家族になりたい
虐待描写や暴力表現などがありますので、くれぐれもご注意下さい。
【健太視点】
うちらはどこにでもいる、平凡な家族だった。
家族第一で、心優しい父さん。
美人だけど、男勝りな母さん。
自由奔放(じゆうほんぽう=何にもとらわれず、自分の思うがままに振る舞う)な長男の俺、健太十歳。
イタズラ好きな毒舌家の次男、大樹九歳。
動物が大好きなのんびり屋の三男、直樹九歳。
大樹と直樹は、二卵性双生児(にらんせいそうせいじ=似てない双子)なんだぜ。
うちら兄弟は、性格はバラバラだけど仲良しで、バカばっかりやってたなぁ。
両親は、そんなうちらを分け隔てなく愛してくれた。
笑いが絶えない、温かな家庭だった。
こんな日々が、いつまでも続くと思っていた。
幸せな日々は、突然、あっけなく崩れ去った。
夏休みに、家族五人でキャンプへ行った。
川遊びして、バーベキューして、キャンプファイアして、花火して、最高に楽しかった。
その帰り道。
うちらが乗ったワゴン車に、大型トラックが正面から突っ込んで来た。
事故の原因は、トラック運転手の信号無視。
運転していた父さんと、助手席に乗っていた母さんは即死。
後部座席に並んで座っていた、うちら兄弟は軽傷。
一瞬にして両親を失ったうちらは、失意のどん底へ叩き落された。
だが、これは地獄の序章に過ぎなかった。
両親を失ったうちらの元に、子供がいなかった親戚の若い夫婦が「引き取りたい」と、言ってきた。
でも、「ひとりだけ欲しい」って。
これ以上、バラバラになりたくなかった俺は、可愛い弟達と手を握り合う。
「三人一緒じゃなきゃ、ヤダ!」
俺は断固として、首を縦に振らなかった。
これは、うちら三人共通のたったひとつの願い。
三人一緒なら、どこへだって行くし、良い子にするから。
だから、どうか引き裂かないで、三人共引き取って欲しい。
だけどそれは、大人達にとっては難題だったらしい。
「三人も引き取れない」と、若い夫婦は顔をしかめた。
しばらく、うちらを引き取ってくれる大人は、現れなかった。
両親が遺してくれたお金で、兄弟三人、肩を寄せ合って生きることにした。
父さんが買った家があったから、住むところには困らなかった。
うちら兄弟は協力して、初めての家事を頑張った。
それから、一か月後。
「三人共引き取りたい」と言う、親戚夫婦が現れた。
うちら兄弟は「これで、家事をしなくて済む」と、喜び合った。
小学生のうちらに家事は難しく、失敗の連続だったから。
自分達で作ったご飯は美味しくないし、掃除も洗濯も上手く出来なかった。
でも、うちらを引き取った夫婦は、両親の保険金が目当てだった。
引き取ってすぐに、保険証明書を探し出し、保険会社から金をもぎ取った。
三十代だった両親の保険金は、莫大なものだったらしい。
夫婦は保険金を湯水のように使い、優雅な暮らしを満喫した。
一方、うちら兄弟には、一銭もくれなかった。
飯はコンビニで適当に買った、菓子パンしか与えられなかった。
うちらはいつもお腹を空かせていて、ガリガリに痩せ細った。
歯向かっても、子供が大人に敵うはずない。
夫婦は保険金を使い果たすと、あっさりとうちらを捨てていなくなった。
しかも、大事な家も売っ払いやがった。
その後、親戚中を、たらい回しにされた。
どこへ行っても、酷い扱いを受けた。
罵られたり、サンドバッグにされたり、奴隷のようにこき使われたり、無視されたり。
何も食べさせてもらえなくて、給食だけで食い繋いでいた時もあった。
うちらだって、大人達に好かれようと努力したさ。
でも、優しくしてくれる大人なんて、ひとりもいなかった。
困っていても、誰も助けてくれなかった。
最終的に、児童養護施設へ入所することになった。
そこでも、兄弟三人で固まって暮らしている。
弟達は、俺が守る。
俺が心を許せるのは、可愛い弟達しかいなかった。
【大樹視点】
両親が死んでから、五年後。
兄貴が高一、オレとナオ(直樹の愛称)が中三になった、ある日。
「三人共、引き取りたい」と、ふざけたことを抜かすヤツが現れた。
今更、引き取り手なんて必要ない。
兄貴が十八になったら、三人で施設を出て行くつもりだったから。
だが、施設長に「会うだけでも」と説得されて、渋々会ってやることにした。
面談室で、うちら兄弟とそいつは初対面した。
「小さい頃に会ったきりだから、覚えてないですよね? 私は、誠と申します」
人の好さそうな男が、作り笑いを向けてきた。
第一印象は、どこにでも居そうな、メガネを掛けた普通のおっさん。
年齢は、三十歳前半といったところか。
話を聞けば、親父の親戚で、一応うちらと血が繋がっているらしい。
「親戚」という言葉を聞いて、うちらは固まった。
おっさんを見る目も、冷ややかなものに変わる。
親戚といえば、酷い虐待を受けた記憶しかない。
警戒するのは、当然だった。
黙り込むオレとナオに代わって、兄貴が険しい顔付きで交渉を始める。
「なんで、今更うちらを、引き取ろうと思ったんだ?」
「あなた達のお話をお聞きして、ぜひ三人共、引き取りたいと思いまして」
「話って、何を聞いた?」
「ご両親を事故で亡くされた後、親戚中をたらい回しにされて、虐待の末に捨てられたと」
哀れみの目を向けられて、吐き気がする。
可哀想だから同情したってか、この偽善者め。
上から目線が、ムカつく。
うさんくさい優しい笑みを顔に張り付けて、おっさんは続ける。
「それを聞いたら、いてもたってもいられなくなりましてね。私でよければ、家族になりたいんですよ」
おっさんは柔らかい口調で、握手を求めてきた。
媚びる態度が、鼻持ちならない(はなもちならない=言動が我慢出来ない程、不愉快)。
兄貴は、こっちに視線を寄こした。
警戒心丸出しのオレとナオを見て、兄貴はひとつ頷いた。
鋭い目でおっさんを射抜いた兄貴は、その手を叩き落とす。
「うちらにだって、選ぶ権利がある。例え、三人一緒でも、俺はアンタに引き取られたくない」
兄貴は毅然(きぜん=意志が強く、物事に動ぜず、しっかりしている)とした態度で、おっさんの誘いを断った。
ナイスだ、兄貴。
あとで、褒めてやる。
すると、おっさんは大口を開けて、大声で笑い出した。
「いやいや、私だって、いきなり家族になれるなんて、思っちゃいないですって」
いっそ気持ちが良いぐらい笑い飛ばされて、呆気に取られた。
「は?」
「お試しで、一緒に暮らしてみませんか? 気に食わなかったら、断って頂いて結構ですから」
おっさんが軽い口調で言ったので、あっけに取られて肩の力が抜けてしまった。
なんだコイツ? 調子狂うな。
どうやら、無理矢理引き取る気はないらしい。
コイツの意図が読めない。
いったい、何が目的なんだ?
