第3話 風が運んだ真実
翌朝。
校庭の隅、花壇の脇で、用務員の佐藤さんが何かを拾い上げていた。
「おや、これ……文芸部の封筒じゃないか?」
その声が校内放送よりも早く、部室に届いた。
ミナトが飛び込んできて叫ぶ。
「ユウマ! 見つかったぞ、あの手紙!」
ユウマは静かに頷き、窓の外を見た。
昨日の風が嘘みたいに穏やかで、カーテンがやさしく揺れている。
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放課後、文芸部室に再び全員が集まった。
机の上に置かれた封筒は、少し折れて、角が湿っていた。
しかし、中の原稿は無事だった。
「本当に……風で飛ばされたんですね」
アヤが手を合わせるようにして呟いた。
桐谷先生は静かに頷き、微笑んだ。
「この封筒が見つかったのも、偶然じゃない気がするな」
その表情は、怒りでも悲しみでもなく、どこか優しかった。
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「先生、聞いてください。
本当は、あの推薦、断りたかったんです」
アヤが絞り出すように言う。
「理由はわかっているよ」
桐谷先生は目を細める。
「親御さんの転勤で、遠い町に行くんだったね」
「はい……でも、離れたくなかったんです。
この学校も、この部も、先生も……。
だから、風にお願いしました。
“手紙がどこかへ行きますように”って」
静寂。
その中で、ユウマだけが小さく笑った。
「“密室の封筒消失事件”――犯人は、風でしたね」
「え?」とミナトが首を傾げる。
「犯人って、結局アヤじゃないのか?」
「違うよ。アヤさんは“きっかけ”を作っただけ。
本当に封筒を外に出したのは、風と熱。
ポットの蒸気が気流を作り、軽くなった封筒を窓の外へ運んだ」
アヤが目を見開いた。
「でも……そんな偶然、あるんですか?」
「偶然のようで、必然だったんだ」
ユウマは机の上の紅茶ポットを見つめながら続けた。
「昨日、風向きは西から。窓の向きも西。
日差しで封筒が少し温められて、軽く浮き上がった。
そして、カーテンの隙間から吹き抜けた風が、それを吸い出した」
ミナトが感心したように頷く。
「つまり、“封筒が自分で出た”って、そういうことか」
ユウマは軽く笑った。
「“誰がやったか”より、“なぜそうなったか”を考える方が、この事件では大事だったんです」
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桐谷先生が、ふと窓の外に視線を向けた。
沈みかけた夕陽が、校庭を金色に染めている。
「……アヤ」
「はい」
「推薦の件は、もう一度考えてみないか?」
先生は優しく言った。
「たとえ遠くへ行っても、君が書く物語はここに残る。
それが“風に運ばれる”ということなんだろう」
アヤの目に、光が宿った。
「……はい。書きます。遠くに行っても、ここで学んだことを」
その瞬間、またカーテンが揺れた。
まるで風が「よくやった」と言っているようだった。
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帰り道。
校門を出たところで、ミナトがぽつりと呟いた。
「なぁ、ユウマ。
お前、最初からアヤが犯人だって気づいてたのか?」
「うん。封筒の折り方が違ってた」
「折り方?」
「彼女のノートと同じ“角折り”。
人は無意識の癖を隠せないんだよ」
ミナトは苦笑する。
「まったく……お前の観察力、怖ぇな」
ユウマは首を振り、夕陽に目を細めた。
「でも、今回は“犯人を責める”事件じゃなかった。
風が手紙を運んで、気持ちを伝えただけ。
――だから、俺はただの“灰色探偵”でいい」
その言葉に、ミナトは笑う。
「お前らしいな。白でも黒でもなく、灰色の正義ってやつか」
風がまた吹く。
二人の影が、ゆっくりと並んで伸びていった。
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■この事件のトリック要素
•自然現象トリック:
ポットの蒸気と風の流れによって封筒が外に吸い出される。
→ 密室に見えるが、実際は「風の道(エアカーテン効果)」が存在。
•読者に出ていた伏線:
窓際の机・短いコード・焦げ跡・カーテンの隙間・風向きの描写。
•感情のテーマ:
“盗まれた手紙”ではなく、“想いが運ばれた手紙”。
失われたのではなく、届けられたという優しい結末。




