証拠だと言った。
「では、私はこれから一体どうなるのです」
不安げにルシーナは三人を見る。
「王族として不足のないようにさせる。教育も受けさせるし、先見の力も必要があれば磨くことになる。心配するな、家族に不都合があるような真似はさせない」
第一王位継承者、イライアスが言う。ぶっきらぼうだったが、最初よりは優しく感じられた。アルモンドがにやりと笑う。
「兄上、もっと素直になさったらどうです。一番楽しみになさっていたでしょう、ルシーナのこと」
「うるさい!放っておけ!」
「またまた、素直じゃないんですからあ」
少し頬を赤らめるイライアスを見て、ルシーナが思わず微笑む。
「まだ信じられませんし、ご迷惑をおかけしますが……よろしくお願いします、お兄様」
彼女に目をやり、アルモンドが笑う。イライアスは口をへの字に曲げ、頬をわずかに赤らめたまま腕を組んでそっぽを向いた。ヘイゼルも少しだけ、柔らかな表情をしている。
四人を乗せて、馬車が夜の街道を駆けて行った。