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【一階総合待合室入り口】


私は結局、兄さんとの約束を破ってしまった。

あの後すぐに、ナースステーションにライトを取りに行って、一階に下りた。やっぱり心配で、いても立ってもいられなかったから。


叱られることは十分覚悟している。

その上で私はここにきた。


「未来ちゃん、どこにいるの…!いるなら返事をして」


拓斗兄さんの足跡はきれいさっぱり消えていたから、どっちにいったかはわからない。床の埃が意図的に足跡を消そうと動いているようにも感じる。

そもそも、この埃こそが《星屑》なのだから、動いていたって不思議ではない。


身体に何かが張り付く感覚。きっと服の中まで《星屑》が入り込んでいるんだ。そうやって、皮膚からも入り込んで身体をのっとろうとする。これに抵抗するための有効な手段はほぼ一つしかないといわれていた。


気持ちを強く持つこと。


今の私には簡単なことだった。

未来を絶対に助ける。この想いだけで動いているんだから。


「未来ちゃん、どこ……!」


この暗闇の中ではライトの一筋の光はあまりにも心もとない。明かりを持たないで入った未来はどれだけ心細い思いをしていようか。

闇に包まれたこの病院は私の知っている場所ではないような気がして、一歩間違えば私まで迷ってしまいそうだ。


「……!?」


か細い少女の叫び声が聞こえた、ような気がした。

声を追って駆け出そうとするが、身体がついていかない。といっても、さっき上の階にいたときよりは随分マシで、出血は治まっているし、早歩きぐらいはできる。

高濃度の《星屑》を吸い込んでいるためだろうけど、それと同時に身体には《星屑》がかなり溜まっているはずだ。今、調子がいいからっていつまでも副作用の恩恵だけには頼っていられないだろう。


