ラウンド2:「影響力」で語るなら我が帝国!
(ラウンド1終了の余韻が残るスタジオ。中央のホログラムスクリーンには、文化や思想が波紋のように広がっていくイメージ映像が映し出され、やがてラウンドタイトル「ラウンド2:「影響力」で語るなら我が帝国!」が荘厳な音楽と共に表示される)
あすか:「版図の広大さを巡る熱い議論、誠に見ごたえがございました。しかし、帝国の『偉大さ』とは、ただ領土の広さのみで測れるものではございませんわよね。その帝国が、後世の歴史にいかなる『影響』を及ぼし、世界のあり様をどれほど変えたのか…それこそが、真の『大きさ』を示すのかもしれません。というわけで、ラウンド2のテーマは『後世への影響力』!皆さまの帝国が、歴史という大河に投じた一石は、どれほど大きな波紋を広げたのでしょうか?まずは、ロシアに未曾有の大変革をもたらしたピョートル大帝陛下!あなたの改革が後世のロシア、そして世界に与えた影響について、存分にお語りください!」
ピョートル大帝:(待ってましたとばかりに、椅子から半分腰を浮かせ、声を張り上げて)「よかろう!影響力、それこそ我が最も語りたいところよ!我がロシアは、私が手を付けるまでは、ヨーロッパの片隅で忘れられたような、古臭く、鈍重な大国に過ぎなかった!だが、この私が!(再び自身の胸を力強く叩く)西欧の進んだ技術、軍事、行政、文化、教育、その全てをロシアの土壌に叩き込み、根こそぎ変えてやったのだ!常備軍と強力な海軍を創設し、スウェーデンとの大北方戦争に勝利してバルト海の出口を確保!新首都サンクトペテルブルクを築き、そこをヨーロッパへの窓とした!元老院を置き、官等表で実力ある者を登用し、科学アカデミーの基礎も築いたのだぞ!我が改革がなければ、その後の強大なロシア帝国も、そして現代のロシアという国家も、全く異なる姿になっていたであろう!まさに、私がロシアの歴史の歯車を、未来へと大きく回したのだ!この『歴史を変えた』という影響力こそ、他の誰にも真似できぬ『最大』の証ではないかね!?」
(ピョートル大帝は興奮冷めやらぬ様子で、他の対談者たちを見回す。チンギス・カンは相変わらず腕を組んだまま、静かにピョートルの言葉を聞いている)
チンギス・カン:「フン。西の真似事をして、自国の古いものを壊しただけではないのか?それが真の『影響力』と言えるのかどうか…。我がモンゴルが世界に与えた影響は、もっと根源的で、広範囲に及ぶものだ。我々は、ユーラシア大陸の東西を、かつてない規模で結びつけたのだぞ。その結果、何が起こったか?『パクス・モンゴリカ』――モンゴルの平和と呼ばれる時代が到来し、シルクロードなどの交易路は完全に安全なものとなった。商人たちはラクダの背に絹や香辛料を積み、東から西へ、西から東へと自由に行き交った。それだけではない。マルコ・ポーロのような西欧の者たちが、東方の進んだ文明や富を目の当たりにし、その知識を故郷へ持ち帰った。火薬、羅針盤、印刷術といった、中国の偉大な発明が西欧に伝播し、後のルネサンスや大航海時代に大きな影響を与えたのは、我らが築いた『道』があったからこそよ。我々は、文化や技術の『運び手』として、世界史を大きく動かしたのだ。小手先の国内改革などとは、スケールが違うわ!」
(チンギス・カンの言葉には、遊牧民の長としての誇りと、世界史的視点からの自負が込められている。ヴィクトリア女王は、その「野蛮」とも取れる物言いにやや顔をしかめるが、興味深そうに耳を傾けている)
あすか:「パクス・モンゴリカによる東西文化交流の促進…!確かに、それは世界の歴史を大きく塗り替えるほどの影響力でございました。火薬や羅針盤が西欧に伝わったことは、その後の世界のパワーバランスをも変えたと言えるでしょう。しかし、その一方で、チンギス・カン陛下、その交流はペストのような疫病をヨーロッパにまで拡散させる一因ともなった、という指摘もございますが…?」
チンギス・カン:(眉一つ動かさず)「…疫病だと?それは天災であろう。我らが意図したことではない。物事が動けば、良きことも悪しきことも起こる。それが世の常だ。重要なのは、我々が巨大な『流れ』を生み出したという事実よ。その流れが、良くも悪くも、世界を変えたのだ。」
あすか:「なるほど…『流れ』そのものを生み出した、と。では、乾隆帝陛下。清朝が後世に与えた文化的影響力、そして東アジア世界におけるその存在の大きさについて、お聞かせいただけますでしょうか。ピョートル大帝の『国内改革』や、チンギス・カン陛下の『東西交流』とはまた異なる、重厚な影響力がおありかと拝察いたします。」
