ラウンド5:我が帝国の「影」と向き合う
(これまでの華やかな雰囲気から一転し、スタジオの照明は暗く、厳粛なものへと変わる。中央のホログラムスクリーンには、黒い背景に、各帝国の象徴的な「影」――飢饉に苦しむ痩せこけた人々、炎上し破壊された都市のシルエット、鎖に繋がれた奴隷や農奴の姿、そして戦場に横たわる無数の兵士――などが、次々とフラッシュバックのように映し出される。BGMもまた、重く、悲痛な旋律を奏で始める。ラウンドタイトル「ラウンド5:我が帝国の「影」と向き合う」が、静かに、しかし重々しく表示される)
あすか:「皆さま、ここまでそれぞれの帝国の輝かしい栄光、そして『最大』たる所以を存分に語り合っていただきました。しかし、歴史という舞台は、光り輝く英雄譚だけで織りなされているわけではございません。その栄光の陰には、しばしば声なき民の涙があり、避けられなかった悲劇があり、そして、時には為政者の非情な決断が刻まれているものです。この特別編では、あえて皆さまの帝国が抱えた『影』の部分…その栄華の代償として支払われたものについて、深く切り込んでまいりたいと存じます。クロノス、関連資料の提示をお願いします。」
(クロノスが起動し、スクリーンにはまず、アイルランドの荒涼とした風景と、ジャガイモ飢饉に関する当時のスケッチや報道記事の断片が映し出される)
あすか:「ヴィクトリア女王陛下。大英帝国は『太陽の沈まぬ帝国』と称えられ、その繁栄は世界を覆いました。しかし、その治世下において、アイルランドではジャガイモ飢饉が発生し、100万人以上が餓死、さらに多くの人々が故郷を追われたと記録されております。当時、女王陛下は『飢饉の女王』とさえ呼ばれたこともあったと…。この未曾有の悲劇に対し、帝国政府の対応は十分だったと、今、お考えになりますでしょうか?また、広大な植民地経営においては、現地住民の生活や文化を破壊し、経済的搾取を行ったという批判も根強くございます。帝国の繁栄は、多くの犠牲の上に成り立っていたという声に、どのようにお答えになりますか?」
ヴィクトリア女王:(表情をこわばらせ、扇子を固く握りしめる。その瞳には深い悲しみの色が浮かぶ)「…案内人さん、そのお言葉…まことに胸が痛みます。アイルランドの飢饉は、わたくしの治世における最も痛ましい出来事の一つでございました。わたくし自身、何度も心を痛め、救済のための寄付も行い、政府にも迅速な対応を促したつもりでおりました。しかし…結果として多くの尊い命が失われたことは、いかなる言葉をもってしても償えるものではございません。当時の自由放任経済の思想や、現地の複雑な土地所有制度などが、事態をさらに悪化させた面も否定できませんでしょう。帝国の指導者として、その責任の一端は、わたくしにもあると認めねばなりますまい。」
(ヴィクトリア女王は言葉を続け、声に苦渋の色をにじませる)
ヴィクトリア女王:「植民地経営に関しましても…確かに、帝国の利益を優先するあまり、現地の人々の生活や文化を十分に尊重できなかった場面があったことは、認めなければなりません。しかし、わたくしどもは、単に搾取だけを目的としていたわけではございませんの。鉄道を敷設し、学校や病院を建設し、法と秩序をもたらすことで、彼らの生活を向上させ、より『文明的』な社会へと導こうとした…その信念があったことも、ご理解いただきたいのです。もちろん、その『文明』が、常に彼らにとって最善のものであったか、そしてその過程で多くの犠牲を強いたことは、今となっては深く省みるべき点でございましょう…。」