・・・いつかは代償を払わなければいけないときが来る。


「未来ちゃん…いるのっ!?」


大量にあったはずの椅子が撤去された待合室に足を踏み入れる。

足元に違和感。急に床のざらざらした感触があまりなくなった。

光を当てると、《星屑》が放射線状に広がっているのを確認できた。その中心へと光を向けると…。


「未来ちゃんっ!!」


壁に寄りかかるように倒れている未来が目に入る。その周りには大量の《星屑》が囲み、蠢いている。


「お姉ちゃん…はやく……にげ…て」


呻くように発せられる制止はもちろん無視。新たな獲物に集まってくる《星屑》も無視。

黙って身体を乗り出し、必死に手を伸ばして未来の身体に触れる。しかし、指先で感じたのは硬質化された冷たい皮膚で、生き物の温かみなど、微塵もなかった。

それでも、諦め切れなかった。

そんなことだけで、未来を見捨てたくなかった。


「未来ちゃん、諦めちゃ駄目っ。…約束したでしょう、明日、また一緒に折り紙折るって!!」


返事は、ない。

そのかわり、うつむいていた顔を上げ、瞳に涙をためて嗚咽しだした。その双眸はまったく彼女のそれとは異なっていた。

異様なまでに開ききった漆黒の瞳孔に、黄金色の虹彩。


私は間に合わなかったんだ……侵食が…《甲化》が抑えきれないところませ進行してしまった。


「みずき…お姉ちゃん、あたしが…だれかを…殺しちゃう前に……殺して…」


「未来ちゃん、私にできないよ…そんなこと」


涙を流して訴える未来にそう答えて、抱きしめた…。




【一階エントランスホール】


完全な暗闇の中、未来の探索は困難を極めていた。相手の目的が分からない以上、しらみつぶしに探すしかない。時間が経つのが、早く感じてならない。


「あれ、鈴村先生じゃないですか。どうしてこんなところに?」


突然、背後から場違いな幼い声がかかる。後ろを振り向くと笑みを浮かべた少年と、黒ずくめの男が四人立っていた。

自警団を見て、背中にじっとりといやな汗をかいていく。何だって、こんな最悪のタイミングで…。


「…えぇと、遥君だったか?いや、実は…」


「名前、覚えていてくれたんですね。名前で呼ばれると嬉しいです。周りがこんな人達ばかりだから、なかなか呼んでくれないんですよ」


話を遮り、本当に嬉しそうに自警団の小隊のリーダーであるらしい遥は笑った。


「母様がつけてくれた…せっかくの名前、呼ぶ人がいないともったいない。で、何でこんなところにいるんでしたっけ」


「ここに迷い込んでしまった子供がいて…」


「それはそれは…大変ですね。僕たちもお手伝い致しましょう」


「そうしてくれれば助かるな。じゃあ、私はあっちを探してくる」


話を聞いて、かわいらしい顔に人を喰ったような笑みを浮かべる遥から、少しでも遠ざかろうとその場から立ち去った。

あんな子供ですら、恨みを擁いて生きているのかと思うとぞっとした。

エントランスを抜け、今度は診察室棟を見に行こうと廊下を小走りで進む。


「……??」


待合室から、あるはずのない光が見えた。しかも、かなり奥のほうから。


「…誰かいるのか……?」


返事はないが、無音というわけでもない。微かだが、すすり泣く声。

足が自然と速まる。

しかし、見つかったのはいるはずのない人だった。


「瑞希……君は何で来たんだっ!あれほど来るなといったのに!」


「拓斗兄さん……未来ちゃんが…、未来ちゃんが………っ!」


俺は《星屑》にまみれた瑞希が抱きしめている少女を見て、絶句した。怒りなどあっという間に冷めてしまった。

腕を真っ黒に《甲化》させ、瞳孔を開いた虚ろな金の目。顔に刺青のような模様が浮かび上がっている少女を未来だと認識するのにかなりの時間を要した。

《甲化》した人間は元には戻らない。全ての記憶を食われ、親しい人すら襲い、闇に生きるか殺されるしか選択できない、異形。


「未来ちゃんが……誰かを殺す前に殺してほしいって…。なんで、未来ちゃんがこんな目にあわないといけないの……!」


「瑞希……」


震える瑞希から未来の身体を預けると、そっと横たえた。荒い息で苦悶の表情を浮かべた、未来とは似て非なる存在は、この世の中では害なすものとしか認識されない。

これも未来の望んだことだと、自らに言い聞かせながら、瑞希に向きなおった。


「…瑞希、ここから離れよう。もうこの子は…未来なんかじゃなくなったんだ」




【一階外来診察室前】


「だれか二人、鈴村先生の後を追ってくれないか。勿論、武装は怠らないでね」


辺りを見回している、四人の年上の部下にそう告げる。


「ここの危険区域は地下のはず。なぜ、そんなことを言う?」


「君は鈴村先生の話を聞いていなかったのかい?」


軽く嘆息。

この自警団に所属する奴らといったら、本当に呆れるね。大概、心が壊れているから目的のもの以外には興味を示さなくなっているから、ろくに人の話を聞かない。

僕も人のことは言えないけど。


「まだ幼い子供が、この闇に呑まれて無事なわけないだろう。…といっても、たいした脅威にもならないだろうから、残りの二人はこっちで待機ね。大仕事が残っているんだから、あまり消耗したくない」


いくらかのやり取りを交わした後、二人が離れていく。

四人はあまりにも没個性的で、だれがだれだか分からない。同じ黒の防弾ジャケットや制服・・・けれども、ひとたび戦闘ともなれば能力で差が出る。この自警団の上下関係は純粋に力で決まり、僕はこの界隈ではトップの狩り率を誇っていた。能力こそ全てで、個性となる。


裡に秘めるは、絶望の光。

巻き起こすは、殺戮の嵐。


あぁ、母様。今日も貴女を弔うことが出来ます。

・・・母様のいない世界なんて、何もないほうがいい。


自然と笑みが零れた。




【一階総合待合室】


信じられない思いだった。

未来をこんなところに置き去りにして逃げるだなんて!


