翁との問答
王との邂逅を終えたクリスと翁は、街の大通りへと続く薄暗い小道を歩いていた。
「さっきの問答、まだなにか疑問が残っているようだな」翁がいった。
「いえ」クリスは短く答えた。
「それがなんなのか当ててやろう。クリスよ。君は無限の力と無限の知識とどちらがほしいかね」
「それは無限の知識です」
「その理由は」
「無限の知識のほうがより大きな力だと思うからです」
「妥当な判断だと思う…客観的に見ても無限の知識のほうがより大きな力だろう。我々暗殺稼業はいわば究極のプラグマティズムなわけだが、無限の知識という抽象的なものでもそちらのほうが価値があるとは思う。その"無限の力より価値のあるもの"が、ここから北へ二千里行ったどこかに埋まっているらしい。当然ある種の人間たちの強い関心を引くのだろうな。何かの探究者たちや、冒険者たち。あるいは力を求める者たち。政治権力者。そして王…」
「…」
「君はこう考えているんじゃないかね。アスタロトなど存在しないのではないかと」
「…」
「単に石碑を読んだ人間が心をざわめかせているだけではないかと。そして幾人かは欲に目がくらんで頭がとち狂ってしまったのではないかと」
「…」
「そのことの反証は容易だ。石碑の存在を知らずにアスタロトの存在を感じ取った人間がいればいい」
「いるのですか」
「いる。かなりの人数がいる…それほど腕が立つわけでない魔術師もアスタロトの存在を感じ取っているらしい。ありていに言ってアスタロトの復活は疑いがない。それは理解したか?」
「理解しました」
「よろしい」翁は短く答えた。小道はほとんど終わりかけていた。大通りの騒がしい活況が薄暗い通りにも響いてきた。子供たちの騒ぐ甲高い声も聞こえた。
「わしにはよく分からないことがある」翁が言った。「魔法使いは自分たちの術を叡智と呼んでいる。彼らは自分たちを知識階級と呼び魔法を幾何学のような究極の知識だと思っている。私には魔法がそういったものに繋がるとはとても思えない…炎や雷で人を焼き殺すことがなぜ究極の叡智に繋がるのか」翁は語った。クリスは黙って聞いていた。「自分の目で見た魔法がそういった類のものとは思えない…だが確かにこの世界は物質と魔法でできている。そして魔術師どもが相当頭のいい連中だとも思う。だからそういうものなのだろうな。わしには分からないが。そもそもわしには幾何学もわからんがね」
翁は自嘲した。クリスは黙って聞いていた。
「ある種の知識階級は」翁は言った。「叡智にのみ仕える。彼らは世評や金などなんとも思わない。彼らは世俗の権力に決して膝を屈しない…それどころか望んで牢獄に入る人間もいる。法律家や学者がそうであるのは構わない。むしろ好ましいとさえ思う。しかし魔法使いが同じようであっては困るのだ…」
クリスは横目で翁を見つめた。そして口を開いた
「さっきのエルフ、殺すのですか」
「察しがいいな」翁は笑った。「どうだろうな。しかし何を隠そう彼は私の親友なのだよ」
「親友ですか」クリスは翁の交友関係のことなど初めて聞いた。
「親友だ、今でも…昔任務で冒険者の身分を使ったことがある。そして我々は共に、文字通り冒険したんだ。遥か南へ」
翁は感傷に浸っていた。彼が任務の断片でも話すことはこれまで一度としてなかった。おそらく先ほどのエルフは本当に暗殺対象に入っているのだろう。
二人は明るい大通りにでた。町の喧騒が二人を覆った。陽の光にあてられ急に体が暖かく感じた。
「任務を言い渡す」翁が言った。「北部前線のヴェリザードという要塞へ往け。君には義勇兵の身分が与えられる。そして王命の通り、スタウダマイアーを殺すのだ。任務の詳細はいつもの方法で知らせる。夕刻までに東門から出発しろ。それまでは自由行動とする。まだ昼前だ。この街に用があるならすませておけ。これをやろう」翁は茶色い革の袋を投げてよこした。「経費だ。多少多いが自由に使え」
袋の中身はかなりの枚数の金貨だった。
「ひとつアドバイスをしよう」翁はあらたまった面持ちでクリスにいった。「君はこれから義勇兵になる。義勇兵とは、まあ冒険者みたいなもんだ。仲間になる連中もほとんど同じ感じだろう。冒険者でもっとも大事なことは何か教えよう。それは仲間だ。仲間を信じてお互い助け合って行動すること。そして議論になったら腹の内をすぐに見せあうこと。月並みだがこれが心からのアドバイスだな」
翁はクリスに目礼し背を向けると、雑踏の中に消えた。




