第2話 無音の朝
翌朝。
春の空はやけに澄んでいて、昨日の事件がまるで幻のように思えた。
だがユウマは、早朝の校門をくぐると同時にまっすぐ音楽室へ向かっていた。
登校時間より三十分早い。廊下にはまだ誰もいない。
「……やっぱりな」
鍵のかかった音楽室のドアを前に、ユウマは小さく呟いた。
昨日の焦げ跡は薄く残っている。
そのすぐ脇――壁際には、小さな白いコードの切れ端が落ちていた。
「スピーカーの配線……」
ドアの向こうで自動演奏ピアノのモーターが動く音が微かに響いた。
だが音は出ない。
まるで、演奏そのものが“消されている”かのように。
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昼休み。
ミナトがパンをくわえたまま、ユウマの机にやってきた。
「なあユウマ、あのピアノの件だけどさ、音楽部が今大騒ぎだぞ」
「そうだろうな」
「部長のリオ、責任感じて泣いてた。
“自分が何かしたんじゃないか”って……。
でも、先生が“機械の不具合だ”って言ってくれて、少し落ち着いたみたいだ」
ユウマはペンを止め、静かに顔を上げる。
「“不具合”ね。……本当にそうだと思うか?」
「え?」
「もし機械の故障なら、床に焦げ跡なんて残らない。
しかも窓が曇るほどの熱。
これは“外的な電波干渉”だ」
ミナトは口の中のパンを飲み込みながら、困った顔をした。
「でたよ、また難しい単語。要するにどういうこと?」
「つまり――“音を出させない何か”があったんだ。
誰かが意図的に、電波を遮断した」
その言葉に、ミナトは眉をひそめた。
「でも、そんなのどうやって?」
ユウマは、机の上の携帯電話を指で叩いた。
パチ、と静かな音。
「Bluetoothだよ。自動演奏ピアノの音は、外部スピーカーに飛ばしてる。
つまり、通信を妨害すれば――ピアノは動いても音は出ない」
「……あっ!」
ミナトが目を見開く。
「でもそんなこと、どうやって起こすんだよ!」
「簡単さ。強い電子レンジの近くで同じ周波数を使えばいい。
特に古いタイプのレンジなら、ノイズが発生する」
「……ってことは、誰かがあの時間帯に電子レンジを動かしてた?」
ユウマは小さく頷いた。
「朝七時。購買部の開店準備時間と重なる」
ミナトが頭をかいた。
「でも、購買の電子レンジって音楽室から離れてるぞ? 二階と一階だし」
「そう。だから“普通なら届かない”。
けど――誰かが音楽室の近くでレンジを使ったとしたら?」
「え、それって……」
「音楽部の部室。すぐ隣だ」
ユウマの声に、ミナトの表情が固まった。
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放課後。
音楽部の部室を訪れると、リオと副部長の佐久間シンジが待っていた。
机の上には、コンセントと延長コード。
その先には――小型電子レンジ。
「……先生に頼まれて持ってきたんです。部員のお弁当を温めるために」
シンジが少し困ったように言った。
「昨日も使ってた?」とユウマ。
「はい。七時頃、僕がスイッチを……あれ?」
シンジの声が途切れる。
リオがその横で固まっていた。
目を伏せ、唇を噛み締めている。
「……リオ?」
「……ごめんなさい。私がお願いしたの」
リオの声は震えていた。
「七時ちょうどに温めてほしいって。私、その時間に職員室へ行かなきゃいけなくて……」
ユウマはその言葉に反応しなかった。
ただ、静かにピアノの方へと視線を向けた。
「――やっぱり、音を止めたのは“偶然”じゃないな」
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その夜。
屋上で風に吹かれながら、ユウマは小さく呟いた。
「音が消えた朝。
それは“奨学金の申請書”が書き換えられた朝でもある。
……偶然にしては、できすぎている」
ミナトが隣で息をのんだ。
「まさか、リオが……?」
「まだ確証はない」
ユウマの瞳が、夕闇に光る。
「でも一つだけ確かなことがある。
音を止めたのは、心を隠すためだ。」
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つづく
次回 第3話「真実は静寂の中に」
――“音を止めた者”が隠したかったのは、旋律ではなく、想いだった。




