第2話「暗号の残響」
翌日の放課後、俺――天城ユウマは再び屋上に立っていた。
昨日と同じ風。だが、壁の様子は少し違っていた。
「……やっぱり、増えてるな」
白いチョークの線は、昨日よりも複雑に伸びていた。
新たな記号がいくつも書き足されている。
∠12-3-9 : T→E
△=希望
4|7|11|13|∞
Wの影が指す先に立て
“光の消える瞬間、思い出せ”
「昨日のままじゃないんだ……誰かが夜にまた来て、書いたんだね」
ミナトが言った。
屋上の鍵は風紀委員が管理している。
普通の生徒が入るのは難しい。つまり――内部の人間の仕業だ。
「監視カメラは?」
「先生が確認してたけど、夜の映像が途中で止まってるらしい。ノイズが入ってて」
「偶然にしては、都合が良すぎるな」
俺は壁の前に立ち、チョークの筆跡を観察した。
線の濃淡、角度、書き出しの位置。昨日とまったく同じ癖――同一人物だ。
だが気になるのは、“∠12-3-9”の部分。
昨日はただの角度指定のように見えたが、
この数字の並びが、“日付”でもあり“時刻”でもあるとしたら?
「12月3日9時……いや、違うな」
俺は指で空をなぞる。
「昨日、12-3-9の角度で太陽が体育館の屋根を照らしてた。
つまり、影が“W”の先を指す時間が3時9分だったんだ」
「じゃあ、今日もその時間を狙って書き足したってこと?」
「ああ。しかも、“光の消える瞬間”――つまり日没前のわずかな時間。
太陽が沈む角度を利用してる。影の向きが暗号の“解答キー”だ」
そのとき、屋上の扉が開いた。
現れたのは、昨日の彼女――風紀委員長、城ヶ崎リオ。
「……また来ていたんですか、天城くん」
「気になるものでね。校則違反の落書き、犯人は見つかった?」
「……まだ。でも、もし私が見つけたとしても、消す前にあなたに見せます」
「ほう、協力的だな」
リオは無言で壁を見つめた。
そして、チョークの粉を指先でそっとなぞる。
「……この文字、どこかで見覚えがあるんです」
「やはりな。誰のものだ?」
少しの沈黙のあと、リオは小さく答えた。
「……去年、卒業した先輩のものです。生徒会長の――篠原カイ先輩。彼は亡くなりました。」
ミナトが息を呑む。
「亡くなった……って、まさかこの学校で?」
「いいえ。卒業式の数日後、事故で。
でも……この落書き、先輩がよく使っていた“符号”に似ているんです。
“意味が分かる人にだけ届く”って、そう言ってました」
リオの瞳は、夕日の光を受けて淡く揺れていた。
その表情には、言葉にできない何かが隠されている。
「なるほど。彼の“癖”を再現できる人間がいるとしたら……」
「――私です。」
リオは小さく笑った。
「でも、私じゃないんです。昨日は書いてません。なのに、同じ筆跡で……」
ミナトが首をかしげる。
「つまり、リオさん以外で“篠原先輩の符号”を知ってる人がいる?」
「ええ。でも、そんな人は……もう誰もいないはずなんです」
その瞬間、風が吹いた。
壁に描かれたチョークの線が、砂のように崩れ始める。
夕陽の光が“W”の影を伸ばし、屋上の床をなぞる。
「ユウマ! 影が……!」
「“指す先に立て”――だ」
俺は影の先へ歩み出た。
影の終点には、屋上の古い換気口。その下に、金属の蓋がある。
俺が手をかけると、ギィ……と音を立てて開いた。
中から出てきたのは、古びたノートだった。
表紙には、手書きの文字でこう書かれていた。
> “リオへ。空を見上げる君が、いつかまた笑えますように。”
風が止み、屋上が静まり返る。
リオは手を震わせながら、そのノートを抱きしめた。
「……これ、先輩の日記。私がずっと探してたんです……!」
「暗号は、その場所を示していたんだな」
俺は小さく頷く。
「つまり、誰かが“篠原カイの想い”を蘇らせた。
リオ、おそらくそれを知る人物が――まだこの学校にいる」
リオは涙を拭い、まっすぐ俺を見た。
「……教えてください。私、真実を知りたい」
「いいだろう。残る鍵は――“∞”だ」
俺は壁の最後の記号を指さした。
∞――無限を意味する記号。
しかしこの文脈では、“終わらない線”の象徴。
「つまり、これは“生きている証”だ。
まだ続いているという意味――この暗号は、今も更新され続けている。」
沈む太陽が、最後の一筋の光を落とす。
その瞬間、壁に浮かぶ影が、まるで新しい文字のように形を変えた。
ミナトが叫ぶ。
「ユウマ、壁に! “E”の文字が浮かんでる!」
俺は微笑んだ。
「“E”か。“End”じゃない、“Eternal”。
……つまり、彼の想いは“永遠”に続くということだ。」
夕焼けの中、リオは静かに呟いた。
「先輩……私、やっと見つけました。」
風が吹き、チョークの粉が宙に舞う。
まるで、誰かの手が“ありがとう”と書いているように見えた。
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