碑文の内容
問塔の上からは遥か遠くまでローゼンハイムの街並みが見渡せた。鮮やかな橙色の瓦屋根が都市計画にのっとり整然とたたずんでいた。白いカモメが家々の上空を悠然と飛んでいた。城壁ははるか地平線に細い白い糸のように見えるだけだった。
この果てなく続くとも思われる広い街並みは、開祖ロキが邪神モラクスを討ちその王城と城下町の上に築いたものだった。かつて魔物が築いた城壁は高くぶ厚くいかなる侵入者も寄せ付けなかった。この地にかつての王たちは長い平和を築いてきた。
だがその平和が脅かされていた。
「君を呼んだのには理由がある」王が言った。「君を推薦したのはそこの翁だ。君が毒手の歴史でも傑出した才能を持っているときいた…無論君がその若さで毒手最強というわけではないのだろう。だがこの任務はただの暗殺ではない。この任務には時間がかかる…そして適応も」
王は言い淀んだ。クリスは待った。王は考えた。この若者を死地に送り込む資格など自分にあるのだろうかと。この若者、いや少年とすらいってもいい。陽の下では彼の金髪はより美しく輝いていた。その髪の細さ、柔らかさはまさに年端もいかない少年のそれだった。
しかしそもそもこの若者に死地以外の選択などかつてあったのだろうか。彼は暗殺者だ。王はクリスが血塗られたナイフを持って死体を見下ろしている様を想像した。
いやそもそも”選択”などあったのだろうか…彼は暗殺者として育てられた。毒手の訓練がどんなものかは知らない。しかし秘密を守るために自殺用の呪いを体に受けると聞く。彼の人生に選択などあったのだろうか。
そもそも彼に親はいるのだろうか…
王は歳を追うごとに感傷的になっていた。彼は深い憂いにひたすら身を沈めた。それは自虐と同じような行為だった。彼はやがて顔を上げてクリスの顔をまっすぐに見た。王は結局全ての玉座の主がすることをやった…ただただ考えることやめたのだ。
「ここから南のオルドキアという渓谷で古代の遺跡が発見された。遺跡は二代目の王ロンの時代に造られたものだ。そこで、いくつかの遺物とともに、石碑が発見された」
クリスは静かに次の言葉を待っていた。王が再び口を開いた。
「石碑には開祖ロキの偉業が記録されていた。その記述が、簡潔に過ぎるのだが…おおむね歴史書の通りに記されていた。ただ一点を除いて」
クリスは次の言葉を待った。
「君はアスタロトとは何か知っているかね」王が尋ねた。
「ソロモンが使役した七十二の大悪魔のうちの一人です。配下に下った者に無限の知恵を与えます。開祖ロキによって抹殺されました」クリスが答えた。
「そう。歴史書ではな…そういう記述になっている」王はまたうつむきながら答えた。「だが今度出土した石碑にはこうある。『北に二千里、カマラン山脈を超えたロードスの地にて、彼を封じた』と」
「殺したのではなく封じた。そのことに強い問題があるのですね?」クリスが尋ねた。
「無論封印術であるなら解かれる可能性はある…当然ロキは万難を排して封印を構築しただろう。問題はそこでなく」王はまた言い淀んだ。「その先の記述にある…彼は玉座を息子ロンに譲位した後、”さらなる英知”を求め再び北に向かったと。この記述をどう思う?」
「それは…」今度はクリスが言い淀んだ。「不敬に当たるので答えにくい問題です」
「ロキの尊称は知っているな?」
「叡智王ロキであります。王は開祖ロキが知識を求めてアスタロトと通じていたとおっしゃりたいのですか?」
「そうだ」
「しかしそれは、起こったとしても千年も前の話でありましょう?」
「だが、そのことが、いままさに君に言い渡す任務と関係あるやもしれんのだ」王の顔に強い影が差した。「君は大魔法師スタウダマイアーを知っているか?」
「名前は聞いたことがあります」
「私の長年の友人だ…乳飲み子のころから共に育った!」王は鋭く嘆くように言った。「彼は共に国を治めた仲間だ!ここにいる友たちとあらゆる艱難辛苦を分かち合った!政は悩みや苦しみがあまりに多い。無垢で善なる人間を切り捨てなければいけないことがあまりに多い。国のために命をなげうった兵士たち、その家族の慟哭が身に突き刺さり辛い。彼は民草の痛みを我が事のように感じ取れる心の優しい人間だった。我々は人生のすべてを国家のためになげうった。文字通り全てを!だが彼は、こころを壊してしまった」王の目は赤く腫れあがり涙にぬれていた。
「やがて彼がここを去る時も、我々はなにも言わず門出を祝った。魂から我々は通じ合っていた・・・そして彼は去り際にこう言った」
王は喉を震わせて嘆息した。クリスは待った。王は言った。
「ここを去ると。叡智を求めて北へ向かうと。」
王がそう述べると、重臣たちはそれぞれ沈痛な面持ちで物思いに沈んでいた。クリスは続きを待った。
「だがその彼が突如北の地に現れたのだ。」
「現れた、とは?」クリスが訊いた。
「北の前線に現れたのだ。オーク共の指揮官として。そして魔法を使い兵たちを殺しはじめた」