乾隆帝:(ゆっくりと頷き、落ち着いた声で話し始める)「案内人殿のお言葉、的を射ておりますな。我が清朝の影響力とは、まず何よりも、数千年に及ぶ中華文明の伝統を継承し、それを集大成したという点にございましょう。例えば、父祖である康熙帝の時代に編纂が始まった『康熙字典』は、漢字文化圏における規範となり、また我が治世において完成した『四庫全書』は、古今の書物を網羅した一大文化事業であり、後世の学術研究に計り知れぬ恩恵を与えました。これらの事業は、単に書物を集めたというだけではございません。中華文明の精髄を保存し、体系化し、そして未来へと手渡すという、文化国家としての使命を果たした証なのでございます。」
(乾隆帝は一旦言葉を切り、扇子で軽く口元を覆う)
乾隆帝:「また、我が清朝は、東アジアにおける文化の中心であり続けました。朝鮮、琉球、ベトナムといった周辺諸国は、我が国の暦を用い、使節を派遣し、我が国の文化や制度を熱心に学びました。この、武力によらない、徳と文化の力による感化こそ、真の『王道』であり、長期的な影響力を持ち得るものと信じます。そして、現在の中国の広大な版図、そして多民族国家としての姿もまた、我が清朝の統治と無関係ではありますまい。中国最後の帝国として、その後の中国のあり方に、良くも悪くも、大きな影響を与え続けている。それもまた、歴史の厳然たる事実でございましょう。」
(乾隆帝の言葉は、静かながらも強い説得力を持つ。ピョートル大帝は腕を組み、何か反論を考えているような表情を見せ、ヴィクトリア女王は、中国の文化力に一定の敬意を払いつつも、どこか納得しきれない様子で乾隆帝を見つめ、少し考え込むような表情を見せていたが、やがて顔を上げ、はっきりとした口調で話し始める)
ヴィクトリア女王:「乾隆帝陛下のおっしゃる文化の集大成、そして東アジアにおける中心性、まことに敬服いたしますわ。しかし、わたくしが考える帝国の『影響力』とは、もう少し…そう、より普遍的で、地球規模の変革をもたらす力のことなのでございます。(あすかに視線を送り)案内人さん、クロノスで現在の世界の姿を映し出していただけますか?」
(あすかが頷き、クロノスを操作すると、ホログラムスクリーンに現代の世界地図と、そこに飛び交う情報のネットワーク、そして主要言語の使用分布などが映し出される)
ヴィクトリア女王:「ご覧ください。現在、世界の多くの国々で公用語あるいは準公用語として使われているのは、我がイギリスの言葉、英語でございます。国際的なビジネス、学術、外交の舞台で、英語は欠くことのできないコミュニケーションの手段となっております。また、我が国で育まれたコモンロー(慣習法)の精神と議会制民主主義の制度は、アメリカ合衆国をはじめ、カナダ、オーストラリア、ニュージーランド、そしてインドなど、世界の多くの国々の法体系や政治体制の基礎となりましたの。これは、単なる一地域の文化という域を超え、現代世界のあり方を形作る上で、計り知れない影響を与えたと自負しております。」
ピョートル大帝:(腕を組みながら、ふむ、と唸る)「英語にコモンロー、議会ねぇ…。確かに、今の世では幅を利かせているようだな。だが女王陛下、それはあんたの帝国が、武力と経済力で世界中にそのやり方を『押し付けた』結果とも言えるんじゃないのかね?我がロシアも西欧に学んだが、それはあくまでロシアを強くするための『手段』としてだ。あんたの国のやり方が、全ての国にとって最善だったと、本気で思っているのか?」
ヴィクトリア女王:「ピョートル大帝陛下、それは誤解ですわ。確かに帝国の拡大には武力が伴いましたが、我が国の制度や文化が広まったのは、それが持つ合理性や普遍的な価値によるものも大きいと信じております。例えば、自由貿易の原則に基づいたグローバルな貿易ネットワークの確立は、世界の経済を活性化させ、多くの人々に…」
チンギス・カン:(ヴィクトリア女王の言葉を遮り、嘲るように)「フン、自由貿易だと?それは強者の理屈よ。弱い者から富を吸い上げるための、もっともらしい言い訳に過ぎぬ。我がモンゴルも交易を重んじたが、それは互いの利があってこそ。一方的な押し付けは、いずれ恨みを買うだけだ。言葉や制度が広まったからといって、それが真の『影響力』だと?我が軍が一度通れば、言葉も制度も、そして地図の色さえも塗り変わったのだぞ。それこそが、目に見える『影響』ではないか。」
