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ラウンド4:「統治」の巧みさと「存続期間」こそ真の強さ!

(ラウンド3の熱気が冷めやらぬスタジオ。中央のホログラムスクリーンには、古代の石碑に刻まれた法典、荘厳な宮殿で議論する官僚たち、そして悠久の時の流れを感じさせる砂時計のイメージ映像が映し出される。重厚で思慮深い音楽と共に、ラウンドタイトル「ラウンド4:「統治」の巧みさと「存続期間」こそ真の強さ!」が浮かび上がる)


あすか:「広大な版図、後世への影響力、そして民の繁栄…これら帝国の『偉大さ』を構成する要素は、いずれも強固で巧みな『統治』なくしては成り立ち得ません。いかにしてその広大な領土と多くの民をまとめ上げ、秩序を維持し、そして何よりも、その帝国を長きにわたり存続させてきたのか。ラウンド4では、皆さまの帝国の『統治システム』と、その『存続期間』に焦点を当ててまいります。まさしく、帝国の屋台骨であり、その真の強靭さが問われるテーマと言えましょう。まずは、中国歴代王朝の中でも屈指の長寿を誇り、安定した治世を築かれた清朝の乾隆帝陛下。その巧みな統治と、268年という長きにわたる帝国の生命力について、お聞かせいただけますでしょうか。」


乾隆帝:(静かに頷き、その瞳には深い叡智の色が浮かぶ)「案内人殿の申される通り、帝国の偉大さとは、一時の武威や繁栄のみにあらず。それをいかに長く保ち、民に安寧をもたらし続けるか、という点にこそ、その真価が問われると心得まする。我が清朝は、1644年から1912年まで、実に268年の長きにわたり、中華の地を治めました。これは、単に幸運に恵まれたからではございません。その根底には、数千年にわたり磨き上げられてきた中華の統治の知恵、すなわち儒教の教えを基本とした官僚制度がございました。科挙の制度を通じて、身分にとらわれず才能ある者を広く登用し、中央から地方の隅々に至るまで、文治によるきめ細やかな統治を心がけたのでございます。また、我が清朝は満州族が漢民族を治める王朝ではございましたが、いわゆる『満漢併用制』を採用し、満州人と漢人の双方を要職に就けることで、融和と協調を図りました。もちろん、満州人としての独自の文化や特権を維持することも重要ではございましたが、それと同時に、漢民族の優れた文化や慣習を尊重し、取り入れることで、帝国の安定と発展を促したのでございます。この、伝統に根ざした精緻な統治機構と、多様な民族を包容する度量こそが、我が清朝が二百数十年という長きにわたり命脈を保ち得た最大の理由と申せましょう。」


(乾隆帝は、自国の統治の精緻さと安定性を、穏やかながらも揺るぎない自信をもって語る。ピョートル大帝は、その「伝統」や「文治」という言葉に、やや不満げな表情を浮かべている)


あすか:「268年という驚異的な存続期間…!そしてそれを支えた儒教的官僚システムと満漢併用制。乾隆帝陛下のお話からは、伝統と融和を重んじる統治の姿が浮かび上がってまいります。しかし、その長期安定の陰で、清朝末期には官僚機構の硬直化や腐敗といった問題も指摘されておりますが、その点はどのようにお考えでしょうか?」


乾隆帝:(わずかに眉を曇らせ)「…いかなる制度も、時と共に淀みが生じるは世の常。為政者は常にその弊害に目を光らせ、改める努力を怠ってはなりませぬ。我が治世においては、綱紀粛正に努めたつもりではございますが、人の心の驕りや時代の変化の速さまでは、如何ともし難い面もございました。長期の安定が、時に油断や惰性を生むという教訓は、真摯に受け止めねばなりますまい。」


あすか:「ありがとうございます。では続きまして、ロシアに絶対君主制を確立し、強力な中央集権国家を築き上げられたピョートル大帝陛下。あなたの統治システムと、ロシア帝国の存続について、お聞かせください。乾隆帝陛下の『文治』とは、また異なるアプローチがあったかと存じます。」