おっさんは明るく笑いながら、立ち上がる。
「とりあえず、家を用意したんで、見に来ませんか? きっと、気に入るはずですよ」
そんなに見せびらかしたい程、立派な家に住んでいるのか。
やけに自信満々なおっさんに、うちらは顔を見合わせる。
そんなに言うなら、見せてみやがれ。
どんな豪邸だろうが、散々けなしてやる。
案内された家は、強欲クズ共に売り飛ばされたはずの、懐かしい生家(せいか=生まれ育った家)だった。
呆然と、家を見上げるうちらに、おっさんはイタズラが成功した子供みたいに笑い掛けてくる。
「三人の家だったって聞いたんで、ローン組んで買っちゃいました」
買った?
このファミリーサイズの一軒家を、うちらの為に?
同居を断ったら、この家、どうするつもりだったんだ?
コイツ、バカだ。
スゲェ、とんでもねぇ大バカ野郎だ。
「ふ、ふふっ……ふははははっ!」
なんだか無性におかしくなってきて、声を立てて笑っちまった。
突然笑い出したオレに、兄貴とナオが驚いた顔をしている。
「お気に召して、頂けました?」
家の前で嬉しそうに笑う顔が、親父と重なって見えた。
【直樹視点】
「おかえりなさい。今日からここが、みんなの家ですよ」
親戚の男が、玄関を大きく開けた。
うちらは、さっそく、家の中へ入った。
五年振りに、家へ帰って来た。
一度売りに出された家だから、家具は何もなく、ガランとしている。
でも、内装(ないそう=壁、床、天井などの装飾、および設備の配置)や窓から見える景色は、何も変わっていない。
うちら兄弟の部屋。
父さんと母さんの部屋。
みんなが集まる居間。
風呂、台所、トイレに至るまで全部。
うちらは、家の中を歩き回って「ここには、あれがあった」「ここでこんなことがあった」と、笑いながら思い出話を語り合う。
この家で過ごした思い出が、次々と蘇ってくる。
みんなで笑って、たまに兄弟ケンカして、泣いて、怒って、仲直りして……楽しかった。
ここには、たくさんの幸せがあった。
親戚の男は、うちらを見て静かに笑っている。
正直、気味が悪い。
作ったような笑顔で、何を考えてるか分からない。
子供が出来なかった夫婦で、小さい子供を引き取りたいなら、まだ分かる。
親戚の男は三十そこそこで、たぶん独身。
高校生と中学生の大きな子供を、しかも男ばかり三人も引き取って、何の得がある?
しかも、うちらに気に入られたいが為に、家まで買って。
親切すぎて、気持ち悪い。
家を買い戻してくれたことは、感謝してやっても良い。
親戚の男は、どことなく父さんに似ている。
でも、他人。
懐かしい家、懐かしい思い出。
思い出の中に、コイツは存在しない。
異分子(いぶんし=部外者)は、排除しなければならない。
ここは、うちらの家だ。
親戚なんて、いらない。
ふたりの兄がいてくれれば、充分だ。
ふたりだけで、手いっぱいなんだよ。
異分子なんか、いらない。
この家から、出て行ってくれ。
出て行け、出て行け! 出て行けっ!