「拓斗兄さん、何を言ってるの!そんなこと出来るわけないじゃないっ」


未来を大切に思っているのは、兄さんだって同じだと思っていたのに。でも、兄さんは首を横に振る。


「もう、自警団の奴らがこのすぐ近くまで来ているんだ。庇うと俺らまで殺られる。未来はそれを一番望まないはずだ…」


「そんなきれいごと…!」


怒り、不安、悲しみ…。

いろんな感情がスープのように混ざり合い、だんだん訳が分かんなくなる。


「…そこの一般人、今すぐそこを退け。流れ弾が当たったときの命の保障はしない」


唐突に加わった第三者の声。

暗闇から現れる黒衣の死神。

…自警団の狩人。

拓斗兄さんの顔は青ざめ、呻き声を漏らす。


「瑞希……」


拓斗兄さんに腕を引っ張られ未来から離れるのと、未来が起き上がるのは、ほぼ同時。

きれいな金の瞳は暗い中でもよく目立ち、見るものに畏怖を与える。


彼女は私たちには目もくれず、一直線に狩人との間合いを詰めるべく駆け出した。止めようにも、身体の硬直は取れない。


凄まじい、それこそ人間離れしたスピードで肉薄する少女。

呼応するように轟く銃声、続けざまに三発。決して威嚇射撃ではない。


「やめ……!」


出したはずの叫びも遮られる。

肩から鮮血を滴らせてもなお、勢いを緩めない未来が腕を振り上げ、狩人を捉える。

黒曜石のように鋭利に研がれた、腕が。


「…アァァァァァァッッ!!」


幼い少女のものとは思えない咆哮。続けてぼとりと何かが落ちる音と、男の悲鳴。

これらのことが瞬時に起きた。

あまりにも非現実的すぎて、頭の中が真っ白になる。


口の中に広がる、命の味。


むせ返る死臭。


そして、咳とともに抑えきれずに吐き出された大量の血。


体が傾き、そのまま倒れる。

やけに遠くから聞こえる拓斗兄さんの声、銃声、断末魔。

ぷっつりと意識が闇に落ちた。




【一階総合待合室出入口】


どうやら最後の一発で仕留めることが出来たみたいだった。異形は醜い叫び声を木霊させて、どさりと倒れた。


「それにしても、戦力が一人減るのは痛いねぇ」


僕たちは暗視ゴーグルのおかげで、一部始終を見ることだ出来た。

一人が囮になって、あの小さな身体で腕を落とすだけの重たい一撃を放った直後の化け物の背後からもう一人が心臓を狙ったんだ。いくら《甲化》して身体能力を上げたからって、渾身の一撃を放った後だと動きが緩慢になる。


これは見方を犠牲にする上で成り立つ戦法だけど、薄い氷ほどしかない信用なんて、所詮こんなものでしかない。

だけど、これから大掛かりな掃討をするって事くらいは、頭の片隅に置いておいてほしかったけどね。


「二人とも、一応武装をしておいてよ。もしかしたら、あのお姉さんも《甲化》するかも知れないからさ」


「了解」


これは、ただの僕の勘。

あの、明らかに白っぽい血の色。それからこんな濃い《星屑》を吸い込んでなお、再生がほとんど行なわれない体質。

敵に回すと厄介かもしれない。




【一階総合待合室】


未来が殺された。

瑞希まで倒れた。


「くそっ……!」


何もかも俺が動く前に進んでいってしまう。


目の前には荒い息で苦しむ、瑞希。おそらく肺がやられたんだろう。大量の血を吐き、顔を真っ青にしている。明らかな酸素不足。

もっと早く何かしらの処置をしておくべきだったのだ。こうなる前に。

俺らが何も食べないで生きてこれたのは、体内の《星屑》が物質を循環させつつ再生していたためだ。しかし、瑞希のように血を吐き出す行為は命を外に出すのと同義だったのだ。