ピョートル大帝:(乾隆帝の言葉尻を捉えるように、身を乗り出して)「フン!文治だの伝統だの、そんな悠長なことを言っているから、末期には西夷にいいようにされるのだ!我がロシア帝国が公式に存続したのは約200年!確かに清朝ほどではないかもしれんが、その間、我が国は常に激動の只中にあったのだ!伝統に縛られていては、国が滅びるのを待つだけだ!私が築いたのは、皇帝を頂点とする絶対君主制!全ての権力を皇帝に集中させ、迅速かつ大胆な意思決定を可能にするシステムよ!古臭い貴族どもが口を挟む余地などない!そして、その皇帝の意思を帝国全土に徹底させるため、強力な官僚機構と軍隊を作り上げたのだ!1722年に制定した『官等表ターゲリ・オ・ランガフ』を見よ!あれは、家柄ではなく、国家への奉仕と実力によって身分が上昇する仕組みだ!これにより、有能な人材が貴族出身でなくとも登用され、帝国の隅々で私の命令を遂行したのだ!さらに、元老院を設置し、国家運営の効率化も図ったぞ!この、上意下達の徹底と、実力主義に基づく中央集権こそが、広大で多様な民族を抱えるロシアを一つにまとめ、数多の戦争を戦い抜き、帝国を強国へと押し上げた原動力なのだ!清朝のように、のんびり茶をすすっている暇など、我々にはなかったわ!」


(ピョートル大帝は、自国のシステムの効率性と強力さを、熱弁を振るって主張する。ヴィクトリア女王は、その「絶対君主制」という言葉に、やや批判的な眼差しを向けている)


あすか:「絶対君主制による迅速な意思決定と強力な中央集権、そして官等表による実力主義の導入…!ピョートル大帝陛下のお話からは、まさに国家を強力に牽引するリーダーシップの姿が浮かび上がってまいります。しかし、その強権的な統治は、一方で国民の自由を抑圧し、反発を招く危険性も孕んでいたのではないでしょうか?例えば、ストレリツィの反乱に対する厳しい弾圧などは、その象徴とも言えますが…。」


ピョートル大帝:(顔を赤らめ、声を荒げて)「自由だと!?国家の存亡がかかっている時に、そんな甘っちょろいことを言っていられるか!反乱分子は徹底的に叩き潰す!それが国家の秩序を守るということだ!多少の不満が出ようとも、国家が強くなり、民が(結果として)豊かになれば、それで良いではないか!綺麗事だけでは、国は治まらんのだよ、案内人!」


あすか:「ありがとうございます。では、次にヴィクトリア女王陛下にお伺いいたします。大英帝国は、立憲君主制という、これまでの御二方とは異なる政治体制のもとで発展されました。また、広大な植民地に対しては、多様な統治形態をとられたと伺っております。この『柔軟性』とも言える統治システムと、帝国の世界的支配の維持について、お話しいただけますでしょうか。」


ヴィクトリア女王:(ピョートル大帝の激高ぶりを冷静に見つめた後、落ち着いた口調で)「…ピョートル大帝陛下のおっしゃる強力なリーダーシップも、時には必要でございましょう。しかし、国家の真の強さとは、単に上からの力で押さえつけることだけでは測れないと、わたくしは考えますわ。我が大英帝国は、確かに国王が元首ではございますが、その権力は憲法と議会によって制限される立憲君主制でございます。政治の最終的な責任は、国民によって選ばれた議会が負い、内閣が行政を担います。この制度は、一人の君主の判断に国家の運命が左右される危険を避け、より多くの国民の意思を政治に反映させることを可能にいたします。もちろん、常に完璧に機能したわけではございません。しかし、この『国民と共に歩む』という姿勢こそが、我が国が内外の様々な危機を乗り越え、長期にわたる安定と発展を享受できた大きな理由の一つだと信じておりますの。」


(ヴィクトリア女王は一旦言葉を切り、クロノスに映し出された大英帝国の多様な植民地の旗を見つめる)


ヴィクトリア女王:「そして、広大な植民地の統治に関しましては、画一的な方法を押し付けるのではなく、それぞれの地域の歴史や文化、発展段階に応じて、異なるアプローチを取りました。カナダやオーストラリアのような白人入植者が多い地域には、早期から大幅な自治権を与え、ドミニオン(自治領)としての地位を認めました。インドのような広大で複雑な地域に対しては、当初は東インド会社を通じた間接統治を行い、その後、直轄植民地として本国政府が責任を持つ形へと移行いたしました。アフリカやアジアの他の地域では、保護領や委任統治領といった形も採用いたしました。この、状況に応じた『柔軟な統治』こそが、文化も言葉も異なる、地球の隅々まで広がる大英帝国を、約200年から250年という長きにわたり、世界的な支配的勢力として維持することを可能にしたのだと、わたくしは考えておりますわ。」