「出てけっ!」
鬱々(うつうつ)とした感情が爆発して、おれは異分子を突き飛ばした。
異分子は初めて笑顔を崩し、驚いた顔で床に尻もちを着いた。
不思議そうに、おれを見上げている。
「直樹さん? どうしたんですか?」
「ここは、うちらの家だ! 貴様なんかいらない! 目障りだっ! 出てけっ!」
おれの激昂(げっこう=ガチギレ)を見て、異分子は悲しそうに顔をゆがめた。
泣き出す寸前の子供みたいな顔に、胸が痛む。
だが、それよりも、怒りの感情が抑えられなくて、さらに怒声を張る。
「貴様だってどうせ、うちらををいじめる気だろ! もううんざりなんだよっ!」
すると、横にいた兄ちゃんと大ちゃんも、おれに同調して異分子を罵り始める。
「そうだ! 出てけっ! お前なんか、うちらと家族になれる訳ないだろ、バ~カッ!」
「出てけ、出てけっ! てめぇ、笑顔がキモいんだよっ! 死ね、ジジイ!」
うちらは、何度も「出てけ」コールを繰り返した。
酷く傷付いた顔をした異分子は、無言で立ち上がって家から出て行った。
異分子を排除した達成感に、うちらは喜び合った。
「よっしゃあ! ついに、うちらの家を取り戻したぞっ!」
「親戚なんざ、クソ喰らえっ! よくやったな、ナオ!」
「えへへ~」
兄達は、おれの頭を撫で回して、褒めてくれた。
それからうちらは、今後どうやって三人で生きていくかを、話し合った。
「これから、どうする?」
「こんなからっぽの家じゃ、なんも出来ねぇよ」
「まずは、布団買わないと、今夜寝ることも出来ねぇぞ」
「買うったって、金どうすんだよ?」
「申請すれば、支援受けられるんじゃなかったっけ?」
「俺、高校に入ってからバイト始めたけど、給料日までまだだいぶあるんだよね」
「中学生って、バイト出来ねぇの?」
「中学生は基本的に、働いちゃいけないんだってさ」
「マジかよ?」
「あ、そうだ。荷物を取りに戻らないと」
「今日は視察の予定だったし、引っ越しの準備なんてしてなかったもんな」
そんなこんな話し合っていたら、チャイムの音が。
異分子を追い出してから、軽く三時間は経過していた。
異分子が戻って来たのかと、うちらは警戒した。
もう一度、チャイムの音がして、明らかに別人と分かる明るい声が聞こえてくる。
「すみませ~ん、お届け物で~すっ」
「なんだ、宅配かよ。俺、ちょっと、取りに行って来るわ」
「あ、オレも行く」
「おれも」
兄ちゃんが玄関へ向かうと、おれと大ちゃんも後ろから付いて行った。
玄関のドアを開けると、配達員がダンボールを抱えて立っていた。
「あ、どうも~。サインかハンコ、お願いしま~す」
「じゃあ、サインで」
兄ちゃんが受取書にサインをすると、配達員が荷物を玄関に運び込んだ。
大きなダンボール箱が、三つも。
「ありがとうございました~」と、配達員は愛想良く帰って行った。
謎の三つのダンボール箱を前にして、うちらは戸惑う。
「なんだこりゃ?」
「さぁ?」
「とりあえず、開けてみんべ」
兄ちゃんがダンボールを開けて、驚きの声を上げる。
「これ、俺のだ。ってことは……」
兄ちゃんが、次々とダンボール箱を開けていく。
中にはそれぞれ、うちらの私物が入っていた。
施設へ取りに戻ろうと思っていた物が、全部揃っている。
「どういうことだ?」
大ちゃんが首を傾げると、兄ちゃんが何かを見つけた。
「おい見ろよ、手紙が入ってたぞ!」
「オレのには、入ってなかったけど」
「おれのもない」
どうやら、兄ちゃんの箱にだけ、手紙が入っていたようだ。
表書きには「健太・大樹・直樹へ」と、書いてある。
うちら三人に、向けた手紙らしい。
兄ちゃんが、封筒から便せんを取り出した。
それは、施設長からの手紙だった。
「そちらに住むと聞いたので、荷物を送ります」といった、内容が書かれている。
引っ越しの面倒が省けて、ありがたい。
他にも、細かい注意書きが並んでいて、思わず顔をしかめる。
「誠さんの言うことを良く聞いて、仲良く暮らしなさい」の一文に、うちらは顔を見合わせた。
【誠視点】
家を後にして、トボトボと歩く。
あ~あ……嫌われちゃったなぁ。
でも、一番大きなサプライズプレゼントは、みんな喜んでくれて良かった。
はしゃいで走り回るところは、まだまだ子供なんだなって、微笑ましかった。
「出てけ!」は、さすがにキツかったけど。
結局のところ、僕みたいのが「家族になりたい」なんて、身の程知らずだよね。
そもそも、僕なんかに引き取られたいなんて思わないよなぁ。
僕、人に好かれやすいタイプでもないし。
みんな、虐待受けた過去があるから、完全に大人に警戒心抱いてるみたいだしさ。
みんな難しいお年頃だけど、思ったよりしっかりしてて安心した。
あれだけ、しっかり物事を言えるんだったら、大丈夫だよね。
でも、子供だけで生きていける程、世の中甘くない。
せめて、影から援助してあげられる立場でありたい。
児童文学の「あしながおじさん」みたいに……僕、足短いけど。
これから、あの子達は、三人だけで生きていくんだ。
必要なものは、出来る限り揃えてあげよう。
三人が幸せになってくれれば、僕は満足だ。
まずは、施設に置いてある、三人の荷物を送ってあげなきゃ。
わざわざ、施設へ戻って引っ越しの準備するのは、大変だもんね。
施設へ足を運ぶと、施設長に頼んで、三人の私物を全部出してもらった。
施設暮らしだからか、そんなに物は多くなかった。
大きなダンボール箱を用意してもらって、ひとりずつ荷物をまとめていく。
ふたを閉じようとしたら「これも入れて下さい」と、施設長が封筒を差し出した。
封筒の表書きには、三人の名前が書かれてあった。
施設長も、あの三人の行く末が心配なんだろう。
健太さんの箱に封筒を入れて、ガムテープで封をした。
施設長から「あの子達を、よろしくお願いします」と、深々と頭を下げられた。
よろしくされちゃった……どうしよう。
「早々に、家から追い出されました」とは、言えない。
運送会社の営業所へダンボール箱を運び込み、今日中に届くように指定した。
僕が直接届けに行っても、絶対受け取ってもらえないと思うから。
さて、次は家電製品と生活必需品を揃えよう。
布団と冷蔵庫と洗濯機と電子レンジと……必要な物がいっぱいあるな。
みんな、どんなのが使いやすいんだろう?
一応、施設に置いてあった洗濯機は、チェックしておいた。
同じ型の方が、使いやすいかな。
それとも、最新式のドラム式の方が良いかな。
ひとまず、三人分の布団を買い、夜までに間に合うようにお急ぎ便で手配してもらった。
家電量販店で、洗濯機を見ていたら、腹が鳴った。
もう、夕飯の時間か。
三人も、お腹を空かせている頃だろう。
施設育ちだから、お金は持っていないはず。
僕の買ったものなんて、食べたくないだろうけど。
お腹空かして、ひもじい思いなんてさせたくない。
弁当屋へ行って、弁当三人分と、朝食用のサンドイッチ三人分を宅配してもらう。
自分達で何か買って食べていたとしても、きっと明日食べてくれるよね。
いらなかったら、捨ててくれれば良いし。
僕の分は、その場で買って食べた。
最近は、なんでも宅配サービスしてくれる世の中になって、便利になったもんだ。
アパートは、引き払ってなくて良かったな。
危うく、野宿だったわ。
「さて、次は何をしようか」と考えていた時、スマホが着信音を鳴らす。
画面を見ると「公衆電話」と、表示されている。
今時、公衆電話?