あすか:「女王陛下、率直なお言葉、ありがとうございます。帝国の『善意』と、その結果として生じた悲劇との間の葛藤…為政者の苦悩が伝わってまいります。続きまして、チンギス・カン陛下にお伺いいたします。あなたは、史上最大の連続陸上帝国を築き上げましたが、その征服過程は、多くの地域に未曾有の破壊と虐殺をもたらしたと記録されております。抵抗した都市の住民は、女子供に至るまで皆殺しにされ、繁栄していた都市が廃墟と化した例も少なくありません。ホラズム・シャー朝の首都サマルカンドやブハラの惨状は、今も語り継がれております。この、あまりにも苛烈な征服は、帝国建設のために避けられない『必要悪』だったと、お考えでいらっしゃいますか?」
(スクリーンには、モンゴル軍による都市破壊を描いた細密画や、累々と横たわる骸骨の山を思わせるイメージ映像が映し出される。チンギス・カンは、その映像を冷徹な目で見つめている)
チンギス・カン:(表情一つ変えず、低い、しかし力強い声で)「必要悪、だと?フン。案内人よ、お前は戦というものを知らぬと見える。戦とは、生きるか死ぬかだ。慈悲や同情などは、敗者の戯言に過ぎぬ。我がモンゴルは、まず降伏を勧告した。それに従い、我が軍門に下れば、その生命と財産は(ある程度は)保証した。だが、愚かにも抵抗し、我が兵に刃を向けた者どもには、容赦はせぬ。徹底的に打ち破り、その都市を破壊し、住民を根絶やしにすることで、他の者どもへの見せしめとするのだ。恐怖こそが、最も効果的な支配の手段よ。一都市の民を犠牲にすることで、より広大な地域の平和と秩序が、より早くもたらされるのであれば、それは『必要』なことだ。」
(チンギス・カンの言葉は、現代の価値観からは到底受け入れがたい冷酷さに満ちているが、彼自身の論理においては揺るぎない確信に貫かれている)
チンギス・カン:「確かに、多くの血が流れた。多くの都市が灰燼に帰した。だが、その結果、何がもたらされた?ユーラシア大陸には、かつてないほどの広大な平和、『パクス・モンゴリカ』が訪れたではないか。盗賊も現れず、娘が黄金の盆を頭に載せて一人旅をしても安全だったとさえ言われる。交易路は開かれ、東西の文化が混じり合った。もし、我々が中途半半な戦い方をしていたら、戦乱はさらに長引き、より多くの犠牲者が出ていたやもしれん。我がモンゴルの鉄槌は、確かに苛烈だったかもしれぬが、それは新たな秩序と、より大きな平和を生み出すための、産みの苦しみだったのだ。綺麗事だけでは、世界は変えられん。」
あすか:「恐怖による支配と、その結果としての平和…チンギス・カン陛下のお言葉は、まさに力の信奉者の論理でございますね。しかし、その『産みの苦しみ』によって失われた文化や文明、そして何よりも無数の人々の命の重さを、どのように受け止めていらっしゃいますか?彼らの犠牲は、パクス・モンゴリカという『成果』によって、全て正当化されるとお考えでしょうか?」
チンギス・カン:(わずかに目を細め、あすかを射抜くような視線で)「…正当化、だと?我は天の意思に従い、地上に秩序をもたらすために遣わされたのだ。その過程で何が起ころうと、それは天の配剤よ。個々の命の重さなど、大河の流れの中の小さな泡のようなもの。重要なのは、大河がどこへ向かうか、だ。我がモンゴルは、歴史という大河の流れを、力ずくで変えたのだ。そのことを忘れるな。」
(チンギス・カンの言葉が突き刺すように響き渡り、スタジオは重苦しい沈黙に包まれる。ヴィクトリア女王は青ざめた顔を伏せがちにし、乾隆帝は静かに目を閉じている。ピョートル大帝は、腕を組み、厳しい表情で一点を見つめている。あすかは、その沈黙を破るように、静かに、しかしはっきりとした口調で次の問いを発する)