(ヴィクトリア女王は、自国の政治体制の合理性と、植民地統治の現実的な側面を、静かに、しかし自信を持って語る。ピョートル大帝は腕を組み、何か反論を考えている様子だ。乾隆帝は静かに頷き、女王の言葉に一定の理解を示しているように見える。チンギス・カンは、その「国民と共に」や「柔軟な統治」といった言葉に、どこか胡散臭さを感じているような表情を浮かべ、低い声で口を開いた)


チンギス・カン:「フン。国民と共に歩む、だと?女王よ、それは聞こえは良いが、結局は多くの人間の欲望や意見に振り回される、まどろっこしいやり方ではないのか?柔軟な統治というのも、結局は力で押さえつける自信がないことの裏返しにも聞こえるわ。我がモンゴル帝国が統一されていた期間は、お前たちの国々に比べれば短かったやもしれぬ。1206年に建国し、13世紀半ば以降、元朝、ジョチ・ウルス、イルハン朝、チャガタイ・ハン国と、後継のハン国へと分かれていったからな。統一期は約162年ほどか。だが、その間に我々が成し遂げたことの『大きさ』と『速さ』を侮るなよ。」


(チンギス・カンはゆっくりと立ち上がり、その巨躯は他の君主たちに無言の圧力をかける)


チンギス・カン:「我々には、お前たちのような小賢しい法律や、複雑怪奇な官僚制度は必要なかった。私が定めたのは『ヤッサ(大扎撒)』という、簡潔にして厳格な法だ。忠誠、規律、軍令、盗みや姦淫の禁止…生きる上で、そして帝国を維持する上で必要なことだけを、誰にでも分かるように示したのだ。そして、我が軍隊と行政組織は、血筋や家柄ではなく、ただ実力と忠誠心のみで成り立っていた。千戸制、百戸制、十戸制という単純明快な組織で、帝国の隅々まで私の意思が届いた。敵であっても、才能を認めれば登用した。この、無駄を一切そぎ落とした、鋼のような組織力と機動力こそが、モンゴルが短期間で世界を揺るがすことができた理由よ。お前たちの言う『存続期間の長さ』も結構だが、その間に一体何を成し遂げたというのだ?我々は、歴史の流れそのものを変えたのだぞ。」


あすか:「ヤッサという法と、徹底した実力主義、そして効率的な軍事・行政組織…!チンギス・カン陛下のお言葉からは、既存の枠にとらわれない、実践的で強力な統治のあり方が浮かび上がってまいります。しかし、その後の帝国の分裂は、やはり統治システムにおける何らかの限界、あるいは後継者問題の難しさを示しているのではないでしょうか?」


チンギス・カン:(フンと鼻を鳴らし)「…分裂は、ある意味、自然の摂理よ。広大すぎる帝国は、一つの中心から永遠に支配し続けることは難しい。息子たちにそれぞれの領地を与え、それぞれのやり方で治めさせる。それもまた一つの形だ。彼らが私のヤッサを忘れ、互いに争うようになったのは、彼ら自身の問題よ。だが、モンゴルの血と魂は、その後も長くユーラシアの各地に残り、新たな歴史を紡いでいったのだ。それもまた、我が影響力と言えるだろう。」


乾隆帝:(チンギス・カンの言葉を静かに聞き)「…チンギス・カン殿の申される『ヤッサ』の厳格さ、そして実力主義には、確かに学ぶべき点もございましょう。なれど、法とは、厳しさだけでは民の心を得ることはできませぬ。そこには、仁徳と、教化というものが必要不可欠。そして、いかに優れた法や制度も、それを正しく運用し、次代へと受け継いでいく『人』を育てねば、いずれ形骸化いたします。帝国の分裂が自然の摂理と仰せられましたが、それは、強固な文化や価値観という『魂』を、帝国全体に深く根付かせることができなかったことの表れとも言えるのではありますまいか。存続の長さとは、単に時間のことではございません。その間に、いかに揺るぎない『国の形』と『民の心』を築き上げられるか、ということでございます。」


ピョートル大帝:(腕を組みながら、うんうんと頷き)「乾隆帝の言うことにも一理あるな!俺もチンギス殿の実力主義は大いに結構だと思うが、やはり後継者問題は頭が痛い。俺だって、あの愚息アレクセイには散々手を焼かされたからな!(苦々しい表情)やはり、皇帝の権威が絶対であり、その意思を忠実に実行する強力な官僚機構がなければ、国はすぐにバラバラになる。分裂なんぞ、もってのほかだ!我がロシアは、この私一代でその基礎を叩き込んだからこそ、その後も強国として存続できたのだ!」