いったい、誰だろう?
不審に思いながらも、電話に応じる。
「……もしもし?」
『……あのさ、話したいことがあるから、戻って来てくれないか……?』
聞こえてきた声は、健太さんだった。
なんとなく気まずい、そんな口調。
それを聞いた瞬間、胸の奥がほわりと温かくなり、顔の筋肉がゆるんだ。
「分かりました、戻ります」
電話を切ると、嬉しくてスキップなんて踏んでしまった。
他の人から見たら、とてもスキップとは思えない、妙な動きに見えたかもしれないけど。
【健太視点】
立て続けに、チャイムが鳴った。
トイレットペーパー、タオル、布団などの生活必需品。
あったかい弁当が、次々と届いた。
何もかも、三人分。
どう考えても、うちらの分だけ。
たぶん、誠が送ってくれたんだ。
アイツは、ここへ戻って来ないつもりだ。
なんで、見ず知らずのうちらの為に、ここまでしてくれるんだ?
散々酷いこと言って、追い出したのに。
父さんの親戚ってだけで、今日会ったばっかりなのに。
こんな大人とは、会ったことがない。
大人達はみんな、うちらが孤児だと知ると、顔をしかめた。
友達すら、うちらが孤児になったと知ると、距離を置いた。
「親に捨てられた、可哀想な子」と、勘違いするバカもいた。
「孤児」ってだけで、世間の目は冷たかった。
血が繋がっている親戚達も、うちらを邪魔者扱いした。
施設に入るまで、温かい飯なんて食わせてもらえなかった。
なのにアイツは、違った。
なんで、アイツは、こんなに優しくしてくれるんだ。
優しすぎて、怖い。
家族第一だった、父さんみたいに優しい。
父さんはいつも笑顔で、欲しいものはなんでも与えてくれた。
うちらを、いっぱい愛してくれた。
アイツは「家族になりたい」と、言った。
父さんみたいに、うちらを愛してくれるんだろうか。
「これ、どうすんのよ?」
弁当が気になっているらしく、大樹がチラチラ見ている。
明らかに、腹ペコで「食いたい!」っていう顔だ。
大樹は食いしん坊で、めっちゃ食うんだよね。
かといって、別に太っている訳じゃなくて、代謝が良いらしい。
俺は思わず、小さく吹き出した。
「食って良いんじゃね? あったかいうちに、食っちまおうぜ」
俺が弁当を開けて食べ始めると、弟達も手を出した。
あったかいザンギ(北海道風鶏の唐揚げ)弁当は、美味かった。
弁当だけじゃ足りないと思ったのか、サンドウィッチも三人分入っていた。
サンドウィッチも、残さず平らげた。
飯を食い終わると、俺は布団の伝票を手に取った。
購入者の欄には、アイツの名前と電話番号が書いてある。
よし、これで電話を掛けられる。
財布を手に立ち上がると、俺は弟達に宣言する。
「俺、もう一回、アイツと話がしたい」
「は? 何言ってんのよ、兄貴」
「おれはもう、会いたくない」
弟達は、揃って顔をしかめた。
俺は笑って、弟達の頭を撫でる。
「会うのは、俺だけで良い。お前らは、ここで待ってろ」
「話すって、何を話すつもりなの?」
心配そうな顔をする直樹に、俺は答える。
「アイツの真意を、確かめたいんだよね」
「真意って、何よ?」
今度は大樹が聞いてきたので、真剣に応える。
「それは、俺にも分からん。でも、聞いてみたいことがあるんだ」
「はっ、行き当たりばったりかよ、バカ兄貴」
「ひとりで会うって、危なくね? ひとりになったところを、暴力振るわれたら……」
大樹は鼻で笑い、直樹は俺の身を案じている。
俺は弟達を安心させるべく、明るく笑う。
「あんな野郎に、俺が負ける訳ないっしょ。じゃ、行って来るわ」
「ちゃっちゃと済ませて、早く帰って来いや」
「行ってらっしゃい。くれぐれも気を付けてね」
心配しきりな優しい弟達に見送られて、俺は家を飛び出した。
うちらがいた児童養護施設では、携帯電話の購入は出来なかった。
携帯電話各社は「民法上、未成年者の契約には、法定代理人の同意が必要」としている。
施設によっては、施設長が親権を代行する形で、契約に応じるところもあるらしい。
ただし「NTT docomo」では、施設長同席でも拒否対応を徹底している。
文部科学省の調査によると、高校生の携帯電話所持率は九六%
ひとり一台、スマホを持っているのが、当たり前。
俺のクラスで携帯電話を持ってないのは、俺だけだ。
「スマホ持ってないとかあり得ない」と、疎外されている。
携帯電話を持っていない俺は、コンビニ前に設置されている、公衆電話まで走った。
十円玉を入れて、伝票に表示された番号に、電話を掛ける。
「プルルルルル……」という呼び出し音の後に、アイツの声が聞こえた。
『もしもし?』
散々罵って追い払った後だけに、めちゃくちゃ気まずい。
緊張しまくって、受話器にしがみつくように、両手で強く握り締める。
「……あのさ、話したいことがあるから、戻って来てくれないか……?」
やっとのことで、それだけ言えた。
すると、アイツは優しい口調で返事をしてくれる。
『分かりました、戻ります』
それだけ聞くと、俺は受話器を置いて、電話を切った。
「はぁ~……拒否られなくて、良かったぁ~」
大きく息を吐き出して、安堵した。
それにしてもアイツの声、父さんみたいな柔らかい声質で、なんかスゴく安心する。
アイツ、どことなく父さんに似てるんだよね。
大人は大嫌いけど、アイツはちょっと好きになれそう。
いつになく、スキップなんてしちゃって、家まで戻った。
【誠視点】
「戻って来てくれ」って、呼び戻されたは良いけど、どんな要件で呼び出されたのかねぇ。
「話したいこと」って、なんだろう?