なぜ俺は何もしなかったのだろう。


いや、何も出来なかったのだ。

医療など根本から覆されてしまった現在、本格的な治療、投薬などは全く出来なかった。救急処置をしたところで何の意味もない。

所詮、医者など役に立たなかったのだ。

時は無常にも過ぎる。彼女を救うため、今、出来ることは…。


ひとつだけあった。他人の血を取り込み、体内の循環物を増やすこと。

最初からひとつだけと決まっていた。でも、そう簡単に出来ることでもなかったのだ。人の命を呑むことになるのだから。きっと彼女はそんなことは望まないだろう。


「狂っているな、俺も…」


自覚したところで止められる衝動でもなかった。


ただ、俺は瑞希を救いたい。


うずくまる瑞希から離れ、先ほどまで戦闘を繰り広げていた男たちの下へと歩み寄る。腕をなくしのた打ち回る男と、興味を持たず傍観を決め込む男。


「なにか?」


「少し血液を分けてほしいと思ってな。重症の患者がいるんだ」


なるべく感情が表にでないように声のトーンを下げる。男は特に何も思わなかったのか、床を這う仲間を指差す。


「奴でよかったら。どうせ、もう使い物にならん」


仲間をこうも簡単に売るのに大いに驚いたが、そんなこと、些細なことでしかなかった。

人を助けるために必死に勉強してきた俺が人を殺めるとはな。

自嘲すると、俺は男に向き直った。




【一階総合待合室出入口】


今に始まったことじゃないけど、人という生き物は醜いねぇ。


血液の半分は失っている瀕死の部下から血を奪う医者を見ていると本当にそう思う。

まあ、部下っていっても大して能力の高いやつでもなかったし、そもそもあんな怪我じゃ、はっきり言ってお荷物。思い入れももちろんなし。処分してくれて良かったといえばよかったんだけどね。

このご時世、ろくな医療も出来ないんだから。


「さて、そろそろかな」


僕の考えから行くと、あのお姉さんは目が醒めてすぐに発狂する。その後に待つのは《甲化》。何せあんなに大事に思っていた女の子を、目の前で殺されたんだから。

真っ赤な鮮血が頬を伝う。




【一階総合待合室】


ここはどこ?私はいったい何をして…?

ひんやりとした床に、鼻につく生臭い匂い。

あぁ、そうだ。未来がいなくなって、せっかく見つけたのに、もう…。

フラッシュバックする記憶。金の瞳の未来が狩人と…。


「……っ!」


目を見開いて、体を起こす。


「瑞希、大丈夫か!?」

驚いた表情の拓斗兄さんが目に入った。なぜか血まみれで、顔にまで赤黒い痕をつけている。


・・・そんなこと、どうでもいい。


ふらつく体に鞭打ち、立ち上がると辺りを見回す。


・・・いた。


何事もなかったかのように足元にいる男を見ている狩人。一人は既に絶命しているようだった。

怒りに全てを任せて身体を動かしていく。身体の細胞の一つ一つに力が漲り、何でもできるような錯覚と高揚感が満ちる。病気になってから一度もなかったことだ。

後ろから、兄さんの制止する声。

狩人が問いかける声。


もう、何も聞こえないし、何も見えない。


「私は、絶対あなたたちを赦さない…」


世界がどんどん明るくなっていくのがわかる。今になっても武器を構えず怪訝そうな顔をする狩人を嘲笑うと腕を持ち上げた。


「いったいなにを…」


「あなたにも、未来と同じ痛みを与えてあげる」


足元の《星屑》が渦を巻く。それで異変に気づいたみたいだけど、もう遅い。

この空間の床に無尽蔵に存在する《星屑》が指先の空気中に無数の粒となって《甲化》、そして固定。

あたかも、打ち抜かれた直後の弾丸が静止しているよう。


「貫け」


声とともに、耳障りな音。どさりと狩人はくずおれる。血の海を作って。

全てが終わって、とびっきりの笑顔を作って後ろを振り返った。硬直した拓斗兄さんに浮かぶのは驚きと、未知への恐怖か。


「……君は…」


言葉が続かない兄さんに顎で向こうをさす。拓斗兄さんには見えないだろうが、狩人がまだ三人残っている。

《甲化》した人間を奴らは絶対に逃さない。きっと私も狩られるんだろうな、と漠然と思った。


「兄さんはここにとって、すごく必要な人だよ。私はもう後戻りは出来ないけど・・・貴方は私がいなくても大丈夫?」


勤めて明るい声音でそうたずねるのと後ろからの銃声で肩を抉られたのは、ほとんど一緒だった。




【一階総合待合室出入口】


「これは…」


僕は我が目を疑ったね。まさか、《星屑》に勝って《甲化》を使いこなした上に、外界結晶までやってのけてしまうとは。

背後から膨れ上がる殺気。どうやら二人は殺る気満々のようだ。


「……先に行く。後方支援を頼んだ」


どちらかがそう一方的に告げると、拳銃のセーフティを早々に外した二人が先行する。

幾度か見たことがあるが、稀有な事例には変わりない。滅多に《星屑》に抵抗できる人間はいないから。知能も力も持ち合わせるために、ただの《甲化》人間の比じゃない戦闘能力を持ち合わせる。