あすか:「…歴史という大河の流れを変える、その力の大きさと、その過程で生じる犠牲の重さ。チンギス・カン陛下のお言葉、深く受け止めさせていただきます。さて、ピョートル大帝陛下。あなたの強力なリーダーシップと改革への情熱は、ロシアを近代国家へと大きく飛躍させました。しかし、その急進的な改革は、多くの民に多大な負担を強いたことも事実でございます。特に、農奴への重税と賦役は増大し、その生活は困窮を極めたと言われております。また、先ほども少し触れましたが、新首都サンクトペテルブルクの建設では、数十万とも言われる人々が、過酷な労働条件のもとで命を落としました。『骨の上に築かれた都市』とさえ呼ばれるこの都の礎となった無数の犠牲。そして何よりも、あなたの改革に反対した実の息子、アレクセイ皇太子を反逆罪で死に追いやったという悲劇…。これらは全て、ロシアの『偉大なる未来』のために、支払われるべき当然の代償だったと、お考えでいらっしゃいますか?」
(スクリーンには、沼地で強制労働させられる農奴たちの姿を描いた絵画、サンクトペテルブルクの壮麗な宮殿の映像、そして悲しげな表情を浮かべたアレクセイ皇太子の肖像画が映し出される)
ピョートル大帝:(組んでいた腕を解き、握り拳を作ってテーブルを軽く叩く。その顔には苦渋と怒りが入り混じったような複雑な表情が浮かんでいる)「…代償、だと?案内人、お前は分かっていない!我がロシアが、あの時、どれほど崖っぷちに立たされていたかを!北からはスウェーデンが牙を剥き、南からはオスマン帝国が隙を窺い、国内は旧弊と無知と怠惰にまみれていたのだ!このままでは、ロシアは列強の餌食となり、地図から消え去る運命だったのだぞ!民の負担が大きかったことは認めよう。サンクトペテルブルクの建設で多くの者が倒れたことも、事実だ。だが、あの都市がなければ、我が国はバルト海への出口を持てず、西欧の文明を直接取り入れることもできなかった!あの犠牲は、未来のロシアを救うための、いわば『外科手術』のようなものだったのだ!多少の痛みは伴うが、それなしには国家という患者は死に至る!それが分からんか!」
(ピョートル大帝は声を荒らげ、アレクセイ皇太子の肖像画に目を向けると、一瞬、その瞳に深い苦悩の色がよぎる)
ピョートル大帝:「…アレクセイのことは…(声を落とし)あれは、この私にとって、生涯で最も重い決断だった。実の息子を手に掛けるなど、断腸の思いだ。だが、奴は私の改革にことごとく反対し、ロシアを再び古き暗黒の時代へと引き戻そうと画策したのだ。それは、単なる親子の確執ではない。国家の未来を左右する、許されざる反逆行為だったのだ!皇帝として、ロシアの父として、私は非情にならねばならなかった。…たとえ、その血が、この手に永遠に染み付くことになろうともな。」
あすか:「国家の父としての非情な決断…。ピョートル大帝陛下の苦悩、そして改革への執念、痛いほど伝わってまいります。しかし、その『外科手術』によって切り捨てられた民の声、そして皇太子の涙は、歴史の闇に葬り去られても良いものなのでしょうか…。最後に、乾隆帝陛下にお伺いいたします。あなたの治世は『康乾の盛世』と称えられ、清朝の黄金時代とされます。しかし、その栄光の陰で、乾隆末期には官僚の腐敗や汚職が蔓延し、社会の活力は次第に失われていったという指摘がございます。また、厳格な文字の獄によって思想統制が行われ、自由な言論が封殺されたという批判もございます。そして何よりも、あなたの死後、清朝はアヘン戦争をはじめとする西欧列強の侵略の前に屈し、半植民地化の道を歩むことになります。この、輝かしい治世の後に訪れた帝国の急激な衰退について、その責任の一端は、あなたの治世のあり方にもあったと、お考えになることはございますか?」
(スクリーンには、紫禁城の壮麗な映像と対比されるように、アヘン窟で虚ろな目をする人々、清朝の役人がイギリスの外交官に頭を下げる風刺画、そして円明園が炎上する絵などが映し出される)