「施しなんかいらない」って、拒絶されるのかな。
「余計なことすんな」って、怒られるかも。
「死ね」って、殺されるかもしれない。
スキップするぐらい軽かった足取りが、だんだんと重くなっていく。
『ここは、うちらの家だ! 貴様なんかいらない! 目障りだっ! 出てけっ!』
『そうだ! 出てけっ! お前なんか、うちらの家族になれる訳ないだろ、バ~カッ!』
『出てけ、出てけっ! てめぇ、笑顔がキモいんだよっ! 死ね、ジジイ!』
三人の言葉が心の古傷をえぐり、見えない血を流す。
家へ向かっていた足が、止まる。
三人が待っていると分かっているのに、足が動かない。
どうして僕は、あの三人を引き取ろうと、思ったんだろう。
「あの三人なら、僕を受け入れてくれるかもしれない」と、期待したのか。
なんで、そんな淡い期待を抱いてしまったのだろう。
僕みたいな人間が、好かれるはずないって、分かってたはずなのに。
家族になりたいなんて、叶わない夢を見ていたんだ。
三人は、僕なんかいなくたって、生きていける。
余計なことをしてしまった。
会いに行って、三人に謝ろう。
そして、二度と関わらないことを誓おう。
僕は止まっていた重い足を、なんとか動かし始めた。
家に着くと、玄関前の石段に、健太さんがひとり座って待っていた。
大樹さんと直樹さんは、いない。
「顔も見たくない」ということなのか。
気持ちが、さらに重く沈んでいく。
僕を見ると、健太さんは立ち上がって、声を掛けてくる。
「お、やっと来たな」
「お待たせして、すみません」
頭を下げて謝罪すると、健太さんは気まずそうに顔を反らす。
「いや、それは、お前がどこにいるかも知らずに、呼び出した俺が悪いんだけど……」
健太さんは歯切れ悪く、ボソボソと言ったかと思うと、僕をじっと見すえる。
「なぁ、アンタは、なんでうちらにそんな優しくしてくれんの? 何が目的なんだよ?」
やっぱり、迷惑だったのか。
援助したいなんて、僕の自己満足でしかなかった。
言葉が喉に詰まって、出てこない。
僕はうつむいて、自分の服を強く握り締めた。
口が利けなくなった僕に、健太さんが問い詰めるように続ける。
「虐待されたうちらを、可哀想だと思った? それとも、親戚の罪滅ぼし?」
本当のことを話さなければ、きっと彼らは僕を受け入れてくれない。
腹をくくって、自分の過去を話すことにした。
「それは……長い話になりますけど、聞いてくれますか?」
僕の母は、ある男に弄ばれて、妊娠が発覚した直後に捨てられた。
母は自分に似た僕を嫌い、暴行と暴言をひたすら繰り返した。
「アンタなんて、生まなきゃ良かった! アンタ、笑顔がキモいのよっ! アンタなんかいらない! 目障りよ! 出てけ! 死ねっ!」
僕は生まれた頃からずっと虐待されていたから、それが当たり前だと思っていた。
それでも僕は、母を愛していた。
母も、僕を愛して欲しかった。
けれど母は最後まで、僕を愛してくれなかった。
僕が五歳の時、狂気に陥った母が灯油を被って家に火を放ち、包丁で僕の腹を刺して、無理心中を図った。
この事件で、母は焼死した。
僕は消防士に助け出されて、一命を取り留めた。
腹部の刺傷と火傷で長期入院し、退院後に児童福祉施設へ入れられた。
それからしばらくして、実の父親を名乗る中年男が、僕を引き取りに来た。
父は若い頃、美貌だけが取り柄のホストだった。
傲慢(ごうまん=調子に乗って偉そうな態度を取り、人を見下す)な性格で、数えきれないほどの女達を弄び、金品を貢がせ、飽きたらあっさり捨てたらしい。
爛れた(ただれた=生活が不健全で、だらしない)日々を送っていた父は、年と共にだんだんと、顔と体型が崩れていった。
自慢の美貌を失った父は、ホストとしてやっていけなくなり、女達も離れていった。
誰にも相手にされなくなって、寂しくなった父は、一番都合の良い女だった母と、縒りを戻そうと思った。
しかし、母はすでに他界した後だった。
父は罪滅ぼしのつもりで、母親似の僕を引き取ったという。
何故、僕が父の過去を詳しく知っているのかと言うと、父が「自分の武勇伝」として得意げに語っていたからだ。
父は、引き取ったその日のうちに、僕を強姦した。
性の捌け口にするだけなら、子供でも男でも良かったそうだ。
幼かった僕は、それがどんな行為かも分からず、されるがままだった。
狭い部屋に閉じ込められ、学校にも通わず、犯され続ける日々が続いた。
そんな状況でも、僕は自分が不幸だとは思わなかった。
「お前は、俺だけのものだ! 俺に犯されることが、お前の幸せなんだっ!」
父はいつも、この言葉を何度も何度も言い聞かせながら、僕を犯した。
その言葉に洗脳されて、「僕は父のものであり、父に犯されることが僕の幸せ」と、思い込まされていた。
しかし、そんな生活も長くは続かなかった。
不審に思った近隣住民が通報し、事件が発覚。
父は警察に捕まり、僕は児童福祉施設へ逆戻りした。
父が逮捕されて、日常的に性的虐待を受けていたと、自覚した。
虐待は、いつも日常の中にあった。
父と母、それぞれ違う虐待を受けた。
そのせいか、僕は「家族」がどういうものなのか、分からない。
「家族」というものに、強い憧れを抱いていた。
「家族」が欲しくて、仕方がなかった。
五年前に、健太さん達が、両親を事故で亡くしたと聞いた。
その上、親戚達から金をむしり取られ、虐待の末に捨てられたと知った。
すぐにでも、健太さん達を迎えに行きたかった。
でも、その時、僕には三人の子供を引き取れるだけのお金がなかった。