お姉さんは、鈴村先生が絶対に射程に入らない場所に立っていた。薄く渦巻く《星屑》の内側に立つ姿は、まるで幽鬼みたいだけど、あれは……。


「あのときの母様みたいだ……」


あの姿は、封印していた記憶を容赦なく抉り出していく。


あの日、《甲化》の能力を使って僕を護ってくれていた母様は、後ろから仲間だと思っていた人間に討たれた。彼女らの本当の敵は、強大な力を得たことに恐怖し、嫉妬の念を抱き、排斥しようとする人間なんだ。


僕は、一体どうすればいいんだろう?





【一階総合待合室】


肩に傷を負っても、瑞希は顔色一つ変えなかった。《星屑》が血を吸い上げているのか、出血も程なく止まる。

彼女は完全に《星屑》を制御していた。現に次々に襲い繰る銃弾から、真っ黒なシェルターを作って防御を続けている。

黒の瞳は異様なまでに開いていたが、ほかに目立った《甲化》の現象は、ない。それに、ひどく落ち着いていて理性を保っていた。


「兄さんはどこかに隠れてて…危ないから。彼らの狙いは私だから、ね」


彼女は微笑すると身を翻して俺から離れていく。どうやら、俺は足手まといのようだ。…当たり前だが。


「…頼む、死なないでくれ」


「……努力するよ」


霧のような《星屑》に包まれた瑞希から離れて、カウンターの陰に身を隠す。といっても彼女から目を離すわけにも行かなかった。

銃撃は収まっていた。あちらも銃弾に制限があるから、そう簡単に無駄には出来ないようだ。その点、《星屑》ならばいくらでもある、瑞希のほうが有利か。

黒い嵐が晴れ、瑞希の背後に巨大な羽が顕れる。幾重にも重なった、蟲の羽。

様子を伺っている狩人に、彼女は声を張り上げて問う。


「私は、危害を与えない人を傷つけないと約束する!あなたたちの意思を示して!」


これが、瑞希の優しさであり、心の甘さ。奴らの答えなど、決まりきっているというのに。


「笑わせるな。貴様に殺す理由はなくとも、我らにはある!」


見え透いた返事とともに発砲。しかし、彼女の羽のガードは固く、決して届かない。低い振動音が室内に響き、風で《星屑》が舞い上がる。


「羽が……!」


瑞希は床をけり、体を中に浮かべて天井ぎりぎりまで羽ばたいた。追撃は全てかわす。

真っ黒な《星屑》の羽で、人が宙を舞う。ありえない光景に、ありえない身近な人物。陳腐な表現だが、今の瑞希は黒い羽を獲た妖精のようだ。

《星屑》に徐々に視界が遮られていく。目も、口も開いていられない。

そこに朗々と響く、妖精の囁き声。


「私には、もう幸せは手に入らない…きっと、これからも。だけど、誰かを護ることは出来るはず…このチカラを使って!」


最後に叫び終えるや否や、雹が落ちていくような騒音があたりを包み込む。

直感が、動くなと訴えた。





【一階総合待合室天井付近】


心地よい、羽の伝える振動に身をまかせて空に躍る。

人影が見えなくなる。黒い雲に遮られて。

体の周りに出したビー玉大の黒い結晶が下へと降り注ぐ。さながら、地球に降り注いだ隕石のように。

鼓膜を叩く音で全ての音という音を掻き消し、塗り潰していき、終わったころには静寂だけが存在していた。カウンターの下にいた拓斗兄さん以外は、もう息絶えただろう。

…いいや、まだいる。

ぱちぱちと渇いた拍手。入口にいた少年だろう。あっちには意識的に降らせなかったんだ。無抵抗な人は、殺せない。


「君はいったい…?」


また、《星屑》が床に沈殿し始める。晴れる視界には地にひれ伏す二つの影、カウンターの下から這い出した兄さん、そして、未来より少し年上ぐらいの少年。


「お姉さん、こんにちは。いや、もうこんばんは、かな。僕の名前は星崎遥。ただの狩人だよ。・・・お姉さんの名前は?」