乾隆帝:(長く深い息をつき、閉じていた目をゆっくりと開ける。その表情には、深い悲しみと、どこか諦観にも似た静けさが漂っている)「…案内人殿の問い、まことに胸に突き刺さるものがございますな。我が治世が『盛世』と呼ばれたことは、確かに望外の光栄。なれど、いかなる太陽も、いずれは西に傾くのが世の理。我が在位は60年に及びましたが、その長き歳月の中で、知らず知らずのうちに、帝国の組織には緩みが生じ、官僚の中には私腹を肥やす不心得者も現れたことでございましょう。それは、ひとえに我が不徳の致すところ。天下の広大さに目が眩み、細部にまで目が届かなかった甘さがあったのかもしれませぬ。」
(乾隆帝は、扇子を静かに置き、言葉を続ける)
乾隆帝:「文字の獄に関しましては、帝国の安寧と秩序を維持するため、やむを得ぬ措置であったと、当時は考えておりました。なれど、それが結果として、自由な気風を損ない、社会の活力を削ぐことに繋がったのであれば、それは大きな過ちであったと認めねばなりますまい。そして、アヘン戦争に始まる西夷の侵略…。あれは、我が没後のこととはいえ、その萌芽は、我が治世の末期に既に現れていたのかもしれませぬ。中華思想に囚われ、世界の大きな変化の潮流を見誤っていた…そのツケが、子孫の代に回ってきたとも言えましょう。栄光の時代が長ければ長いほど、その終わりを認めることは難しく、そして、その後に来る闇は、より深いものとなるのかもしれませぬな…。」
あすか:「乾隆帝陛下、ご自身の治世の光と影を、真摯に見つめられるお言葉、誠にありがとうございます。帝国の栄光と衰退は、まさに表裏一体。その歴史から私たちが学ぶべきことは、あまりにも多いように感じます。…さて、皆さま、この特別編では、あえて皆さまの帝国の『影』の部分に焦点を当ててまいりました。お話しづらいことも多々あったかと存じますが、それぞれの立場から、誠実にお答えいただき、心より感謝申し上げます。」
(ヴィクトリア女王はハンカチで目頭を押さえ、チンギス・カンは腕を組んだまま遠くを見つめ、ピョートル大帝は重いため息をつき、乾隆帝は静かに目を閉じている。スタジオには、これまでのどのラウンドとも異なる、深く、そして複雑な余韻が漂っている)
あすか:「帝国の栄光は、しばしばその指導者の偉大な決断やカリスマによって語られます。しかし、その礎には、名もなき多くの民の汗と涙があり、時にはその命さえもが捧げられてきました。そして、いかなる偉大な帝国も、その内部に矛盾を抱え、やがては衰退の時を迎えるという、歴史の非情な法則からは逃れられないのかもしれません。この『影』の部分から目を逸らさず、その教訓を未来にどう活かしていくのか…それこそが、歴史を学ぶ現代の私たちに課せられた、最も重要な使命の一つなのではないでしょうか。」
(スタジオのBGMが、静かで、しかしどこか希望を感じさせるようなものへと変わる。ホログラムスクリーンには、様々な時代、様々な地域の人々が、手を取り合い、未来へと歩んでいくようなイメージ映像が流れ始める)
あすか:「さて、これにて『歴史バトルロワイヤル』の全てのラウンドが終了いたしました。版図の広大さ、後世への影響力、民の繁栄、そして統治の巧みさと存続期間、さらには帝国の影の部分…。皆さまの熱い議論は、私たちに『最大の帝国』とは何か、そして『帝国』そのものの意味について、多くの示唆を与えてくれました。次はいよいよ最終ラウンド。これまでの議論を踏まえ、皆さまが考える『最大の帝国』の定義、そしてご自身の帝国がそれにどう合致するのか、最終的なお言葉を頂戴したいと存じます。ラウンド5『我が帝国の「影」と向き合う』は、これにて終了でございます!」