健太さん達と家族になれる日を夢見て、懸命に働いた。
五年掛かって、三人の生家を取り戻す金を工面し、三人を引き取れるだけの蓄えも出来た。
ずいぶん遅くなっちゃったけど、やっと今日という日を迎えることが出来た。
【健太視点】
「あなた達と家族になって、一緒に幸せになりたかった……ただそれだけです」
申し訳なさそうに目を伏せて、男は話を締めくくった。
コイツは、うちらよりもずっと酷い虐待を受けていた。
うちらも虐待を受けたけど、ここまで酷くなかった。
うちらを引き取ろうと思ったのは、本当の家族を求めていたから。
この男は、うちらを引き取る為に、ひとりでどれだけ頑張ったんだろう。
男は、深々と頭を下げて謝罪する。
「本当に、申し訳ございませんでした。もう二度と関わりませんから、どうか忘れて下さい」
男は俺の顔も見ないで、立ち去ろうと背中を向けた。
ここで引き留めなかったら、本当に二度とうちらの前に現れないに違いない。
俺は慌てて手を伸ばして、男の腕を掴んだ。
ボロボロ泣きながら、首をブンブン横に振る。
「ごめんなさい!」
「え?」
「酷いこと言いまくって、いっぱい傷付けちまってごめん! 本当に悪かった、こっちこそ謝らせてくれ! 頼むから、仲直りさせてくれっ!」
「健太さん……?」
「最初は、ギクシャクするかもしれないけど、俺はお前と暮らしてみたい」
「じゃあ、家族体験版ってことで。改めて、よろしくお願いしますね」
男は嬉しそうな声色で言いながら、俺の頭を撫でてくれた。
その手は優しくてあったかくて、スゴく安心する。
やっぱり、コイツは父さんに良く似ている。
この人だったら、家族になれるかもしれない。
【直樹視点】
「……ただいま」
「おかえりなさい」
何があったのか、兄ちゃんが泣きながら家へ帰ってきた。
後ろには、気まずそうな顔をした、あの異分子が立っていやがった。
ふたりを見た瞬間、頭に血が昇り、渾身の力を込めてヤツを殴り飛ばした。
あっけなく仰向けに倒れた異分子の腹に乗り、何度も何度も顔を殴り付ける。
「貴様、よくも、おれの兄ちゃんを泣かせやがったなっ!」
「直樹! コイツは、何も悪くないんだっ! やめろ、やめてくれっ!」
兄ちゃんの言葉なんて、おれの耳には届いていなかった。
制止を振り切り、異分子を殴り続ける。
なんで、追い出したのに、のこのこ戻って来やがった!
なんで、兄ちゃんを泣かせやがったっ!
なんで、父さんと母さんが死んで、貴様みたいなのが生きてやがるんだっ!
なんで、父さんと母さんが死ななきゃならなかったんだ!
なんで、うちらがこんな目に遭わなきゃいけないんだっ!
なんで、うちらをいじめるんだっ!
なんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでっ!
体力が尽きるまで、ひたすら殴り続けた。
気が付くと、異分子は血まみれで、ピクリとも動かなかった。
ざまぁ見ろ。
これでもう、いじめられない。
こんなヤツ、今すぐ死ねば良いんだ。
「お前、なんてことしてくれたんだっ!」
「え?」
何故か、兄ちゃんが、めちゃくちゃ怒っていた。
なんで?
ヤツは、うちらの敵だろ?
やられる前にやらなきゃ、また酷い目に遭わされる。
だから、やってやったのに、なんで怒ってる?
「良いから、早くそこから退けっ!」
珍しく兄ちゃんが怒声を張ったので、驚いてヤツから下りた。
すかさず、兄ちゃんはヤツの様子を見る。
「あ~あ……めちゃくちゃやりやがって。大樹、タオル濡らして持ってきてくれ」
「……分かった」
呆然とおれを見ていた大ちゃんが、兄ちゃんに指示されて動き出した。
大ちゃんが濡らしてきたタオルで、兄ちゃんがヤツの血を拭う。
兄ちゃんが、居間に布団を敷いて、ヤツを寝かせた。
なんで、ヤツを介抱(かいほう=怪我人を世話すること)するんだ?
訳も分からず、ぼんやりと立ち尽くして、その光景を眺めていた。
「てめぇも、ぼ~っとしてねぇで、手ぇ洗ってこいや」
呆れ顔の大ちゃんに言われて、自分の拳が血まみれになっていることに、今更気付く。
そりゃ、ヤツをボッコボコに殴りまくったんだから、血も付くか。
水で血を洗い流すと、殴りすぎた拳が赤く腫れていた。
居間へ戻ると、兄ちゃんがおれと大ちゃんに向かって、話し始める。
「コイツさ、親から虐待受けた挙句、殺されかけたんだって。だから、家族ってものに憧れてて、うちらを引き取る為に、五年前からずっと金貯めてくれてたんだって。そんで、うちらと家族になって、一緒に幸せになりたいって。それ聞いたら、俺、嬉しくなっちゃってさ。泣いちゃったんだよね」
「そうだったのか……」
力の限り殴った、拳が痛い。
殴られたコイツは、もっと痛かっただろう。
ようやく、兄ちゃんが激怒した意味を理解して、後悔が一気に押し寄せる。
おれは、なんてことをしてしまったんだ。
この人は、うちらの為に、色んなことをしてくれたのに。
ろくに話も聞かず、酷いことをいっぱいしてしまった。
意識が戻ったら、今までのことを、全部謝りたい。
その日の夜、三枚の布団を敷き詰めて、四人で身を寄せ合って眠った。
翌朝、あの人はいなかった。
おれのせいで、出て行ってしまったのだろうか。
謝らせてもくれないくらい、嫌われてしまったのか。
自分から拒絶したくせに、自分が拒絶されたら悲しい。
おれはなんて、身勝手なんだ。
自分で自分が嫌になって、布団を握り締めた。
……あれ? なんか美味そうな匂いがする。
見渡すと、ふたりの兄は、気持ち良さそうに眠っていた。
ってことは、まさかっ!