笑みを浮かべて尋ねてくる遥君に私は違和感を覚えた。さっきまで、《星屑》の嵐の中にいたというのに、まったく埃を被っていない。カウンターの下にいた兄さんさえ、あんなに《星屑》を叩き落としているというのに。


「…私は瑞希」


「へえ、瑞希お姉さんって言うんだ」


私のすぐ近くまで来ながらそう答える。怪しい動きはなく、武器らしい武器も持っていない。

だけど、今までの中で一番圧力を感じる。身体の中の《星屑》も訴えている、同じことを。


「じゃあ、少し痛い目にあってもらおうかな。貴女の存在は、危険すぎる」


皮の手袋をした、まだ小さな手を掲げ、こちらを見つめてくる。

手の周りに靄がかかったのに気付いたころには、身体に変調が現れ始めていた。羽の振動が大きくなり、多くの《星屑》が制御を抜け出して離れていく。

ここは空中。羽が少なくなれば、間違いなく堕ちて、この身体でも怪我は免れない。骨に直接入った傷は治りにくいから。

それでも、薄くなり始める羽で少年との距離を離していかなければならない。ここに降り立てば、あちらの思うつぼ。

さっきはあんなに簡単に集められた《星屑》を思うように集めなおせない。あの少年…遥君が集めているのは明白。

だけど、私と彼は同じはずなのに、なんで敵意を向けるのかがわからない。そもそも、これが敵意なのかも、あの表情からは読み取れない。


床に降り立つと、じりじりとあとずさる。まったく気を抜けない。

遥君は、いっそう笑みを深くした。


「それで逃げたつもり?そこはまだ、僕の影響下におけるよ?」


笑うと彼は集めた《星屑》を纏わせた腕を振るう。身長ほどに伸ばした《甲化》された腕が顕われたのと対照的に、私の羽…直接支配していた《星屑》すっかりなくなっていた。

これじゃあ、最低限の防御しか出来ない…!


「初めてなのに外界結晶を出来るのは凄いと思ったけど、支配力はいまいちだね。…さて、そろそろ終わりにしようか」


確実に迫り来る死の恐怖に駆られて反射的に、防御に残っていたものを結晶化し、打ち出す。

しかし、最後の希望も一気に距離を縮める少年の腕に取り込まれると、姿を消した。

やけにゆっくりと見える、真っ黒な腕が振るわれる瞬間。鋭い痛みを腹部に受けて、身体ごと、意識も吹っ飛んだ。




【一階総合待合室】


腕にお姉さんの重みを感じつつも、しっかり狙いは狂わせなかった。必死の形相でかけてくる、鈴村先生が十分受け止められるような方向に、思いのほか軽いお姉さんの身体を投げ飛ばす。

結局、僕はお姉さんを殺すことは出来なかった。…あまりにも母様の面影と重なっちゃたから。

鈴村先生は僕の期待にしっかり応えて、お姉さんを抱きとめた。


「なるべく手加減はしておいたつもりだよ。少し気を失っているだけだから、安心して」


《星屑》の支配をといてそう告げると、鈴村先生は困惑した表情を浮かべ、尋ねてくる。


「なんで、瑞希を助けた?お前は…」


「《甲化》した人間を憎んでるって?うん、確かにそうだよ。だけど、僕もこういう身体だから、可哀そうになっちゃってね」


当たってそうでまったく違う理由を口にするだって、本当の理由はあんまりじゃないか、さすがに。

だけど、一応納得したのか鈴村先生は何にも言ってこなかった。

そうだ、ちゃんと瑞希お姉さんになんであんなことをしたのかは説明しないとね、これから危ない目に遭わないように。


「この身体、あまり誰からもいい目で見られないんだよ。人間にも、《甲化》した奴らにも。だから、あまり目立ったことはしてほしくないんだよね。…ほら、さっき瑞希お姉さんこの力を使って誰かを護るっていってたでしょ?」


