第5事件 美術室の絵画盗難 第1話 黄昏の消失
放課後の美術室は、いつもと違う異様な静けさに包まれていた。
夕陽が窓ガラスを橙色に染め、机や画材棚の影が床に細長く伸びている。
空気はわずかに埃っぽく、乾いた絵具の匂いが漂っていた。
美術部部長・早川サトルは、展示用の油絵「黄昏の風景」が入った棚の前で足を止めた。
しかし、いつもならそこに堂々と飾られているはずの絵が――ない。
「……え?」
目を凝らすサトルの指先が、空の額縁をさっと触れた。
確かに、油絵はそこにない。
棚は施錠され、窓もすべて閉まっている。
美術室自体は、放課後の巡回で問題なかったはずだ。
小さなざわめきが胸をかすめる。
まさか……盗難?
そのとき、背後で扉が静かに開いた。
「部長、大丈夫ですか?」
相棒の灰色探偵・ユウマが入ってきた。
柔らかい夕陽に照らされた彼の瞳は、冷静さを失わず、しかし何かを鋭く見据えている。
「ユウマ……絵が、消えたんだ」
サトルは額の空洞を指差す。
ユウマは無言で周囲を見渡す。
机、棚、窓、床――すべてが整然としている。
だが、その整然さこそが、彼の探偵の感覚を刺激した。
「密室だな」
ユウマの声は静かだが、確信に満ちていた。
サトルは首をかしげる。
「密室……? でも扉も窓も施錠されてる。どうやって……?」
ユウマはゆっくりと棚に近づき、指先で埃をなぞった。
「微細な埃の流れ、床の足跡、棚の隙間――見逃すな」
彼は小さな紙片を拾い上げる。そこには鉛筆で数字が書かれていた。
「これは……暗号?」サトルが眉をひそめる。
「いや、暗号ではない。棚の角度を示す指示だ。犯人は計算して動いた」
ユウマは紙片を折りたたみ、ポケットにしまった。
その目は、部屋の隅々まで行き届いている。
サトルは床に散らばった絵具の飛び跡を指差した。
「これ……制作中の跡じゃないよね?」
「おそらくは、古い作品の置き換えや動作の痕跡をごまかすための細工だ」
ユウマは回転棚の側面を軽く押すと、棚が微かに回転した。
隠されていた狭い通路が、一瞬だけ現れる。
「なるほど……この棚を使えば、絵画を外部から侵入させずに移動できる」
ミナトが息を呑む。
「密室のトリックって、ここまで巧妙だったんだ……」
ユウマはさらに棚の奥を覗き込む。
微かに光る小さな鏡の破片を見つけた。
「鏡だ。反射を使えば、絵画がそこにあるように見せかけることも可能だ」
サトルは唇を噛む。
「誰が……こんなことを……」
「内部者だろう」ユウマは静かに言った。
「棚の構造、カメラの死角、微細な痕跡――すべて知っている者しかできない」
そのとき、ドアの方から軽い足音が近づく。
「ユウマくん、もう解決したの?」
副部長の藤井エリカが入ってきた。
その声は自然だが、瞳の奥に微かな動揺がある。
ユウマは彼女を見据えた。
「君も、この密室の秘密を知っているのか?」
エリカはわずかに口を閉ざした。
部屋の空気は張り詰める。
床の埃、棚の隙間、散らばった絵具――
すべてが犯人を指し示していた。
ユウマは静かに棚を回し、隠された通路を示す。
「読者の皆も、ここで気づくだろう――密室の影に潜む、犯人の存在を」
サトルは息を詰め、絵画の行方を想像した。
この「黄昏の風景」は、いったいどこに隠されているのか――
そして、放課後の美術室に、静かな緊張がさらに濃く漂った。
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次回 第2話「色彩の影」
――回転棚、鏡の反射、飛び散る絵具――
巧妙な密室トリックと犯人の心理が明らかになる。