ヴィクトリア女王:(静かに、しかしはっきりとした口調で)「…皆さまのお話、大変興味深く伺いました。チンギス・カン陛下のような武断による統治、そしてピョートル大帝陛下のような強権による中央集権も、それぞれの時代や状況においては有効だったのかもしれません。しかし、わたくしは、国家の真の安定と持続的な発展のためには、やはり法の支配と、国民の合意形成が不可欠だと考えます。ヤッサのような厳格な法も、それが一部の権力者によって恣意的に運用されるならば、恐怖政治と何ら変わりはございません。また、皇帝の絶対的な権威も、その皇帝が常に賢明であるという保証はどこにもないのです。我が大英帝国が目指しましたのは、君主も法の下にあり、国民の代表者たる議会が立法権を握り、そして独立した司法がその法を公平に解釈・適用するという、権力分立の原則に基づいた統治でございます。もちろん、この制度も完璧ではございませんし、多くの試行錯誤を繰り返してまいりました。しかし、この開かれた議論と、合意に基づく意思決定のプロセスこそが、帝国が時代の変化に対応し、国民の支持を繋ぎとめ、そして…そう、帝国の形が変わろうとも、その精神はコモンウェルス(英連邦)のような、より緩やかな連合体として生き続けている理由なのではないでしょうか。」


あすか:「法の支配、権力分立、そして国民の合意…!ヴィクトリア女王陛下のお言葉は、現代の民主主義国家の理想にも通じるものでございますね。しかし、その大英帝国も、本国では民主主義的な制度を誇りながら、広大な植民地においては必ずしもそうではなかった、という矛盾も指摘されております。インドの統治や、アフリカ分割における現地の声の黙殺など…この『ダブルスタンダード』とも言える状況は、立憲君主制の理念とどのように両立するとお考えでしょうか?」


ヴィクトリア女王:(一瞬、言葉に詰まるが、すぐに気を取り直し)「…それは、帝国の運営における、最も困難な課題の一つでございました。わたくしどもは、植民地の民が、自治を行うに足る成熟度に達するまでは、ある程度の…指導と保護が必要であると考えておりました。もちろん、その過程で、本国の理想と現地の現実との間に、様々な矛盾や葛藤が生じたことは否定できません。しかし、最終的な目標は、全ての臣民が、より良い統治のもとで平和と繁栄を享受できるようになることであったと、わたくしは信じております。」


あすか:「統治の理想と現実の葛藤…それは、ここにいらっしゃる全ての君主様方が、形は違えど直面されてきた問題なのかもしれません。乾隆帝陛下の長期安定と、その裏に潜む硬直化の危険。ピョートル大帝陛下の強力な中央集権と、民衆への圧政。ヴィクトリア女王陛下の立憲君主制と、植民地支配の矛盾。そしてチンギス・カン陛下の効率的な実力主義と、その後の帝国の分裂。まさに、光と影は表裏一体でございますね。」


(クロノスに、各帝国の統治機構の概略図、ヤッサの条文の一部、官等表、イギリスの議会の様子、そして帝国の版図が時代と共に変遷していくアニメーションなどが映し出される)


あすか:「このラウンドでは、皆さまの帝国の『統治の巧みさ』と『存続期間』について、熱く語り合っていただきました。長期の安定を誇る帝国、短期間で世界を変革した帝国、絶対的な権力で国を導いた帝国、そして国民との合意を重んじた帝国…。その統治のあり方は千差万別であり、それぞれに成功と限界があったことが浮き彫りになったように感じます。果たして、どの統治が最も『優れていた』のか、そして『存続期間の長さ』が絶対的な指標となり得るのか…これもまた、視聴者の皆さま一人ひとりが、歴史に問いかけていくべきテーマなのかもしれません。」


(スタジオのBGMが、やや不穏で、しかし何かを予感させるようなものへと変わる。ホログラムスクリーンには、飢饉に苦しむ人々、破壊された都市、反乱軍の姿、そして戦場の様子などが断片的に映し出される)


あすか:「さて、ここまで帝国の輝かしい側面を中心に語り合ってまいりましたが、歴史の物語は、常に美しいものばかりではございません。次回の特別編では、あえて皆さまの帝国が抱えた『影』の部分…その栄光の裏に隠された、民の苦しみや、避けられなかった悲劇について、深く切り込んでまいりたいと存じます。ラウンド4『「統治」の巧みさと「存続期間」こそ真の強さ!』は、これにて終了でございます!」

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