台所へ向かうと、あの人が料理を作っていた。
おれに気が付くと、振り向いて申し訳なさそうに苦笑する。
打撲痕(だぼくこん=殴ったあと)だらけの顔が、痛々しい。
「おはようございます。すみません、起こしてしまいましたか?」
「あ、いや……」
謝ろうと思っていたのに、いざ対面したら、何も言えなくて口ごもる
笑うのも痛いだろうに、おれに優しく笑い掛けてくれる。
「余計なお世話かと思ったんですが、朝ご飯を用意しました。食べられます?」
「……うん」
「おふたりは、まだお休みですか? じゃあ、直樹さんの分だけ、ご用意しますね」
ニコニコ笑いながら、折りたたみテーブルを立たせ、座布団を置いてくれた。
おれは立っているのもなんなので、座布団の上に座る。
目の前の人は、いそいそと、器に飯を盛りつけている。
その背中を眺めながら、考える。
この人は、いつ起きたんだ。
テーブルや座布団は、いつ用意したのだろう。
昨日のうちに、買ったのだろうか。
そんなことを考えていたら、テーブルの上に朝飯が並べられていく。
温かな白ご飯。
湯気と匂いを漂わせる味噌汁。
焼き色が綺麗な玉子焼き。
プチトマトときゅうりとレタスとコーンのサラダ。
漬け物の盛り合わせ。
「どうぞ。お口に合うと、良いのですが……」
「……いただきます」
割り箸を割って、まずは味噌汁から口を付けた。
施設の味噌汁は薄味だったけど、これは味噌が濃い。
具はかぼちゃで、少し煮崩れてほっくりと甘い。
玉子焼きは、だし巻き玉子で、ご飯に良く合う。
施設の玉子焼きは、塩砂糖で、あまじょっぱかった。
サラダと漬け物は、コンビニで買ったのかな?
ダメだな、なんでも施設の飯と比べてしまう。
施設の味とは全然違ったけど、どれも美味かった。
恐る恐ると言った口調で、横に座った人が聞いてくる。
「お味は、どうですか?」
「美味しいです」
「良かったっ!」
おれが正直に答えると、それはそれは嬉しそうに笑うものだから、釣られて笑ってしまった。
この人は、本当に優しい人だったんだ。
兄ちゃんから聞いた話も、きっと嘘じゃない。
確信した時、昨日自分がやらかしたことを思い出し、物凄い罪悪感に襲われた。
その直後、おれは土下座し、平謝り(ひらあやまり=ただひたすら謝る)するしかなかった。
相手は笑って許してくれたけど、おれが自分を許せない。
絶対に、この人と家族になるんだと、心に誓った。
【大樹視点】
なんやかんやあって、四人で暮らすことになった。
最初、うちらは他人行儀(たにんぎょうぎ=親しみを全く示さない態度)だった。
家財道具が増えていくにつれて、おっさんも少しずつ打ち解けてきた。
でも、家族と呼ぶには、まだかなり距離感がある。
兄貴は、コミュ力だけはハンパねぇから、わりとすぐおっさんと仲良くなった。
ナオはコミュ障だから、最低限しか言葉を交わさないけど、仲良くなろうという意思が見えた。
オレは興味がないことには無関心なタイプだから、基本無視。
施設の職員と同じ、他人の認識。
慣れ合う義理なんてない。
それに、兄貴とナオがいれば、特に不都合はなかった。
必要なことは、兄貴が全部伝えてくれた。
同い年のナオが、いつも横にいたから、おっさんとふたりっきりになることもなかった。
施設でもずっとこんな感じだったから、これからも同じように過ごしていくと思っていた。
ある日、おっさんがうちら三人にスマホを買ってくれた。
施設では、携帯電話なんて持たせてもらえなかったから、めっちゃ嬉しかった。
でも「ありがとう」なんて、言わなかった。
おっさんはうちらが欲しいものを、なんでも買い与えてくれる。
親父もそういう人間だったから、それが当たり前なんだと思った。
欲しいものがあったら、おっさんの財布から金を盗んだ。
いくら盗んでも、おっさんは何も言わなかったから、盗んでも良いんだと思っていた。
みんながやってるスマホゲームを始めたら、面白くてめちゃくちゃハマった。
スマホを持ち始めたら、ゲーム繋がりで友達が出来て楽しかった。
兄貴とナオにも勧めたら、ガチハマりして一緒に遊んだ。
ある日、オレとナオは、歩きスマホをしていた。
ゲームに夢中だったから、周りなんて全然見てなかった。
気が付いたら、道路の真ん中に立っていた。
数m先から、クラクションとブレーキ音を響かせながら、トラックが迫ってくる。
皮肉なことに、親父とおふくろの命を奪ったのと同じ、大型トラック。
トラウマで竦み(すくむ=体がこわばって動かなくなる)、一歩も逃げられない。
オレとナオは、死を覚悟した。
「危ないっ!」
大きな声が聞こえたかと思うと、誰かに背中を突き飛ばされた。
ナオと一緒に道路脇へ転倒し、トラックに轢かれずに済んだ。
代わりに、うちらを突き飛ばした誰かが、トラックにはねられた。
はねられたのは、おっさんだった。
オレは驚いて、倒れているおっさんに駆け寄った。
「なんで、うちらをかばったのよ?」
「家族を守るのは、親の務め。あなた達の為なら、僕は喜んで命を投げ出すよ……」
おっさんは痛そうに顔をしかめていたけど、優しく笑った。
その言葉に、頭をぶん殴られたようなショックを受けた。
オレはおっさんのことを、家族だなんて思っちゃいなかった。
同じ家に住んでいるだけの人、程度の認識だった。
なのにコイツは、うちらの為なら命を投げ出す覚悟だと言う。
正直、訳が分からなかった。
どうして、そこまで尽くせる?