そういうと、自分の革の手袋で覆われた手を見る。お母様を亡くしたときに一緒に失った、肱から下を。

この力は人間や《甲化》した生き物に対しては大変有効な武器だけど、同じ能力を持った相手と戦わなければならないときは博打的な要素をはらむ。今回だって、僕よりもお姉さんのほうが支配力が強かったらどうなっていたことか。


「お姉さんが弔いの戦いに身を置かないことを心から祈っているよ。…そうそう、僕が《甲化》を制御出来てるってことは、くれぐれも自警団には内密にしてくれないかな。身の置き場がないといろいろ大変だし、ね」


にっこり笑うと鈴村先生に背を向けて歩き出した。もうやることはやったし、なんか疲れた。精神的に。

それに、これ以上ここにいると瑞希お姉さんに心残りが出来そうで。


「わかった、秘密にする」


「ありがとう。それじゃあ、瑞希お姉さんに、どうかよろしく」


もうこの後、この人達に縁がないことを祈りながら、病院から立ち去った。




【一階階段前】


変わった狩人の少年が立ち去った後、気を失ったままの瑞希を負ぶって階段の前まで戻ってきていた。

ここを昇れば、日常に戻れる…ただし、未来のいない。


「……ん…」


背中から、小さな呻き声と身じろぎ。どうやらうちの姫君が起きたみたいだ。


「瑞希、大丈夫か?」


「兄さん…?私はどうして……?」


「痛むところは?」


「…特にない」


「そうか」


本当に手加減はしていてくれたようだった。背後では、瑞希が何でこういう風になっているのか頭を悩ましているようだ。記憶のない部分のところは、かいつまんで説明しなければならないみたいだ。


「あの狩人の子供・・・遥だったか?あいつも君と同じように《星屑》を扱えることは分かてるな?」


「うん」


「遥が、あまり力は使わないようにしてほしいってさ。君だって誰かが傷つくのも、自分が傷つくのは嫌だろ?」


「…うん。そっか、あの子、助けてくれたんだ」


こっちからは顔が見えないが、たぶん安堵しているんだと思う。遥が、殺意を持っていなかったことに対して。


「…兄さんにも心配かけちゃったね。ごめんなさい」


「ごめんで済むか。まったく、君は」


「あはは、そう…だよね」


口を尖らせていったことに対しての彼女の反応は薄い。まだ気に病んでいるんだろう。未来のことについて。

でも、死者は生き返らない。瑞希はそのことを、現実を受け入れなければならないのだが。


「…私は、立ち止まっちゃいけないんだよね。本当は」


「そうだ、上のみんなだっているんだから。俺らが暗い顔をしていたら、子供たちが心配する」


「大人って大変だよね」


「なら、まだ子供でいるかい?」


「私だって、もう大人だもん。子ども扱いしないでくれる?」


はじめて、瑞希が笑った。

 一段一段階段を上がっていく。


「そういえば、さっき君は自分がいなくても大丈夫かって聞いたよな?」


「そうだね」


ずっと問われていてから考えていた、答え。


「…瑞希がいなくなって大丈夫なはずがないだろうが。せっかく出来た妹分がいなくなるなんて」


最後のは、言ってた自分で恥ずかしくなった。それが本当なのかは、自分でもわからない。

本当に、彼女が後ろにいてよかった・・・、なんていったって、今、顔が真っ赤になっているのがわかる。


「ありがとう、拓斗兄さん。そう言ってくれて嬉しいよ」

 

今までと変わらない日常に戻るのは、確かに困難かもしれない。だけど、時間は止まってくれないし、いつまでも後ろを向いてもいられない。

だんだんと二階の扉が見えてくる。そこから漏れてくる、一条の光。

その光が、俺らの道を照らしてくれる希望の光でありますよう…。

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