乾隆帝:(静かにヴィクトリア女王を見つめ)「女王陛下のお言葉、興味深く伺いました。確かに、英語や貴国の法制度は、現代において大きな力を持っておられるのでしょう。しかし、それは同時に、他の多くの言語や文化、伝統的な価値観が、その大きな流れの中で隅に追いやられ、あるいは消え去っていく危険性をはらんでいることには、お気づきでございましょうか。中華の地にも、かつては西方からもたらされた宗教や文化が花開いた時代がございました。仏教もその一つ。なれど、それは中華の土壌の中で時間をかけて受け入れられ、独自の発展を遂げたもの。一方的な『普遍性』の押し付けは、文化の多様性を損ない、ひいては世界の豊かさを失わせることにも繋がりかねませぬぞ。」
あすか:「これは、またしても核心を突くご意見です。ヴィクトリア女王、確かに大英帝国の影響力は計り知れませんが、ピョートル大帝陛下のご指摘のように、それが『押し付け』であったという側面、そして乾隆帝陛下のご懸念のように、文化の画一化を招いたという批判もございます。この点についてはいかがでしょう?」
ヴィクトリア女王:(やや顔を曇らせながらも、毅然として)「…どのような偉大な事業にも、光と影はつきものでございます。帝国の運営は、常に困難な選択の連続であり、全ての人々を満足させることは不可能でしょう。しかし、わたくしどもは、可能な限り現地の文化や慣習を尊重しつつ、より良い社会の実現を目指したと信じております。英語の普及が、異なる民族間の意思疎通を助け、新たな知識や技術の伝播を促したという側面もございます。また、コモンローの精神は、権力の濫用を防ぎ、個人の権利を擁護するという普遍的な価値を含んでおりますわ。もちろん、その過程で過ちがなかったとは申しません。しかし、全体として見れば、大英帝国が世界にもたらした恩恵は、その影を補って余りあるものだと、わたくしは信じて疑いません。」
ピョートル大帝:「ふん、都合の良い解釈だな!だが、影響力ってのは、確かに一筋縄ではいかんもんだ。俺の改革だって、貴族どもからは散々抵抗されたし、民衆には大きな負担を強いたかもしれん。だがな、あのままじゃロシアはスウェーデンやオスマン帝国に食い物にされて、地図から消えていたかもしれんのだぞ!強引だろうが何だろうが、国を生き残らせ、未来への道筋をつけた。その『結果としての影響力』が全てよ!」
チンギス・カン:「そうだ。結果こそが全てだ。我がモンゴルが通った後には、多くの国が滅び、多くの血が流れたかもしれん。だが、その結果として、ユーラシア大陸には巨大な交易網が生まれ、新たな文化交流が始まったのだ。破壊なくして創造なし。我が帝国が世界に与えた衝撃、その『大きさ』こそが、揺るがぬ影響力の証よ。」
あすか:「破壊と創造、光と影…『影響力』という言葉の裏には、実に様々な側面が隠されているようですね。ピョートル大帝陛下のロシア近代化は、その後のロシアの強大化に繋がり、現代の国際情勢にも影響を与え続けています。チンギス・カン陛下のモンゴル帝国は、東西の交流を劇的に促進し、世界の歴史を加速させました。乾隆帝陛下の清朝は、東アジア文化圏に深遠な影響を与え、現代中国のアイデンティティ形成にも関わっています。そしてヴィクトリア女王陛下の大英帝国は、言語、法制度、経済システムなど、現代のグローバル社会の基盤となる多くのものを世界に広めました。」
(あすかはクロノスを操作し、スクリーンに各帝国の影響力を象徴するキーワードやイメージ映像を次々と映し出す。英語の教科書、裁判所の法廷、モンゴル軍の騎馬隊、シルクロードの交易風景、ロシアの近代工場、中国の伝統文化など)
あすか:「皆さまの帝国が歴史に刻んだ影響力は、それぞれに比類なく、そして比較すること自体が難しいほどに巨大でございます。それが意図したものであれ、意図せざるものであれ、その影響は現代を生きる私たちにも、深く、そして多様な形で及んでいるのです。この『影響力』という物差しにおいても、甲乙つけがたい、まさに『最大級』の帝国ばかりと言えるでしょう。」
(スタジオのBGMが再び変化し、次のラウンドへの期待感を煽る。ホログラムスクリーンには、豊かな穀物や金貨、そして人々の暮らしを象徴するような温かみのある映像が映し出される)
あすか:「さて、帝国の偉大さを語る上で、忘れてはならないのが、その支配下にある民の暮らし、そして帝国の『富』でございます。次のラウンドでは、皆さまの帝国がどれほど多くの民を養い、いかなる経済的繁栄を築き上げたのか、その点について熱く語り合っていただきましょう!ラウンド2『「影響力」で語るなら我が帝国!』は、これにて終了でございます!」