助けてくれたお詫びに、オレとナオはおっさんを病院へ連れて行った。
幸い、トラック運転手がブレーキを踏み込んで、かなり減速していたらしい。
おかげで、おっさんは軽傷で済んだ。
会計で、おっさんが診察料を支払おうとしたら、財布には金が入っていなかった。
オレが、盗んだからだ。
おっさんはオレを一瞬見たが、何も言わずに病院内にあるATM(自動預け入れ払い機)まで、金を下ろしに行った。
オレが金を盗んだと気付いたナオが、冷たい目でオレを見た。
ヤベェ……コイツ、普段大人しい分、キレたらめちゃくちゃ怖いんだ。
この日から金を盗むことを止め、おっさんと仲良くなる努力を始めた。
【誠視点】
四人で暮らし始めてから、一ケ月が経った。
「ちょっと家族らしくなってきた」と思うけど、そう思っているのは、僕だけかもしれない。
健太さんは優しい良い子で、最初から話をしてくれた。
大樹さんと直樹さんは、そもそも警戒心の強い子なのか、顔も合わせてくれなかった。
でも四人共、ゲームが共通の趣味だと分かってからは、一緒に遊ぶようになった。
ゲームをするようになってから、距離はグッと縮まったような気がする。
やっぱり、共通の趣味があるって大事だよね。
顔を合わせれば、ゲームの話ばっかりしてる。
一番の変化は、目かな。
初めは、三人共、表情を失った目をしていた。
虐待で表情を失った目を、「凍り付いた凝視」という。
その目の奥には「本当は愛して欲しい」という、切なる願いが隠されている。
僕もそうだったから、良く分かるよ。
大人から、無償の愛を受けられるのは、子供のうちだけだ。
だから僕は、何をされても許し、何がなんでも三人を愛そうと心に誓った。
最近は、生き生きとした目で、笑ってくれるようになった。
あと、名前を呼んでくれるようになった。
「お前」「てめぇ」「貴様」だったのに、最近は「誠さん」って呼んでくれるんだ。
名前を呼ばれると、ちゃんと僕を僕として見てくれてるんだって分かって嬉しい。
僕ひとりでやっていた家事も、みんなで分担してくれるようになった。
「子供に、家事が出来るのか」と、思っていたけど、三人は難なくこなした。
三人の話によれば、施設では「自分のことは自分でやる」が基本だったそうだ。
料理だけは、施設の調理師さんが作ってくれていたから、出来ないらしい。
ある日、健太さんが料理の本を買って来て「一緒に作りたい」と言い出した。
料理の本を開いて「あれ作ろう」「これ作ろう」と、一緒に作るのは楽しい。
健太さんは料理の才能があったみたいで、気付いたら僕より料理上手になっていた。
元々、甘いものが大好きだった直樹さんは、お菓子作りにハマりだした。
大樹さんは思い付きで料理をするから、時々とんでもないものを作り出す。
休日に、四人で料理をするのは、めちゃくちゃ楽しかった。
「創作料理対決」をやって、「マズい」「美味い」言い合って食べるのも楽しかった。
風呂から上がったら、布団を四枚敷き詰めて、布団の中でゲームをやる。
誰か寝落ちしたら、ゲームを止めて仲良く並んで寝る。
全員、寝相は良いから、一緒に寝ても問題ない。
みんなの笑顔が、心の底から楽しんでいる顔に変わり始めた。
今のところ、これといったトラブルもなく、仲良く平穏な日常を過ごしている。
「家族」って、こんな感じなのかなぁ。
【健太視点】
同級生の女子から告白されて、付き合い始めたけど、長続きしなかった。
真剣な顔をした彼女から、最後の質問をされた。
「私と家族、どっちが大事なの?」
「家族っ!」
「じゃあ、ダメ」
即答したら、あっさりフラレた。
「そこは嘘でも、『もちろん君だよ、マイハニー♡』っつっとけや」って大樹に爆笑されたけど、そんなこと言われてもなぁ。
「どっちが大事か?」って聞かれたら、俺にとっては「家族」なんだもん。
大樹も直樹も、彼女が出来たけど、すぐ別れた。
大樹は、我がままな彼女に振り回されて、うんざりして振ったらしい。
直樹は天然で鈍感だから、彼女が呆れて振られたみたい。
正直今は、彼女なんていらないんだよね。
だって、うちらは家族が何よりも大事だから。
誠さんも、父さんのように分け隔てなく、うちらを愛してくれる。
誠さんは父親から受けた性的虐待のトラウマで「性的潔癖症」になり、結婚どころか恋愛すら出来ないらしい。
「自分が父親と同じことをする」と思うと、恐怖と嫌悪感を覚えるんだそうだ。
きっと、好きな人が出来ても、結婚出来ないし、子供も作れない。
でも、うちらの父さんになったんだから、もう結婚しなくて良いし、子供も作らなくても良いんだよ。
母親はいないけど、両親がいた頃のように、温かな家庭が戻ってきた。
親を失ったうちらだからこそ、家族を守りたい気持ちが強い。
他人から見たら、傷の舐め合い(似た様な不幸にある者同士が、なぐさめ合うこと)に見えるかもしれない。
他人にどう思われようとも、幸せな家族になりたい。
少しでもお楽しみ頂ければ、幸いに存じます。
不快なお気持ちになられましたら、申し訳ございません。