第3話「沈黙の真実」
放課後の屋上は、いつもより静かだった。
昨日まで壁に書かれていたチョークの暗号は、すべて消されている。
だが、白い粉の跡がうっすらと残っていた。
――まるで、“伝言の残響”のように。
「本当に消しちゃって、よかったのか?」
ミナトの問いに、リオは静かに頷いた。
「ええ。先輩も、きっと“これで終わりでいい”って言うと思うから」
リオの腕には、あのノートが抱かれている。
古びた革の表紙には、篠原カイの筆跡が並んでいた。
日記の中には、こう書かれていたという。
“俺は未来に、言葉を残す。
伝えられなかった想いを、誰かが見つけてくれることを願って。”
彼の言葉は、確かに未来に届いた。
だが――そこには、もう一つの謎が残っていた。
「ユウマ。結局、あの暗号を書き足してたのは誰だったの?」
ミナトの問いに、俺は屋上の隅を見やった。
風が吹く。チョークの粉が、そこから舞い上がった。
まるで誰かがいた痕跡のように。
「……昨日、屋上の鍵が開けられた時間。記録を調べた。
風紀委員のマスターキーを使った形跡があった。使用者――篠宮先生。」
「数学の篠宮先生!? まさか、先生が?」
俺は頷く。
「彼は以前、篠原カイの指導教官だった。
生徒会活動を支え、暗号研究も一緒にしていた。
“∠12-3-9”や“△=希望”という符号の癖――それは篠宮先生の手法そのものだ」
リオが小さく息を呑む。
「……先生が、先輩の代わりに?」
「そう。
先生は、君に“もう一度あの想いを思い出してほしかった”んだ。
篠原が遺したメッセージを、君が受け取れるように。
だから、あえてチョークで“屋上に”――彼が一番好きだった場所に、暗号を残した。」
リオは黙って空を見上げた。
淡い光の残る夕暮れ。雲の隙間から一筋の光が差し込む。
その光が、壁の跡を優しく照らしていた。
「先生が、そんなことを……」
「篠宮は今日、職員室で俺に言った。
“伝わらなかった言葉は、やがて数式になる。
でも、解いてくれる誰かがいるなら、それは生き続ける”って。」
リオの頬を、風が撫でた。
涙が光の粒のようにきらめく。
「……ありがとう、ユウマくん。
もしあなたが気づかなかったら、私は――ずっと気づけなかったかもしれない」
「俺はただ、式を解いただけだよ。
でも、“答え”を見つけたのは君自身だ。」
リオは微笑んだ。
その笑顔は、昨日よりもずっと柔らかかった。
ミナトがぽつりと言う。
「ユウマ、なんかこの事件、いつもより“やさしい結末”だね。」
「そうだな。
暗号は、誰かを追い詰めるためじゃなく――
“誰かの想いを残すため”にも使われる。」
俺は屋上のフェンス越しに空を見た。
沈みかけた太陽が、校舎の影を長く伸ばしている。
その影は、まるで∞(無限)の形を描いていた。
「……“∞”。
やっぱりこの事件の最後の記号は、“終わりではない”という意味だったんだな」
「終わりじゃない……?」
「ああ。
想いは消えない。数式のように、記録され、いつかまた誰かに届く。
それが“灰色”の真実だ。」
ミナトが笑う。
「ユウマ、またかっこいいこと言ったね。」
「別に。
ただ、夕焼けを見たら少し感傷的になっただけだ。」
リオは静かにノートを抱きしめ、最後にこう呟いた。
「先輩……あなたの“∞”、ちゃんと受け取りました。」
その瞬間、屋上を通り抜けた風が、まるで拍手のように鳴り響いた。
――事件は終わった。
けれど、残された想いは、まだ風の中に生きている。
⸻
エピソードテーマまとめ:
•トリック: 数学記号×太陽の影を使った「時限式暗号」
•犯人: 数学教師・篠宮先生(真犯人ではなく“伝達者”)
•真実: 亡き先輩が残した言葉を、リオに伝えるためのメッセージ
•テーマ: 「想いは、沈黙しても消えない」
⸻




