第7事件「理科準備室の幽霊実験」第1話「放課後のガラス音」
放課後の校舎は、いつもより静かだった。
廊下の蛍光灯が一列ずつ消え、風の通り道には誰もいないはずなのに、微かな音が響く。
「ユウマくん……ちょっと来てください。理科準備室で……」
声の主は理科部員の佐倉ユナ。
息を切らし、手には震えるメモを握っていた。
その手元に、俺――灰色探偵こと天城ユウマの注意は自然と向かう。
「何があった?」
「昨日から……実験台のビーカーやフラスコが、勝手に落ちるんです。誰も触っていないのに……」
放課後の静けさに混ざるその言葉は、怪奇譚の導入にふさわしい。
だが俺は、背筋に寒気が走るような怖さではなく、好奇心を覚えていた。
「じゃあ、現場を見せてくれ」
俺の言葉に、ユナは小さく頷き、俺たちは理科準備室の扉を開けた。
中は薄暗く、棚には試薬瓶とビーカーが並ぶ。
空気は微かに薬品の匂いが漂っていた。
床には粉のような残骸が散らばる。
「……確かに、何かが落ちた跡がありますね」
俺は慎重に近づき、実験台の角や棚の下を観察する。
そのとき――カラン、と音がした。
何の前触れもなく、実験台の上のフラスコが床に落ち、見事に割れた。
「うわっ!」
ユナが後ろに飛びのく。
だが、部屋に人影はない。扉も俺たち以外には開けていないはずだ。
「人がやったとは思えないな……」
俺はフラスコの破片を指で撫で、角度を確認する。
粉の散り方、落下点、そして棚の微妙な傾き。
わずかな違和感を感じた。
「ねえ、ユウマくん……本当に幽霊なの……?」
ユナの声は震えていた。
俺は少し笑った。
「幽霊かどうかは分からない。でも、現象には必ず理由がある」
俺は天井と壁、棚の下、換気口まで視線を巡らせる。
観察するだけで、物理的に可能な“仕掛け”が頭に浮かんでくる。
「まずは部屋の構造を把握しよう。棚の配置、実験台の高さ、風の通り道……。
何か見落としているものが必ずある」
ユナは震える手でノートを取り出した。
そこには、昨日の出来事と破損の位置が、簡単な図で記されている。
「ここですね。最初に落ちたのはこのビーカー、次に隣のフラスコ……」
俺は図を眺め、指で線をなぞる。
「順番も規則的だ……意図的に並べて落としている可能性が高い」
ミナトもやってきた。
「ねえユウマ、これ、もしかして誰かの仕業ってこと?」
俺は軽く首を振る。
「誰かがいた痕跡は残らないはずだ。
だが、物理的に操作できる方法はある……糸や磁石、風の圧力。
少し条件が揃えば、“幽霊現象”は誰でも作れる」
その瞬間、またカラン、と音がした。
今度は棚の奥、日光の届かない場所からフラスコが落ちた。
俺は静かに目を細める。
床に残った粉、影の方向、そして換気口の位置。
――風によるトリックの匂いがする。
「なるほど……。幽霊騒ぎは物理現象の可能性が高い」
ミナトが小声で言う。
「でも、誰がそんな仕掛けを……?」
俺は薄暗い室内を見渡し、最後にこう呟いた。
「真相を知るには、まず現象を再現する必要がある。
理科の実験と同じだ——法則が分かれば、幽霊なんて怖くない」
風が窓を通り抜け、棚の隅に舞ったチョークの粉のように、微かな音が耳に残る。
放課後の理科準備室は、まだ沈黙のまま、次の瞬間を待っている。




